犠牲者を追悼し米軍基地の撤退を求める集会」
被害者悼み海兵隊撤退要求 沖縄県民大会に6万5000人
県民大会に連帯し、国会前など41都道府県で市民集会が開かれた!!
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開催日 |
開催目的 |
参加人員 |
1995年10月21日 |
8.5万人 |
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2007年 9月29日 |
11 万人 |
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2010年 4月25日 |
9 万人 |
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2012年 9月 9日 |
10.1万人 |
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2017年 8月12日 |
4.5万人 |
「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」が2016年6月19日午後2時から、那覇市の奥武山公園陸上競技場をメーン会場に開かれ、35度近い暑さの中、6万5000人が参加した。
暑い日差しの下、会場周辺には正午すぎから、追悼の意を表そうと黒い服や帽子を身に付けた参加者が集まった。 米軍属の男が女性の死体遺棄容疑で逮捕されてから、19日で1カ月。参加者は黙とうをささげ、亡くなった女性の冥福を祈った。同じ日、被害女性の四十九日の法要が営まれた。 大会は、米軍嘉手納基地内の交通事故で父を亡くした沖縄民謡歌手、古謝(こじゃ)美佐子さん(62)が歌う、母の我が子への愛情を込めた曲「童神(わらびがみ)」でスタート。
大会には翁長知事をはじめ、県政与党や経済界、労働組合、市民団体らでつくるオール沖縄会議関係者、賛同する市町村長らが出席。稲嶺進名護市長らオール沖縄会議共同代表があいさつした(音声)。
オール沖縄会議共同代表の一人、金秀グループの呉屋守將会長は「今回の事件で亡くなった女性を(米軍関係の)最後の犠牲者とするべく、具体的な有効策を講じることがわれわれに託された責務だ」と抗議した(音声)。
被害者の父親がメッセージを寄せ、参加者に感謝するとともに、「なぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか。今まで被害に遭った遺族の思いも同じだと思います。被害者の無念は計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなっていくのです」「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地建設に反対』、県民が一つになれば可能だと思っている。県民として強く願う」と訴えた。
若い世代を代表して発言した宜野湾市出身で国際基督教大4年の元山仁士郎さん(24)は、「事件が続く原因は米軍基地と言わざるを得ない。基地を取り除くことでしか解決できない」と訴え、「二度と県民大会を開くことがないよう、沖縄の人々が生きやすい社会をつくっていこう」と呼び掛けた。
オール沖縄会議共同代表で名桜大4年の玉城愛さんは「安倍晋三さん、本土にお住まいの皆さん、加害者はあなたたちです。しっかり沖縄に向き合ってください」と涙ながらに訴えた。
名桜大3年生の小波津義嵩さん(20)は「沖縄から誰も傷付けない新しい平和の築き方を日本、そして世界で実現させましょう」と呼び掛けた。 名桜大3年の眞鍋詩苑(しおん)さん(22)は、県外出身者として自身も基地被害を押し付けている「加害者」ではないかとの文言を盛り込むかどうかを悩んだうえで、「無関心だったことへの罪悪感が一番ある。本土と沖縄を分断して、沖縄を外から見るような見方を乗り越えたい」と舞台上で自身の思いを語った。 1995年の米兵3人による少女暴行事件の後にも県民大会が開かれ、約8万5000人が怒りの拳を突き上げた。この暴行事件を受けて「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」をつくった高里鈴代さん(76)は「このようなことが二度と起こらないよう決意したい。傷つき、殺され、沈黙を強いられている女性の声にしっかりと耳をすまして聞こう」と力を込めた。 沖縄県与那城町(現・うるま市)平安座島出身の日本の作曲家、シンガーソングライター海勢頭豊(うみせど ゆたか)さんが「月桃」を歌い被害者を追悼した。
大会決議は、繰り返される米軍関係の犯罪や事故に対する県民の怒りと悲しみは限界を超えていると指摘。日米両政府が事件のたびに繰り返す「綱紀粛正」「再発対止」には実効性がないと反発し、県民の人権と命を守るためには、米軍基地の大幅な整理縮小、中でも海兵隊の撤退は急務だと訴えた。さらに両政府に@遺族、県民への謝罪と完全な補償A県内移設に よらない普天間飛行場の閉鎖、撤去B日米地位協定の抜本的な改定を求めた。 宛先は首相、外相、防衛相、沖縄担当相、米大統領、駐日米国大使。 海兵隊撤退は県議会が事件への抗議決議で県議会史上初めて明記し、大会決議に盛り込まれた。 決議の採択後は参加者が一斉に「怒りは限度を超えた」「海兵隊は撤退を」と書かれたメッセージボードを掲げた。会場は被害者への鎮魂の思いと静かな怒りに包まれ、二度と事件を繰り返させない決意を日米両政府に突き付けた。 翁長雄志知事は、1995年の海兵隊兵士による少女強姦乱暴事件に触れ、「21年前に二度と繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかった」「卑劣な犯罪は断じて許せない。強い憤りを感じている。被害者に『あなたを守ってあげられなくてごめんなさい』とおわびしたうえで、「(事件を防ぐために)政治の仕組みを変えることができなかったのは知事として痛恨の極みで、大変申し訳ない。政府は県民の怒りが限界に達しつつあることを理解すべきだ」と訴え、「地位協定の抜本的見直しに「不退転の決意」を表明。海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理縮小、新辺野古基地建設阻止に取り組む」と強調した。 最後に、「グスーヨー、負ケテーナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ(みなさん負けてはいけません。私たち沖縄人の子や孫を守るためがんばりましょう)」とウチナーグチで呼び掛け、参加者が拍手や指笛で応えた(音声)。
事件に抗議し、海兵隊撤退を求める集会は、米海兵隊基地キャンプ・シュワブ(名護市)のゲート前でも行われた。 大会は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に反対する翁長知事を支える県政与党会派や企業、団体などでつくる「オール沖縄会議」が主催。移設を容認する自民や、県政では中立の立場を取る公明、おおさか維新は参加しなかった。 全国でも県民大会に呼応した集会が41都道府県61カ所で開かれた。東京では国会前での集会に約1万人が集まり「辺野古新基地建設反対」「日米地位協定は抜本改定を」とシュプレヒコールを上げた。 なお、菅義偉官房長官は6月20日午前の会見で「真摯(しんし)に受け止めたい」と述べるにとどめ、両要求に対し明確な言及を避けた。 海兵隊撤退については、米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設によってグアム移転で9000人が減少するとして「そういう意味合いでも辺野古移設をしっかり進めさせていただきたい」と述べ、海兵隊の一部削減を強調した。 地位協定に関しては現在、日米間で軍属を含む地位協定の適用対象となっている米国人の扱いを見直すために協議していることを強調し、改定には触れなかった。 「オール沖縄会議」共同代表の玉城愛さん=名桜大4年=らは6月22日、内閣府に林崎理内閣審議官を訪ね、安倍晋三首相宛ての大会決議文を手渡した。林崎審議官は、要請に理解を示し、再発防止に努める考えを述べた。 オール沖縄会議は島尻安伊子沖縄担当相宛てにも要請書を出した。外務省、防衛省にも要請した。
大会決議文の実行を訴える(左から)仲宗根悟氏、玉城愛氏、稲福弘氏=22日午前11時半ごろ、内閣府 |
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大会決議 元海兵隊員の凶悪な犯罪により、20歳の未来ある女性のいのちが奪われた。これは米軍基地あるが故の事件であり、断じて許されるものではない。 繰り返される米軍人・軍属による事件や事故に対し、県民の怒りと悲しみは限界を超えた。 私たちは遺族とともに、被害者を追悼し、2度と繰り返させないために、この県民大会に結集した。 日米両政府は、事件・事故が起きるたびに、「綱紀粛正」、「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはない。このような犯罪などを防止するには、もはや「基地をなくすべきだ」との県民の怒りの声はおさまらない。 戦後71年にわたって米軍が存在している結果、復帰後だけでも、米軍の犯罪事件が5910件発生し、そのうち凶悪事件は575件にのぼる異常事態である。 県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である。 私たちは、今県民大会において、以下決議し、日米両政府に対し、強く要求する。 記 1 日米両政府は、遺族及び県民に対して改めて謝罪し完全な補償を行うこと。 2 在沖米海兵隊の撤退及び米軍基地の大幅な整理・縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を行うこと。 3 日米地位協定の抜本的改定を行うこと。 宛先 内閣総理大臣 外務大臣 防衛大臣 沖縄及び北方対策担当大臣 米国大統領 駐日米国大使 2016年6月19日 元米海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会 |
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拝啓、沖縄知事様 米兵による性暴力被害者の手紙(2016年6月19日配信『沖縄タイムス』) 米軍犯罪に脅かされ続ける沖縄に終止符を−。島に暮らす人々や事件・事故の被害者は、絶えずこの「問い」を投げ掛け、明快な「答え」を手にしないままだ。またしても起きた元米兵暴行殺人事件を受けて19日に開かれる県民大会。これで最後にしてほしい。切実で揺るがぬ沖縄の願いを発信する。 「ずっと変わらない沖縄。人間扱いされず、悔しさでいっぱいです」。高校生の時、米兵3人から性暴力被害に遭った富田由美さん(仮名)(49)が18日、本紙取材に応じた。 あまりの悲惨な体験に高校卒業後すぐ、県外に移り住んだ。米兵に連れ去られる時、実家前の道路を通った。体験を思い出して実家にいられない。県内に戻った今もだ。背後に誰か立つだけで動悸(どうき)がする。自身に重なる米軍事件が明るみに出るたび当時に引き戻され、目まいや不眠が続く。 被害当時、警察に訴えることができなかった。「私が届け出ていれば防げた事件があったかも」。自責の念から、思いを少しずつ語り始めた。思い出したくないことを話すのに抵抗はある。今も体験をつぶさに話せない。でも「被害者の実情を知ってほしい」。黙っていられなかった。 米兵による強制わいせつ事件が起きた2005年には「二度と被害を出したくない」との思いで、稲嶺恵一知事(当時)に手紙を書いた。しかし、また事件が起きた。幾度も、幾度も繰り返される事件。当時の自分自身のように沈黙し、表に出なかった事件も無数にある、と確信する。「今度こそ戦争や基地につながるものがない、命の脅かされない沖縄になってほしい」。19日は、夫と共に県民大会へ足を運ぶ。 ■稲嶺知事(当時)宛ての公開書簡 いったいいつまでこんなことが続くのでしょうか。いったい何人の女性が犠牲になれば、気がすむのでしょうか? 私は被害者の一人として訴えます。私は、高校2年生のときに米兵によるレイプを受けました。学校帰りにナイフで脅され、自宅近くの公園に連れ込まれ3人の米兵にレイプされたのです。本当に怖かった。「もう終わりだ、自分は死ぬのだ」と思いました。何度叫ぼうとしても声も出せずにいました。そのとき米兵は「I can kill you」と言いました。「殺すぞ」ではなく、「殺せるぞ」と言ったのです。 あれから20年以上の月日が流れたいまでも、私は事件による心の傷に苦しんでいます。被害者にとって、時の長さは関係ありません。被害を受けたその瞬間から命の尽きるまで、まるで寄せくる波のように苦しみが押し寄せてくるのです。それは穏やかな波のようなときもあれば、嵐のように荒れ狂うときもあります。しかし、心の傷がなくなることはないのです。 稲嶺知事、こんなにも多くの被害が起こる原因は何でしょうか。私達「被害者」が、「沖縄人」がいったい何をしたというのでしょうか。基地があると言うだけで、朝から子どもを遊びに出すこともできないことが、私達の望む沖縄の姿なのでしょうか。 米兵達は今日も我が物顔で、私達の島を何の制限もされずに歩いています。仕事として「人殺しの術」を学び、訓練している米兵達が、です。稲嶺知事、一日も早く基地をなくして下さい。沖縄はアメリカ・米軍のために存在しているのではありません。 被害者として 富田由美(仮名) ※肩書きは2005年当時のまま |
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2016年6月19日午後2時〜;那覇市・奥武山(おうのやま)公園陸上競技場
米軍撤退を 米軍属女性遺棄 緊急県民集会 / 「追悼名護市民集会」6月17日
6・19県民大会への参加を呼びかけるオール沖縄会議=16日午後、那覇市の自治労県本部
沖縄県の翁長雄志知事は16日、県庁で記者会見し、6月19日に行われる米軍属による女性暴行殺人事件に抗議する県民大会に「参加することの方が多くの県民の期待に応えることになる」と述べ、大会出席を表明した。 翁長知事は「(被害女性の命を)守れなくてすみませんでした。政治の仕組みがなかなか変わらずごめんなさいと、知事としての申し訳なさがあった」と参加を決断した理由を語った。 記者団から自民党や公明党が不参加となったことについて問われ、「オール沖縄も、自民党も公明党も近づこうという努力をされた」と指摘した。 大会決議案に「海兵隊の撤退」が盛り込まれている点についての質問には、建白書の立場と相反するものではないと答えた。 同日、大会の主催者であるオール沖縄会議の呉屋守将共同代表らが記者会見をおこない、19日午後2時から被害者追悼、後を絶たない基地被害抗議を目的に、那覇市の奥武山陸上競技場とその周辺施設で開催することを確認した。 超党派での開催に至らなかった点について、共同代表らは、▽決議(案)にある「海兵隊の撤退」については県議会で全会一致を見た決議の範囲であり、多くの県民が参加できるもの▽党派を超えた実行委員会形式では、準備期間に2、3カ月かかり、できるだけ早い開催をとの意見にこたえるため、オール沖縄会議主催にした―と説明した。
6・19県民大会に結集せよ 闘いの焦点はここに! 5月20日の嘉手納基地第一ゲート前での150人の早朝抗議、5月22日のキャンプ・フォスター(米軍司令部)前での2000人のサイレント・デモ、25日の辺野古の400人と嘉手納の4000人の集会を経て、6月19日には那覇市のセルラー球場で数万人規模の県民大会が計画されている。 キャンプ・シュワブ、嘉手納基地第1ゲート、普天間基地の野嵩と大山ゲート、読谷村トリイステーション(陸軍特殊部隊)、北部訓練場など、沖縄に駐留する主な米軍基地ではどこでも日常的に反基地の意思表示が行なわれているのに加えて、全県民を糾合し日米両政府との全面対決の怒りの声をあげる。 現在の東アジア大衆運動の最大の焦点はこの沖縄対日米両政府の対決にある。沖縄の闘いを支持し共に闘おう! 闘争陣形を拡大強化し、日米両政府の支配を打ち破る突破口を切り開こう!
元米兵による残虐な蛮行糾弾! 犠牲者を追悼し米軍の撤退を求める緊急抗饑決議
沖縄が本土に復帰後、最も残虐な事件が起こった。 4月下旬から行方不明となっていたうるま市の女性が遺体で発見されたのだ。元米海兵隊員で軍属の男が未来ある20歳の尊い命を奪った凶悪事件は沖縄県民に恐怖と衝撃を与えた。 私たちは「オール沖縄」として、かけがえのない一人娘を亡くした遺族の深い悲しみと怒りを多くの県民で共有し、犠牲者の死を決して無駄にしないことを誓うため、今日この場に結集した。 沖縄県民はこれまで、幾度となく「基地あるが故の」事件•事故に抗議し、米軍に対し再発防止 の徹底と網紀粛正を強く求めてきた。にもかかわらず、米軍人や軍属等による事件•事故は後を絶たない。 それはなぜか。日米両政府が戦後71年間も過重な米軍基地をこの沖縄に押し付けているからである。沖縄県民の怒りはもう限界点を越えた。私たちはもうこれ以上、基地の重圧に耐えることはできない。 本土復帰後44年を経てもなお、在日米軍専用施設の約74%が集中する沖縄。その現実を日米両政府は無視し続けてきた。早急に日米両政府の責任で具体的な解決策を取らなければ、戦後最大級の「県民総ぐるみ基地撤去運動」が展開されるだろう。 私たちは、日本国憲法に保証されている国民の当然の権利である基本的人権、生命、自由及び幸福追求、法の下の平等を主張し強く訴える。基地のない平和で豊かな沖縄を実現させるまで最後まで決して屈しない。 私たちは「オール沖縄』として、次代を担う沖縄県民がこの島で生きていくための最低限の権利を守るため、満身の怒りを込めて抗議する。 さらに、下記について要求し、米軍の撤退を強く求める。 1.米軍基地の大幅な整理縮小 2.米地位協定の抜本的な改定 3.普天間飛行場の閉鎖・撤去 4.オスプレイの配備の撤回 5.辺野古新基地建設断念 以上決議する。 2016年5月25日 辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議 宛先:アメリカ合衆国大統領、駐日米国大使、在沖米軍四軍調整官、 内閣総理大臣、外務大臣、防衛大臣、沖縄担当大臣
県民大会は「暴力発展の可能性」 米大使館が注意呼び掛け(2016年6月19日配信『琉球新報』) 在日米国大使館が、米軍属女性暴行殺人事件を受けて19日に那覇市で開催される県民大会について「平和的であるように意図したデモであっても、対立的になり、暴力に発展する可能性がある」と表現し、米国人に対し会場周辺に近づかないよう呼び掛けていることが分かった。同大使館が17日に、在日米国人向けにウェブサイトで発表した。 同大使館は治安情報で「奥武山公園は那覇空港と那覇市の繁華街をつなぐ331号に位置しており、抗議の間、交通が混乱する恐れがある」と説明。米軍属が強姦(ごうかん)致死と殺人容疑で逮捕されたことへの抗議集会であることには触れていい。 また「17日から19日までの3日間、日本中の30都道府県でも追加の集会が開かれる」とも伝えている。 広報文は17日から大使館ウェブサイトに英文で掲載されている。大会を主催するオール沖縄会議共同代表の呉屋守将金秀グループ会長は「事件の被害者を追悼するという趣旨で開催する県民大会は、暴力的な行動とは真逆だ。米側は事態の重さを理解していない。現場を見に来てほしい」と話した。 基地負担軽減求める 元米兵事件で公明県本が追悼集会(2016年6月19日配信『沖縄タイムス』)
軍属の暴行殺人事件の被害者を追悼し、事件に抗議する公明党県本部の大城幼子女性局次長(左から3人目)ら=18日、那覇市 公明党県本部(糸洲朝則代表)は18日、元米海兵隊員の軍属による暴行殺人事件の被害者を追悼し、事件に抗議する集会を那覇市の県庁前で開いた。1500人(主催者発表)が過重な基地負担の軽減や事件・事故の実効性ある解決策を日米両政府に求めた。 集会の冒頭で参加者が黙とう。若い女性が被害者となったことを受け県本部の青年部、女性局の追悼のあいさつからスタートした。 金城泰邦青年局長は「未来に夢を持つ若者の命が奪われた。私たちが再発防止のため行動しなければならない」、大城幼子(わかこ)女性局次長は「国が目に見える形で日米地位協定の改定、基地の整理縮小に取り組んでほしい」とそれぞれ訴えた。 金城勉幹事長は「戦後71年、米軍基地が原因の事件や事故で命を踏みにじられる現実があり、政治に携わる人間として恥ずかしい。命を保障し人権を守るよう日米両政府に訴える」と決意を表明。19日の県民大会は超党派の開催とならなかったため単独で追悼集会を開いたことも説明した。 党本部からは斉藤鉄夫幹事長代行、遠山清彦沖縄方面本部長も参加した。 ■在沖基地調査で公明がワーキングチーム会合
公明党は18日、元米海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件を受け、沖縄の米軍基地負担軽減の具体的な提言をまとめるための「在沖米軍基地の調査ワーキングチーム(WT)」の第1回会合を那覇市内で開いた。日米地位協定の改定を視野に入れ、年内に提言をまとめる。 地位協定に加えて在沖海兵隊をはじめとする各基地の運用や機能を調査し、提言にまとめることで基地の整理縮小を後押しする。 米軍普天間飛行場返還を巡る名護市辺野古の新基地建設は県本部が反対、党本部が辺野古移設の日米合意を尊重する立場だが、WTでは普天間問題を含めた基地のあり方を議論するという。
6月26日 「肝苦さん」に包まれた慰霊の日(2016年6月26日配信『琉球新報』−「金口木舌」) 「くゎんまが、まむてぃいちゃびら。ちばらなやーさい(子や孫を守っていこう。頑張ろう)」。19日に那覇市奥武山で開かれた県民大会で、翁長雄志知事はうちなーぐちであいさつを締めくくった ▼うちなーぐちだと、いくばくか思いが強く伝わってくる。23日の慰霊の日、ことしも糸満市摩文仁には多くの遺族らが訪れ、沖縄戦で亡くなった戦没者をしのんだ ▼訪れた一人一人の背景やこれまでの人生に思いをはせると、うちなーぐちでいうところの「肝苦(ちむぐり)さん」の思いを強くする。直訳すると「心が痛い」という意味になろうか。人のつらさや悲しさをわが身のように感じる思いも含まれよう ▼壕の中で生まれた宮里孝子さん(71)=那覇市=は、沖縄戦で親を失い、孤児になった。誕生日も名前さえも分からなかった。結婚するまで戸籍もなかった。苦労を重ねた ▼国策で突き進んだ地上戦で、多くの住民が人生を狂わされた。戦後の米統治下で福祉的恩恵も受けられなかった。亡くなった魂の数だけ「肝苦さん」の経験を重ねた人が今を生きている ▼県民大会では、若者代表で平良美乃さん(23)=浦添市=も「わったーぬぬちん、わらびんちゃーぬぬちん、まじゅんまむてぃいちゃびら」(自分の命や子の命を一緒に守っていこう)と訴えた。戦後71年、広大な米軍基地は残り、今も命を守る闘いが続いている。 6月22日 犠牲を見つめ、戦後を生きる(2016年6月22日配信『琉球新報』−「金口木舌」) 米軍属に命を奪われた女性の遺体が見つかった恩納村の雑木林を2度訪ねた。容疑者逮捕の数日後と県民大会の前日である。県警が設置した規制線の前に花束が並ぶ。その一つ一つに県民の悲しみと怒りがこもる ▼女性への私信を記した紙片やぬいぐるみもある。同世代が書いたのだろうか。「苦しく、くやしかったネ」「たまには夢に出てきてね。会いたいです」という文面に胸を締め付けられる ▼菓子類も多い。この地に立った人々は生前の女性を想像し、これ以上犠牲を繰り返すまいと誓うだろう。花束を前にして、ふと思う。私たちは沖縄戦の犠牲者にも同じように向き合ってきたのではないか ▼慰霊の日、糸満市の魂魄(こんぱく)の塔の周囲には、花束や料理を盛った紙皿が並ぶ。お酒やたばこを手向けるのは亡き家族をしのんでのことだろう。遺族の記憶に残る犠牲者の姿は71年前のままだ ▼沖縄戦の犠牲となった家族を悼むように、私たちは蛮行の犠牲となった若い女性を悼む。沖縄戦と基地ある故の事件で失われた数多くの命を見つめ、県民は生きてきた。戦後沖縄の素顔は深い苦悩を刻んでいる ▼「あなたの死を無駄にはしない」。彼女にあてた言葉の一つだ。同じように私たちは沖縄戦の犠牲者に語り掛ける。県民はあす、それぞれの場でこの言葉を繰り返すだろう。心の中で鎮魂と平和の願いを添えた花束を握りしめて。 6月21日 沖縄は何に憤っているのか(2016年6月21日配信『日経新聞』―「社説」) 沖縄をめぐる様々なあつれきはどうして起きるのか。米軍絡みの犯罪にしても、普天間基地の県内移設にしても、個々の事象だけ追っても全体像はわからない。多くの県民は何に憤っているのか。それを知ることが、対話の糸口につながるはずだ。 沖縄に住む軍属の米国人による殺人事件への抗議集会が開かれた。普天間基地の県内移設に反対する翁長雄志知事の支持勢力が主催、日米地位協定の改定や海兵隊の撤収を求める決議を採択した。 「よく県全体(の声)という話をうかがうが、これは全く当たらない」。菅義偉官房長官は集会についてこう強調した。自民党などが不参加だったのは事実だが、これでは翁長知事とは話し合わないと言っているようなものだ。 日米両国政府は沖縄県の要望を踏まえ、地位協定における軍属の範囲の見直しを進めている。特権が縮小すれば犯罪抑止効果が見込める。ぜひ実現させてほしい。 問題は本土と沖縄の間に信頼関係がないことだ。日米がいくら努力しても「どうせ小手先の対策」と受け止められかねない。 沖縄の地理的重要性を考えれば一定数の米軍が沖縄に駐留することは日本の安全保障にとって不可欠だ。沖縄県民にもそう考える人は少なくない。にもかかわらず反基地運動が盛り上がるのは、安倍政権の姿勢が県民の心情を硬化させているからではないか。 普天間移設に必要な埋め立てに関する国土交通相の指示が適法かどうかを審査してきた総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は判断をせずに終了した。 「いずれの判断をしても国と地方のあるべき関係を構築することに資するとは考えられない」というのが小早川光郎委員長の説明である。法的に正しくとも力押しできないこともあるということだ。 安倍政権は沖縄との話し合いの糸口をまず探すべきだ。県民のために一生懸命に動いていると思われない限り、どんな対策を実施しても効果は生まない。 沖縄県民大会 納得がいく負担軽減を(2016年6月21日配信『信濃毎日新聞』−「社説」)
「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」…。沖縄の米軍基地反対の思いは強さを増しているようだ。紙に書いて一斉に掲げられた言葉が示した。 女性暴行殺害事件で元米海兵隊員の軍属が逮捕されて1カ月となったおととい、事件に抗議する県民大会が那覇市で開かれた。主催者発表で目標よりも多い約6万5千人が参加している。 冒頭で犠牲になった女性を追悼した。決議では海兵隊の撤退を含む基地の大幅な整理・縮小、米軍関係者に特権的な身分を認める地位協定の抜本改定を求めた。 米兵3人による少女暴行事件を受けて開かれた1995年の県民総決起大会の決議は基地の整理・縮小を柱にしていた。 今回、駐留米軍の大半を占める海兵隊の撤退要求に踏み込んだ背景に、米軍関係者による事件が後を絶たないことへの強いいら立ちがあるのは明らかだ。 沖縄の広さは国土面積のわずか0・6%しかない。その中に基地など在日米軍専用施設の74%が集中している。政府は「県民に寄り添う」と口で言うばかり。沖縄が求め続けている負担軽減や地位協定の改定は進まない。 大会に出席した翁長雄志知事は「二度とこのような事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えられなかったことは知事として痛恨の極み」と語った。 この21年、問題の解決を怠ってきた日米両政府に対する不信感も強くにじませた。 大会を主催したのは共産、社民両党や労働組合などでつくる「オール沖縄会議」だ。95年同様、党派を超えて沖縄の総意を示す集まりにする考えだった。 ところが、今回は自民、公明両党の地元組織が「革新色」が強いとし、参加を見送った。 沖縄県議会が先月可決した抗議決議や意見書でも海兵隊の撤退要求が含まれていた。自民は採決時に退席したが、公明は党中央と見解を異にし、賛成している。 参院選を目前に控え、各党の政治的な思惑が絡み、超党派の集会にならなかったことは後味の悪さも残してしまった。 翁長知事はきょう地位協定改定と基地縮小を要請するため、首相官邸や米大使館を訪れ、県民大会でも示された民意を伝える。 飲酒規制など、小手先の綱紀粛正策だけでは事件の再発を防ぐのは無理である。日米は沖縄の声にしっかり耳を傾けながら、県民が納得でき、実効性のある負担軽減策を具体化すべきだ。 沖縄と米軍基地/本気で負担軽減の議論を(2016年6月21日配信『神戸新聞』−「社説」)
沖縄で元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議する「県民大会」が開かれた。 参加者は約6万5千人(主催者発表)に上った。繰り返される事件に県民の怒りは頂点に達している。沖縄の声に耳を傾け、米軍基地の危険性除去と負担軽減に全力を尽くすのが政治の責務だ。 しかし、参院選の各党の公約を見る限り、基地問題に向き合う姿勢があまり伝わらない。とりわけ与党の自民、公明両党と野党第1党の民進党は、腰が引けていないか。 事件の遺族は県民大会にメッセージを寄せ、「次の犠牲者を出さないためにも」と全米軍基地撤去などの踏み込んだ対応を呼び掛けた。求められるのは、被害を防止するための具体的な取り組みだ。与野党は解決策を本気で議論すべきである。 国土面積の0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が集中する。忘れてはならないのは、沖縄返還前に本土から海兵隊が次々に移駐されたことだ。沖縄の基地過密の一因は本土側にもあると言える。 沖縄はずっと米兵らによる犯罪や事故にさらされてきた。殺人や性的暴行などの凶悪犯罪は、本土復帰後も約600件に上る。そうした中で今回の痛ましい事件は起きた。 在日米軍は飲酒規制の綱紀粛正策を打ち出したが、直後に女性兵士が酒酔い運転の疑いで沖縄県警に逮捕され、規律の緩みが露呈した。 県民大会は、海兵隊撤退と基地の大幅な縮小・整理などを決議した。米軍普天間飛行場については辺野古移設計画を条件としない閉鎖、撤去を求め、米軍に有利とされる日米地位協定の抜本改定も要求した。 いずれも腰を据えた対米交渉が不可欠となる。政府は日米同盟に配慮して地位協定の改定に踏み込まず、運用改善で対応する方針だが、民意を受けて改定を迫るべきだろう。 だが、自民党は公約で辺野古移設の「推進」を掲げ、沖縄の民意と距離を置く。日米地位協定は「あるべき姿を検討」とするにとどまる。公明党は基地問題に触れず、民進党も「米軍再編に関する日米合意を着実に実施」「地位協定の改定を提起」などと深入りを避けた印象だ。 一方で共産党は「普天間の無条件撤去」などを掲げる。何を「検討」し、どう「改定」するか、各党は徹底した論戦を展開する必要がある。 沖縄抗議集会 命守る基地負担軽減は国の責務(2016年6月21日配信『愛媛新聞』−「社説」) 「米軍の基地がある限り、事件はなくならない」―。沖縄県うるま市で20歳の女性が暴行殺害された事件で、米軍属が逮捕されてから1カ月。被害女性を悼み、事件に抗議する「県民大会」が開かれ、海兵隊の撤退や日米地位協定の抜本改定、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設断念などを訴えた。参加した6万5千人(主催者発表)をはじめ、全ての沖縄県民の怒りと悲しみを、国が、政治が、本土の人間が、猛省とともに真摯しんしに受け止めねばならない。 国内で唯一地上戦に巻き込まれ、県民の4人に1人、20万人もの犠牲者を出した沖縄戦が終結した「慰霊の日」(23日)も近い。日本中がその悲惨を思い起こし、二度と沖縄を本土の捨て石にすることのないよう誓いを新たにすべき日を前に、今なお悲劇が繰り返されることに改めて強い憤りを覚える。 米海兵隊は、日本が主権を回復した1952年以降、本土の反基地感情の高まりを受け米国の施政権下にあった沖縄に次々移った歴史がある。沖縄に今、在日米軍専用施設の約74%が集中する不条理を「当たり前」あるいは「人ごと」として放置、思考停止してはならない。長年の不作為を今こそ改め、基地負担の真の軽減に向けた政策転換に何としても踏み出すべきだ。 だが自民、公明両党は「政争の具に使っている」として大会に参加しなかった。参院選への影響を避けたい思惑が透ける。事件を「政治問題化」させたのは、沖縄の訴えを一顧だにせず踏みにじってきた政権の側であることを忘れてはならない。 95年に女子小学生が米兵に暴行された事件の際は8万5千人が抗議。翌年の普天間返還合意につながったが、20年たっても実現しない。今回の事件でも、安倍晋三首相は米政府に「強い抗議」の上「再発防止」を求めたが「政府は怒ったふりをし米国は謝ったふりをする」(社民党の又市征治幹事長)だけで、沖縄を守る姿勢は見えない。 辺野古移設の強硬姿勢も全く不変。自民の参院選公約も「辺野古への移設推進」一辺倒で、「首相は県民に寄り添うことに何ら関心がない」との翁長雄志知事の嘆きも県民の声も黙殺する、冷淡と頑迷を危惧する。 公明は、辺野古移設容認の党中央に対し、地元は海兵隊撤退まで求め、ねじれが拡大している。野党4党と市民連合の共通政策は「辺野古新基地建設の中止」を打ち出した。だが民進は「沖縄との対話を重ねつつ米軍再編に関する日米合意を実施」と曖昧。岡田克也代表は「地元の理解がないままでの移設には反対」と説明するが、県外移設を模索して頓挫、混乱させた党の「前科」を省みて、主張をより明確にしてもらいたい。 「この事件を素通りして沖縄が幸せになれるとは思えない」と、ある男子大学生は語った。国民である沖縄県民の命と尊厳をどう守るか。政治の最も大切な責務が問われている。 【2016参院選 沖縄の基地問題】安保の代償にしてはならぬ(2016年6月21日配信『高知新聞』−「社説」)
「怒りは限界を超えた」−−。公園を埋め尽くしたプラカードは、沖縄県民のあふれ出る思いを表していよう。 米軍属の男が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議する県民大会が那覇市内で開かれた。炎天下の会場に主催者発表で6・5万人が集まった原動力は、県民の強い憤りと悲しみに他ならない。 1995年に起きた米兵による少女暴行事件でも、反基地が大きな県民運動に発展し、翌年の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の全面返還合意につながった。 それから20年、凶悪犯罪は依然後を絶たない。普天間返還も実現するどころか、名護市辺野古への大がかりな移設計画に変貌した。県民の怒りは当然である。 沖縄には国内の米軍専用施設の74%が集中する。県民は米軍機の騒音や墜落の危険に悩まされ、米軍関係者の犯罪は沖縄復帰以降で6千件近くに上る。 日米安保の重要性は否定しないが不条理な犠牲を代償にしてはなるまい。沖縄の負担軽減へ、参院選でも論議を深めたい。 安倍政権と翁長県政は辺野古移設を巡り激しく対立している。 一時は埋め立て工事に絡み、提訴合戦に発展した。今春、協議推進などで和解が成立したが、双方の溝は埋まっていない。 政府と地方の全面対決は異常というしかなく、それだけ沖縄の政府不信は根深いといえる。 基地の県内固定化に一貫して反対してきた県に対し、政府は振興費というアメもちらつかせながら辺野古移設を迫ってきた。旧民主党政権時代には、鳩山首相が「最低でも県外(移設)」と表明しながら後に撤回するなど迷走した。 民意も事実上、黙殺されているといっていい。 2014年の県知事選、衆院選小選挙区も反辺野古派が勝利し、先の県議選でも反辺野古の先頭に立つ翁長知事派が過半数を占めた。それでも政府は辺野古移設が「唯一の解決策」との姿勢を譲らないが、根拠を明確にできているとは言い難い。 日米地位協定の改定問題もしかりだ。日本の捜査権が制限された協定の存在が、米軍関係者の犯罪を助長している面は否定できない。沖縄県は今回、改めて協定改定を政府に求め、自民党県連も党本部に要望書を提出している。 ところが、政府は改定ではなく、これまで同様に運用の見直しを強調する。それでは防げないことは実態が示している。国民の安全を守るためには、少なくとも基地の外で起きた犯罪は日本の司法制度で対処できるよう改定を進めるべきだ。 基地問題は安全保障に関わる国政上の重要課題である。決して「沖縄の問題」にしてはならない。県外移設も含め、全国の有権者で考えていかなければならない課題だ。 何かにびっくりし、おびえ、急に元気がなくなって(2016年6月21日配信『高知新聞』−「小社会」) 何かにびっくりし、おびえ、急に元気がなくなってしまう状態を沖縄では「魂を落とす」と言う。そんな時にはユタ(巫女(みこ))が祈願して、落とした魂を元の体内に戻す。 「マブイグミ(魂込め)」。魂が離れても肉体が元気なら正気に戻ることもあろう。だが肉体がなくなればそれもかなうまい。元米兵の軍属による沖縄の女性暴行殺害事件。遺体の発見現場でも、魂を呼び戻そうとする声が聞かれたそうだ。 事件に抗議する沖縄県民大会。被害者と同世代の女性の悲痛な声も胸に深く突き刺さった。安倍首相や本土の国民に向けて「事件の第二の加害者はだれですか? あなたたちです」。信頼する社会に裏切られ続ける絶望感、やむにやまれぬ思いが伝わってくる。 米軍基地はなくしてほしい。かといって県外に移設すれば、その土地の住民が同じ苦しみを味わう。だから沖縄では、声高な県外移設の要求は長く控えられてきたとされる。県民大会での若い世代の訴えは、「優しい沖縄」からの世論の変化を象徴していよう。 沖縄の思いに寄り添う。それは突き詰めれば本土の側が、米軍基地を引き取ることが可能かどうか真剣に考えること。私たち一人一人にその覚悟があるかどうかが問われる。 沖縄の怒りと悲しみを、国民の怒りと悲しみにしなければ政府は動かない。先の大戦では本土防衛の「捨て石」とされた。その死者の魂と向き合う慰霊の日も近い。 沖縄県民大会(2016年6月21日配信『佐賀新聞』−「論説」) 地位協定は“聖域”ではない 沖縄で元海兵隊員の米軍属が引き起こした女性暴行殺害事件。犠牲になった女性を悼む「県民大会」が開かれ、主催者発表で6万5千人が怒りの声を上げた。 「私の娘も被害者の一人となりました。なぜ娘が殺されなければならなかったのか」−。会場で読み上げられた父親の悲痛なメッセージは、事件がいかに理不尽かを私たちに突きつける。 翁長雄志知事は、1995年の米兵による少女暴行事件に触れて「二度とこのような事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えられなかったことは、知事として痛恨の極み」と悔やんだ。 県民大会は決議で「海兵隊の撤退」や「日米地位協定の抜本的改定」を求めたが、やはり、日米地位協定の改定が急務ではないか。 犯罪を起こした米軍関係者の取り扱いを定めた地位協定は、米側に有利な権利を認めている。特権によって守られているわけで、たとえ犯罪に手を染めても厳罰は免れられるという誤った意識が、米兵らの間にありはしないか。 事件のたび、米側は「綱紀粛正」「再発防止」という言葉を繰り返すが、まったく実効性に乏しい。 それにもかかわらず、日本政府の対応は鈍い。これまで同様、今回も地位協定の運用を見直すことで、事態を収拾するつもりのようだが、なぜ、日本政府は抜本的な見直しを求めないのだろうか。 政府には地位協定は手をつけられない“聖域”とでもいう思いこみがあるのではないか。 海外に目を向けると、これまでに韓国やドイツが米軍との間の地位協定を改定している。ドイツは71年と81年、そして東西ドイツが統一した後の93年にも改定した。韓国も米兵による犯罪の裁判権をめぐって91年と2001年に米側から譲歩を引き出している。 一方、日本は日米安保条約の改定時に地位協定を結んだ60年以来、ただの一度も改定していない。日本だけが改定できない理由はないだろう。 先日、来日したオバマ米大統領は、この問題で「遺憾の意」を表明したが、日本側は地位協定改定を求めはしなかった。 最近の国際情勢を考えれば、日米同盟は重みを増している。地位協定はその根幹に関わる重要な取り決めだ。それだけに、この問題をないがしろにしておくわけにはいかない。 県民大会では、参加者が「怒りは限界を超えた」とメッセージボードを掲げた。日米両政府は沖縄の声をしっかりと受け止め、具体的な行動に踏み出すべきだ。 23日には、沖縄戦が終わったとされる「慰霊の日」を迎える。太平洋戦争末期の沖縄戦では、日米双方で20万人以上が死亡し、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった。その後の米軍統治下で、土地接収により米軍基地が次々と建設され、沖縄は「基地の島」へと姿を変えた。 戦後71年を経てなお米軍基地が集中する姿は、いまだに沖縄では“戦後”が続いているのだと思わされる。私たちが歩んできた戦後の平和は、沖縄に過重な負担を強いて成り立ってきたのも確かだろう。沖縄の戦後に区切りをつけるため、まずは地位協定の改定から手をつけなくてはならない。( 沖縄県民大会 怒りにどう向き合うのか(2016年6月21日配信『熊本日日新聞』−「社説」) 「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」…。 沖縄で元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議し、被害女性を追悼する「県民大会」が19日、那覇市で開かれ、被害者と同じうるま市に住む女子大生が涙ながらに訴えた。その怒りにどう応えていくのか。 県民大会には主催者発表で約6万5千人が参加した。翁長雄志[おながたけし]知事は「政府は、県民の怒りが限界に達しつつあり、これ以上の基地負担による県民の犠牲は許されないことを理解すべきだ」と訴え、沖縄米海兵隊の撤退や在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定の抜本的改定などを求めることを決議した。 会場周辺には政党・団体関係者だけでなく一般市民の姿も多く見られた。沖縄県民の怒りは頂点に達している。政権与党の自民党、公明党は大会に参加しなかったが、政府も含めその声を真剣に受け止めるべきだ。 政府が取り組むべき課題は主に二つに集約される。日米地位協定の改定と、基地縮小を象徴する普天間飛行場の移設問題だ。 沖縄の人々は米軍の犯罪を日本の手で直ちに裁けないいらだちと闘ってきた。悲惨な事件が後を絶たない根源に「協定に守られた米兵のおごりがあるのではないか」との不信が渦巻く。 安倍首相は事件を受けて、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の際、オバマ米大統領に抗議し、実効的な再発防止策を求めた。しかし地位協定に関しては沖縄側が改定を求めていることすら伝えず、運用改善を検討する考えを示すにとどまっている。 安倍政権が日本外交の基軸とする「強固な日米同盟」の維持を優先したいのは明らかだ。改定交渉による関係悪化を避けたいとの思惑がにじむ。しかし、その後も米兵による酒酔い運転事故が起きるなど、事件・事故のたびに運用改善で対処してきたことの限界は明白だ。なぜ政府は改定に向けた協議を米側に提起できないのか。 沖縄県民が一貫して主張してきたことは、抜本的な対策には米軍基地の縮小しかないということだ。国土の約0・6%の面積しかない沖縄に在日米軍専用施設の約74%が集中し、米軍関係者による凶悪事件は後を絶たない。 1995年の米兵による少女暴行事件が契機となり、日米両政府による普天間飛行場返還合意につながったが、政府は代わりに名護市辺野古への新たな基地建設を進めている。「負担軽減につながらない」とする沖縄県民との間の溝は埋まらない。政府が議論の出発点を見直さない限り、事態は混迷を深めるだけだ。 沖縄の「県民大会」に呼応し、国会前でも抗議集会が開かれ、主催者によると約1万人が集まるなど本土でも共感の輪が広がっている。私たちに突きつけられている問題なのだ。沖縄の負担解消へ国民全体で向き合う時だろう。 名曲「童神」は1997年(2016年6月21日配信『沖縄タイムス』−「大弦小弦」) 名曲「童神」(わらびがみ)は1997年、古謝美佐子さんが初孫誕生の喜びと、娘への感謝を込めて作った歌だ。初めて生で聴いたのは2003年、宜野湾市主催の人権講演会だった ▼ハンセン病回復者・金城幸子さんの講演後、登場した古謝さんは2番で声を詰まらせ、しばし歌えなくなった。妊娠したハンセン病患者が国に堕胎を強制されたこと、胎児の亡きがらを沖縄愛楽園の砂浜に埋めたことなど、金城さんの語りと重なったためだ ▼「この曲で泣いたのは初めて。産むことを許されず、つらかっただろうな、本当に悔しかっただろうなって思ったら…」 ▼東日本大震災後は、3番がしばらく歌えなくなった。「風よけになってわが子を守りたい」という意味の歌詞が、震災で子を失った親の悲しみと重なったという ▼元米兵の暴行殺人事件に抗議する19日の県民大会で、古謝さんは被害女性や米軍による事件・事故の犠牲者全てに「童神」をささげた。「私は全ての命に歌うよ。しなやかに、ぐさっと刺すように」。歌い終えた目に涙があふれた ▼沖縄は2日後、「慰霊の日」を迎える。30日は、小学生ら18人が犠牲になった宮森小への米軍機墜落から57年の追悼式がある。死ななくてよかったはずの命に、人々はことしも無念な思いで手を合わせる。戦後71年、命を慈しむ「童神」がいつもより深く響く。 沖縄県民大会(2016年6月21日配信『しんぶん赤旗』−「主張」) 県民の怒りで「壁」突き崩そう 「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」―元米海兵隊員の軍属による女性暴行・殺人事件を受けて19日沖縄県で開かれた「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」。炎天下、主催者の予想を上回る約6万5千人が参加し、未来ある命を奪われた20歳の女性を追悼し、日米両政府に改めて謝罪と完全補償を求め、二度と悲劇を繰り返させないため米海兵隊の撤退を迫りました。基地あるが故に絶えまなく引き起こされる米兵による事件や事故に「県民の怒りと悲しみは限界を超え」(大会決議)ています。安倍政権は県民の意思に真剣に応えるべきです。 命守れなかった悲しみ 「無念は計り知れない。次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古新基地反対」とメッセージを寄せた被害者の父親。「同世代の女性が命を奪われる。私だったかもしれない。もう絶対に繰り返さない」と涙ながらに決意を語った若い女性。喪服姿も多い異例な集会は、命を守りきれなかった悲しみをもう繰り返させないという決意に包まれました。 沖縄には、日本の国土の約0・6%しかないのに、在日米軍の専用基地が面積で約74%も集中しています。戦後70年を超え、沖縄が日本に復帰してからでも40年以上たつのに、なお基地あるが故の事件・事故が繰り返される背景にはこうした異常な実態があります。 県民大会であいさつした翁長雄志知事は、21年前の少女暴行事件にも触れながら、「政治の仕組みを変えることができなかったことは政治家としての痛恨の極み」と語り、沖縄に基地を押し付けてきた日米両政府の「壁」を突き崩す決意を表明しました。 県民大会の決議は、日米両政府は事件事故が起きるたび、「綱紀粛正」「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはないとし、「もはや『基地をなくすべきだ』との県民の怒りの声はおさまらない」と強調します。 現在、沖縄に駐留する米軍の主力は、海兵隊です。沖縄の海兵隊は、「第3海兵遠征軍」という名称が示すように、海外侵攻=“殴り込み”専門部隊であり、「日本防衛」の任務を持っていません。実戦のために激しい訓練を繰り返す海兵隊は、沖縄での米軍犯罪の温床です。大会決議が「県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である」と強調したのはあまりにも当然です。 今回の悲惨な女性殺害・遺体遺棄事件に対しても、安倍首相はアメリカのオバマ大統領との会談でも米軍基地の撤去を求めるどころか、在日米軍の特権的な地位を定めた地位協定の見直しにさえ言及していません。名護市辺野古での米軍の新基地建設をあくまで進める態度です。県民・国民の世論で日米両政府の「壁」を突き崩していくことがいよいよ重要です。 23日は沖縄「慰霊の日」 沖縄は23日に第2次大戦末期の沖縄戦で日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされる「慰霊の日」を迎えます。沖縄の米軍基地は沖縄戦とその後、米軍が県民から土地を奪って建設したものです。 沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になった沖縄にこれ以上の基地負担押し付けは許されません。海兵隊を撤退させ、「基地のない平和な沖縄」を目指すのが急務です。 6月20日 沖縄県民大会 怒りにどう応えるのか(2016年6月20日配信『茨城新聞』−「論説」) 沖縄県で20歳の女性が元海兵隊員の米軍属に殺害された事件に抗議する「県民大会」が那覇市で開かれ、主催者発表で約6万5千人が参加、「怒りは限界を超えた」と書いた紙を多くの人々が掲げた。 1995年に米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた県民総決起大会から21年。その翌年に日米両政府が合意した米軍普天間飛行場の返還は実現せず、名護市辺野古への移設を巡って日本政府と県の対立が続く中で起きた痛ましい事件だ。 大会では日米両政府に謝罪と補償を要求し、沖縄の海兵隊の撤退や在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定の抜本的改定などを求めることを決議。翁長雄志知事は「政府は県民の怒りが限界に達しつつあり、これ以上の基地負担による県民の犠牲は許されないことを理解すべきだ」と訴えた。 安倍晋三首相は日本の外交・安全保障政策は「日米同盟が基軸」だと強調する。だがそれは国土の約0・6%の面積しかない沖縄に、在日米軍専用施設の約74%が集中する「過重な負担」の上に成り立っている。 翁長知事は「再び事件・事故が起きれば日米安保体制は吹っ飛ぶ。砂上の楼閣だ」と指摘する。政府は同盟の基盤を揺るがしかねないこの事態を厳しく受け止め、抜本的な対策を講じるべきだ。 政府が取り組むべき課題は主に二つに集約される。一つ目は日米地位協定の改定。二つ目は基地縮小を象徴する普天間飛行場の移設問題だ。 今回の事件を受け、安倍首相は主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の際、オバマ米大統領に抗議し、実効的な再発防止策を求めた。しかし地位協定に関しては沖縄側が改定を求めていることすら伝えず、運用改善を検討する考えを示すにとどまった。大統領は再発防止を約束したが、直後に米兵による酒酔い運転事故が起きている。 地位協定は米兵らの事件・事故の裁判権などで米側に優位な権利を認めており、処罰を回避できるとの意識が犯罪がなくならない背景にあると指摘される。60年の発効以来一度も改定されておらず、政府は事件・事故のたびの運用改善で対処しようとしてきた。なぜ改定に向けた協議を米側に提起できないのか。 二つ目の普天間移設を巡っては、政府と県の間で訴訟の和解が成立し、協議の場が設定されている。だが政府は協議の場でもまず「辺野古移設が唯一の解決策」と主張する。これでは打開策が見いだせるはずがない。先の沖縄県議選でも辺野古移設反対派が過半数を占めた。政府が議論の出発点を見直さない限り、事態は混迷を深めるだけだ。 95年の大会決議は基地の整理・縮小と地位協定の見直しにとどまっていた。今回、海兵隊撤退や地位協定改定にまで強まったのは「県民の心が収まらない」(翁長知事)ためだろう。その一方で政権与党の自民、公明両党は参加せず超党派の大会とはならなかった。参院選を前に政治的対立が持ち込まれた面もある。 だがこれだけ多くの人々が参加した現実を政府は直視すべきだ。大会で被害女性と同世代の若者は「変わらない過去、変えていこう未来」とのメッセージを発表した。しっかりとした安保体制をどう構築するのか。沖縄の負担解消に向き合う政府の姿勢が問われる。 (2016年6月20日配信『信濃毎日新聞』−「斜面」) 沖縄が日本に返還される約1年前の1971年6月、1人の少女が歌手デビューした。「シンシア」の愛称で知られる南沙織さんである。長い髪とエキゾチックな顔立ち、はつらつとした声で多くのファンの心をつかんだ ◆ 有名な作詞家、作曲家による曲にも恵まれた。吉永小百合さんのファンに倣って「サオリスト」という言葉が生まれたほどだった。78年に引退。写真家の篠山紀信さんと結婚すると、表舞台に出ることはあまりなくなっていった ◆ 南さんが育ったのは米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市だ。爆音は生活の一部だった。歌手時代は沖縄が抱える問題について多くを語らなかったが、デビュー30年を過ぎたころからマスコミの取材に答えるようになる。関西大学教授で、熱心なファンだった永井良和さんの著書「南沙織がいたころ」に詳しい ◆ 5年前に本紙にも記事が載った。「あの危ない飛行場がなぜ、いまだにあるのか。移設先が辺野古の海というのもだめ」と語っている。永井さんによると「沖縄という場所が沙織さんにとっていとおしくなっている」のだという ◆ 沖縄ではきのう、元米海兵隊員が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議する大規模な県民大会が開かれた。海兵隊の撤退などを求めている。かつて、南さんの歌によって沖縄に関心を持った人もいたのではないか。当時も今も重苦しい沖縄の現実である。 沖縄県民大会 怒りと抗議に向き合え(2016年6月20日配信『朝日新聞』−「社説」) 「今回もまた、1人の命を守れなかった」。発言者からは異口同音に、無念さ、悔しさのこもった言葉が続いた。 沖縄県で米軍属の男が殺人・強姦(ごうかん)致死容疑で逮捕された事件に抗議し、犠牲となった女性を追悼する県民大会が、きのう炎天下の那覇市で開かれた。 基地があるがゆえの事件はやまない。そのたびに米軍や政府は「再発防止」「綱紀粛正」を約束する。それでもまた事件は起き、県民を打ちのめす。 1995年の少女暴行事件後の県民大会には、党派を超えて8万5千人(主催者発表)が参加した。この怒りの広がりが、米軍普天間飛行場の日米返還合意へとつながった。 だが今回は、県政野党の自民党や中立の公明党が大会への参加を見送った。このため、事前には「抗議の広がりは限定的ではないか」との見方もあった。 だが、参加者は主催者発表で6万5千人。5万人の目標を大幅に上回った。 事件後、複数の米軍基地前で追悼や抗議の集会が続く。今回合流しなかった公明は独自に追悼集会を開き、自民も後日、同様の集会を予定している。 県民大会が超党派の形にならなかったのは、決議文の内容や運営方法をめぐって、主催で翁長雄志知事を支持する「オール沖縄会議」と、自民、公明が折り合えなかったためだ。 決議文のうち「在沖米海兵隊の撤退」と「普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念」を自民が受け入れず、公明も歩調をあわせて参加を断った。 とはいえ、事件への怒りや悲しみは沖縄の自公も共有しているはずだ。基地の整理縮小や日米地位協定の改定を求める点でも一致している。大会に込められた県民の意思を、安倍政権は重く受け止める必要がある。 沖縄では07年の教科書検定意見撤回要求、12年のオスプレイ配備反対と、保革を超えた取り組みが誕生。翁長知事を生んだ「オール沖縄」勢力が、新たな政治の潮流を形作ってきた。 その流れを止めようとしたのが中央の政権である。 自民党本部は2年半前、米軍普天間飛行場の県外移設を公約としていた沖縄選出の国会議員や県連に公約を破棄させた。 「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府・与党のかたくなな姿勢が、沖縄県民の間に深い亀裂を生んでいる。 新たな犠牲者を出さないためにも、沖縄の分断をこれ以上深めないためにも、政府・与党は沖縄県民の思いに正面から誠実に向き合わねばならない。 沖縄県民大会 「繰り返さない」の誓い(2016年6月20日配信『毎日新聞』−「社説」) 沖縄がいかに理不尽なものを押しつけられているか、すべての参加者が改めてかみしめたことだろう。 沖縄県うるま市の若い女性が無残な遺体で発見され、元米海兵隊員で米軍属の男が殺人などの疑いで逮捕された事件。抗議の県民大会がきのう那覇市の奥武山(おうのやま)公園で開かれ、約6万5000人が参加した。 壇上で翁長雄志(おながたけし)県知事は「21年前に二度と事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかったことは、政治家として、知事として、痛恨の極みだ」と悔しさを訴えた。 21年前とは、1995年に沖縄で起きた米兵3人による少女暴行事件を指す。いたいけな少女への蛮行に、積もり積もった県民の怒りが爆発した。当時も、約8万5000人が参加して抗議集会が開かれ、「島ぐるみ」のうねりに発展した。 日米両政府が宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還で合意したのは、少女暴行事件が起点になっている。ただし、返還そのものは、名護市辺野古への県内移設が条件になったため、いまだに実現していない。 再発防止に向けて沖縄が求めた日米地位協定の改定も見送られ、運用の改善にとどまっている。 事件・事故はなくならない。米軍関係者による犯罪は、72年の本土復帰から今年5月までに沖縄で5910件発生し、うち殺人や強姦(ごうかん)などの凶悪事件が575件を数える。 きのうの大会には、21年前の大会にも参加した人が数多くいた。北谷町から来た公務員の男性(62)もその一人だ。梅雨が明けた炎天下のグラウンドで「声を上げたのに変えられなかった。でも、声を上げ続けなければ変わらない。こういう沖縄では駄目だ」と静かに語った。 今回の事件後、米側は地位協定に基づく特別な法的地位を与えられる「軍属」の範囲を見直すことに同意した。軍人・軍属の基地外での飲酒や深夜の外出も制限された。 しかし、どれほど効果があるのかは不明だ。曲がりなりにも両政府が危機感を持った21年前と比べて、今回の動きは明らかに鈍い。沖縄の人びとが心の底から怒りを口にしても、同じような日常が繰り返されるとしたら沖縄は救われない。 大会で採択された決議は、地位協定の抜本的改定や、普天間の県内移設によらない閉鎖・撤去に加えて、在沖海兵隊の撤退も求めている。 沖縄は23日に「慰霊の日」を迎える。戦後71年たってなお、国土面積の0・6%しかない沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中し、若い女性が基地の存在ゆえの凶悪な事件で命を落とす。そんな沖縄に終止符を打つことが日本全体の務めだ。 天からの恵みを受けて(2016年6月20日配信『毎日新聞』−「余禄」) 天からの恵みを受けてこの世界に生まれたわが子よ、わたしが守り育てる−−。沖縄出身の歌手、古謝美佐子(こじゃみさこ)さんが歌う「童神(わらびがみ)」は授かった子供を母親が優しく包み込むようにあやす曲だ ▲強い陽光が注ぐ会場に、彼女の歌が響き渡った。沖縄県うるま市の女性会社員(20)が殺害された事件で大規模な県民大会がきのう那覇市内で開かれた。被害者の無念、わが子を奪われた親の思いを参加者は自分のことのように感じている ▲事件はもう一つの悲しみも生んだ。容疑者の米軍属と日本人の妻との間には生まれて間もない子供がいる。「この子には何の罪もない。これからどうやって生きていくのでしょうか」。そう案じる沖縄の人たちの声を聞いた。この子は基地があったから生まれてくることができた。そして基地がなければ事件は起きなかった ▲遺体が見つかった現場の近くを訪れ、花束を供えて手を合わせる人が絶えない。まだ若かった女性の死を悼むからだろう。ピンクや薄紫のかわいらしい花が目立つ。一方、容疑者の家は静まりかえり、訪れる人はいない。5月には窓にこいのぼりも飾られていたという ▲戦後の占領期には本土の各地でも進駐軍の兵士らによる事件が多発した。髪や肌の色の違う子供が生まれ、親に育てられず孤児になった子も多い。戦後70年が過ぎた沖縄は今なお、終戦直後の日本の影を独り背負い続けている ▲県民大会で古謝さんが歌う「童神」を聞きながら涙を流し、黙とうをささげる人も多かった。怒りの底にある深い悲しみを本土はどれほど感じられているのか。同じ日、被害女性の四十九日の法要が営まれた。 沖縄県民大会 耳傾けるべき声がある(2016年6月20日配信『東京新聞』−「社説」) 米軍犯罪の犠牲者を二度と生み出さない。沖縄の県民大会で表明された人々の願いと覚悟だ。沖縄に基地を集中させている日米政府はもちろん、私たち国民全体が沖縄の声に耳を傾けるべきだ。 うるま市の20歳の女性が元海兵隊員の軍属に殺害され、無残な姿で発見されてから1カ月。大会では多くの人から苦しみが語られた。若い命を守れなかった悔しさや怒り。「被害者は私だったかもしれない」と、女性の感じた恐怖や悲しみに共感している。 1995年の少女暴行事件から20年がたっても、相変わらず米軍関係者の犯罪が繰り返されてきた。事件や事故のたびに日米両政府が示す再発防止や綱紀粛正の策は小手先だった。今回もそうだ。日本側は警察官を増やしてパトロールを強化したり、街路灯を増やし、米側は米兵らに飲酒禁止を求めた。これが県民の怒りや苦悩を理解した対応なのか。県民の要求とはあまりにかけ離れている。 米軍に特権を与えている地位協定についても、今回は軍属が公務外で起こした事件であり、直接捜査の障壁になっていないとして、抜本改定はしないという。 だが、翁長雄志県知事は異を唱える。基地の外で起きた米軍関係者の事件をすべて日本の司法で裁くなど、不平等な協定を対等な内容へと抜本改定を求める。全基地撤去を求める世論も膨らんでいる。辺野古新基地建設に反対する運動に象徴されるように、沖縄社会は変わった。大会決議で「海兵隊撤退」が掲げられたように、「基地の整理縮小」のレベルで県民の心はもう収めきれない。 県民大会は超党派による開催が探られたが、調整は難航した。辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄会議」の主催では参院選への影響もあるとみたのだろう。辺野古への新基地建設を容認する自民や、政権与党の公明は参加しなかった。 問題なのは、このように沖縄の人々を分断させているのはだれなのかということだ。米軍犯罪の本質は、日米安保のために、在日米軍施設の大半を沖縄に集中させてきた基地政策にこそある。 71年前の今頃、沖縄は壮絶な地上戦の最中にあった。戦後は米兵らの犯罪や事故も問えない、治外法権に泣かされてきた。この不条理な歴史を終わらせたい。 県民大会に連帯し、国会前など41都道府県で市民集会が開かれた。沖縄の問題に閉じ込めず、日本全体で、わが事としたい。 沖縄県民大会 政府は怒りの声を聞け(2016年6月20日配信『京都新聞』−「社説」) 沖縄県うるま市で発生した女性暴行殺害事件に抗議する「県民大会」が那覇市で開かれた。女性が遺体で見つかり、米軍属の容疑者が逮捕されて1カ月。大会には翁長雄志知事も出席、約6万5千人の参加者(主催者発表)が女性を追悼し、沖縄に駐留する米軍の大半を占める海兵隊の撤退や基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的改定を求めて決議した。 米兵3人による少女暴行事件をきっかけに開かれた1995年10月の「県民総決起大会」から20年以上たっても、改善の道が見えないことに対する県民の怒りは大きい。政府は大会決議を重く受け止めなければならない。 県民の怒りの背景には、戦後も米軍基地負担を強いられ、米軍関係者による犯罪被害に遭ってきた過酷な現実がある。 沖縄県警の統計では、72年の本土復帰以降、2015年までの米軍関係者の刑法犯検挙数は5896件、このうち殺人26件、強盗394件、強姦129件など凶悪犯罪は574件にのぼる。被害者が声を上げられず統計に表れない事件も多いとされる。 これほど被害が集中するのは、本土復帰後も米軍基地の負担軽減が進まず、国土面積0・6%の沖縄県に、在日米軍専用施設の約74%が集中しているからだ。中でも海兵隊は施設面積の約7割、軍人数の約6割を占めている。 今回の事件で、県議会が「海兵隊撤退要求」を盛り込んだ抗議決議を採択したのも理解できる。基地問題に慎重な立場の公明党さえ賛成に回った。事件が起きる度に綱紀粛正を求めても効果がない米軍への怒りの深さが表れている。 さらに、県民がいら立ちを募らせるのは、米軍の犯罪を日本で裁けない日米地位協定の存在だ。協定は、米軍人らの公務中の事件・事故は米側に1次裁判権があると定める。抗議活動の広がりで、一定の改善は行われてきたが、裁量権は米側にあり、運用には限界がある。 しかし、政府は知事選や県議選で示された民意に耳を傾けようとしない。95年の総決起大会は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意につながったが、名護市辺野古への移転に反対する県民の意思に反して、政府は「唯一の解決策」として県と対立している。地位協定の改定にも踏み出さないままだ。 大会決議は「米軍基地がある故の事件であり、断じて許されるものではない」と訴えた。政府は沖縄の現実に目を向けるべきだ。 沖縄県民大会 怒りの声を受け止めねば(2016年6月20日配信『山陽新聞』−「社説」) 沖縄県うるま市で起きた女性暴行殺害事件に抗議する「県民大会」がきのう、那覇市で開かれた。事件ではウオーキング中の20歳の女性が行方不明となり、遺体で見つかった。米軍属で元海兵隊員の男が逮捕され、きのうでちょうど1カ月となった。 大会には主催者発表で約6万5千人が参加した。米軍関係者による犯罪が繰り返される根底には沖縄に集中する米軍基地の存在があるとして、沖縄に駐留する米軍の大半を占める海兵隊の撤退、米軍普天間飛行場の県内移設によらない閉鎖・撤去、在日米軍の法的特権を定めた日米地位協定の抜本的改定などを求める大会決議を採択した。 今回の大会は自民、公明両党が参加を見送り、超党派での開催に至らなかった。そのため政府側には冷静に見る向きもあるようだ。しかし、海兵隊の撤退要求は、事件後の沖縄県議会の抗議決議や意見書にも盛り込まれている。県民の怒りは、海兵隊の撤退を求めるまでに高まっている。その現実に日米両政府は向き合うべきだ。 大会では、米軍人による性犯罪被害者の相談に乗ってきた女性や、今回の被害者と同年代の若者らがマイクを握り、思いを語った。沖縄の人々が事件から1カ月間、「なぜ事件を防げなかったのか」と自問し、苦しんできたことが伝わってきた。 登壇した翁長雄志知事は、遺体発見現場を訪れたことに触れ、「(被害者に)『守ってあげられなくてごめんなさい』とわびた。21年前に事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えられず、痛恨の極み」と述べた。 21年前とは、1995年に小学生が米兵に暴行された事件を指す。県民の怒りは沸騰し、県民大会が開かれた。その95年に生まれた女性が今回の被害者になった事実は多くの県民に衝撃を与えている。 本土に暮らす私たちも「沖縄の問題」と人ごとにはできない。大会では被害者と同世代の女性が「本土にお住まいの皆さん。しっかり沖縄に向き合っていただけませんか」と涙ながらに訴えた。 米海兵隊は1950年代から日本本土に駐留したが、基地反対運動が盛んになり、多くが米施政権下にあった沖縄に移った。そうした経緯も知った上で国民が沖縄の問題を考える必要がある。県民集会に合わせて各地で集会が開かれたのも、本土側で関心が高まっている表れだろう。 沖縄の現状を変えるのは容易でないとしても、日米地位協定の抜本的な見直しに向けた本格的な議論を日米両政府は始めるべきだ。今回の事件は地位協定が直接支障となるケースではなかったが、米軍関係者に特権意識を持たせている地位協定の存在が、犯罪の温床になっていると指摘されて久しい。「怒りは限界を超えた」とする沖縄県民の声を無視すれば、日米関係に大きな支障を与えかねない。 沖縄「県民大会」 怒りは限界、次の一歩を(2016年6月20日配信『中国新聞』−「社説」) きのう、那覇市の奥武山(おうのやま)公園には、炎天下に6万5千人が集まった。一斉に掲げたメッセージボードには「怒りは限界を超えた」とあった。それこそが今の沖縄県民の声なのだろう。 元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に抗議する「県民大会」である。追悼のため、黒いものを身に着けた参加者が多かった。自宅からウオーキングに出掛けた20歳の女性が不意に襲われた事件。もし被害を受けたのが自分や家族だったら―。人ごとではなく受け止め、憤りと深い悲しみを感じていたに違いない。 積もり積もった悔しさもあるだろう。亡くなった女性が生まれたのは1995年。12歳の女子小学生が米兵に暴行された年である。その事件に端を発し、日米両政府による米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意がなされたが、いまだに実現していない。そればかりか米軍関係者による凶悪犯罪は繰り返されてきた。 その怒りの矛先は基地へと向かう。もう一つのメッセージボードにはこうあった。「海兵隊は撤退を」。この訴えを大会決議に盛り込んだことなどから、自民・公明両党は参加を見送ったとみられる。超党派の大会とならなかったのは残念だが、「反基地」の声がこれまでになく高まっているのは確かだ。 実際、沖縄県議会も72年の本土復帰以降初めて、「海兵隊撤退要求」を盛り込んだ抗議決議を可決した。県政に中立で基地問題に慎重な立場の公明党も賛成に回った。その後の琉球新報などの世論調査でも、事件事故を防ぐためには「全基地撤去」を望む意見が43%と最多で、「在沖米軍基地の整理縮小」の27%と差が開いた。 そうした中で、政府と沖縄県民との感覚のずれは広がるばかりではないのか。 日米地位協定への向き合い方にしてもそうだ。米軍人らの日本側の捜査や裁判権を制限する不平等な協定について、沖縄からは抜本的な改定を求める声が上がる。だが政府は、米国に対し小手先の運用改善を迫るにとどまる。改定に向けた具体的な交渉を提案すべきだ。 その交渉を避けたまま、米海兵隊の普天間飛行場の移設先として「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返しても、沖縄の人々の賛同は得られないだろう。 本土の私たちも、沖縄に在日米軍専用施設の74・4%がある現実を見つめ直す必要がある。 とりわけ米海兵隊は、日本が主権を回復した52年以降、本土の反基地感情の高まりを受け、米施政権下の沖縄に次々と移った歴史がある。 結果的に沖縄に負担を押し付けていることや関心の薄さが許せなかったのだろう。県民大会でスピーチした学生は本土の国民に向けて「第二の加害者は、あなたたちだ」と涙ながらに語った。その言葉は重い。 そもそも海兵隊が沖縄に駐留する必然性についても、再検討すべきである。日本政府が念頭に置く尖閣諸島の有事の場合でも、一義的な防衛は自衛隊が担わなければならず、米軍の出動は空軍や海軍が先になるという見方もある。 このまま負担を押し付けていいはずはない。沖縄の怒りの声に向き合い、次の一歩をどう踏み出すかをともに考えたい。 悲しみの「うりずん」(2016年6月20日配信『中国新聞』−「天風録」) 「うりずん」という早春を指す沖縄の古語が好きだ。うり(潤う)ずん(染み通る)である。冬枯れを耐えた大地も、雨の恵みで生き生きしてくる。やはり古語で「若夏(わかなつ)」と呼ぶ初夏に続く。沖縄学の泰斗、外間守善(ほかま・しゅぜん)氏の遺著から ▲うりずんの候に消息を絶った20歳の女性は、予期せぬ暴力の末に痛ましい姿で見つかった。程なく巡り来る若夏を楽しむこともないまま。きのう、かの地では彼女を悼み、米海兵隊の撤退を求める県民大会が開かれた ▲被害者は私だったかもしれない―。同じ世代の女性たちが声を上げ始めている。ウオーキングもできない日常なんて。もう「綱紀粛正」「再発防止」の4文字など誰も信じまい ▲沖縄で映画を撮る三上智恵さんのブログの詩に黒い蝶(ちょう)が出てくる。<彼女の残した笑顔があまりに愛らしかったので/天の神さまは舞い上がる蝶の最後の記憶を消した>。蝶になった人の、あまりにいまわしい記憶を ▲<神さまは蝶の最後の記憶を黒い粉にして/おろかな国の民すべての頭の上にまんべんなく降らせた>と詩は続く。悲しい「うりずん」は嫌いだ。黒い粉を浴びて悲しみをともにする。そこから日本の中の沖縄を問うてみる。 沖縄の涙(2016年6月20日配信『愛媛新聞』−「地軸」) 仕事からの帰り道、和らいだ暑さに一息つき、風を感じながら歩く。ウオーキング姿の女性が横を通り過ぎる。午後8時。ふと思う。彼女も、この時間こうして普段通り歩いていたのだと ▲沖縄県うるま市で米軍属の男に命を奪われた20歳の女性。その無念と家族の癒えようもない悲しみに、「県民大会」の会場を埋め尽くした人々は涙で訴えた。「悲しい大会はきょうで最後にしたい」 ▲1995年の米兵による少女暴行事件を受けた総決起大会もそうだった。「基地がある故の苦悩から早く解放してください」。壇上から呼び掛けた女子高校生の懸命の祈りは今もまだ届かない ▲「梅雨の間に 奪はれてゐぬ 彼女(ひと)の命 基地の島です 未だ異国の」。歌人の玉城洋子さんは、基地に翻弄(ほんろう)される苦しみを詠み、反戦平和を訴え続ける ▲小学5年の時、同じ石川市(現うるま市)に住む6歳の少女が、嘉手納基地所属の軍曹に殺害された。6年生になって、自らも米兵に銃を突きつけられた。中学3年の時には、近くの小学校に米軍戦闘機が墜落するのを目撃した。ごう音、焼け焦げた子どもたち…。児童ら17人が犠牲になった。消えぬ記憶が胸をかきむしる ▲「またも命を救えずみんな悔やんでいる。これ以上、子や孫に苦しみを味わわせたくない」。玉城さんの言葉が重く迫る。同じ日本の中での不条理。このまま「異国」のままにしておいて、よいはずがない。 (2016年6月20日配信『徳島新聞』−「鳴潮」) 教師だった父は、防衛隊に召集されて死んだ。まだ30代だった。女学生だった姉は、ひめゆり部隊に加わり二度と戻って来なかった。まだ16歳だった。沖縄戦から71年がたつ。それなのに、と思う 女性暴行殺害事件に抗議する「県民大会」で出会った沖縄市の安里俊子さん(72)が、抑えきれない怒りを語ってくれた。一体、何度繰り返されるのか。沖縄の人間は、いつになったら安心して生活できるのか 1972年の復帰後、米軍人・軍属が絡んだ犯罪は、凶悪事件だけで575件に上る。大会では、駐留する米海兵隊の撤退や基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的な改定を求める決議をした。日米両政府は、この悲痛な声に、今度こそしっかり応えるべきだ 恩納村の遺体遺棄現場で手を合わせていた男性(68)。米軍属と結婚した娘がいるという。すべての米兵が悪いわけではないと断りつつ、こう言った。「まるで植民地さ。基地がある限り事件は起きる。県外の人も体験してみればいい。基地のある暮らしを」 沖縄の声は、過重な基地負担を押し付けながら、その痛みにまるで想像が及ばない「本土」の無関心をも問うている。私たち自身が問われているのである 大会の壇上に立った若者のこんな叫びを聞いた。「今回の事件の第二の加害者はあなた方です」。返す言葉がない。 [哀悼のあとに]理不尽な現実変えよう(2016年6月20日配信『沖縄タイムス』−「社説」) 世代を超えて女性の姿が目立った。彼女たちの多くが弔意を表す喪服を着用している。モノトーンの色調で埋め尽くされた会場に渦巻いていたのは沖縄の「公憤」だ。 復帰後、最も残虐な事件に対する強い怒り、被害者の痛みを想像することによって生まれる新たな痛みの感情、若い命を救うことができなかった自責の念などが入り交じった思いである。 20歳の女性の命が奪われた元海兵隊員による暴行殺人事件を受けて19日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で開かれた被害者を追悼する県民大会。梅雨明けの強烈な日差しが照りつけ、玉のような汗が噴き出す会場に約6万5千人(主催者発表)が集まった。 「なぜ娘は殺されなければならなかったのか。次の被害者を出さないためにも全基地撤去を願っている」 亡くなった女性の父親が寄せたメッセージからは、個人の尊厳を奪う卑劣な犯罪への怒りと、もはや基地政策を見直すしかないという思いがにじむ。 登壇した大学生の玉城愛さんは、時折言葉を詰まらせながら思いの丈をぶつけた。 「生きる尊厳と時間が軍隊によって否定される社会を誰がつくったのか」 沖縄では1995年の暴行事件以降、米兵による性暴力を基地がもたらす人権侵害ととらえ、安全保障のあり方を問う運動が女性たちによって続けられてきた。 米軍基地が過度に集中し、その結果、女性の人権が脅かされている現実をこれ以上見過ごすわけにはいかない。 ■ ■ 今回「海兵隊の撤退」という踏み込んだ要求を大会決議に加えたのは、県民の怒りが限界を超え「妥協できない」という声が高まったからだ。 翁長雄志知事はあいさつの中で、日米地位協定の抜本的な見直しと海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理縮小に取り組んでいく「不退転の決意」を示した。 沖縄の海兵隊はベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、米軍がかかわった戦後の主な戦争のほとんどに投入された。 沖縄で事前訓練を受け、激しい戦闘に従事し、任務を終え、沖縄に帰還する。このような軍隊が狭い島に常駐していることが、地域の人々にとってどれほど大きな負担となっているか、本土の人たちは自分のこととして想像したことがあるだろうか。 しかも沖縄では演習場や飛行場が住民の生活空間と隣接しているのである。 ■ ■ 県民大会は子を慈しむ母の愛を歌った古謝美佐子さんの「童神」で始まり、沖縄戦をテーマにした海勢頭豊さんの「月桃」で締めくくられた。 3日後の23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。71年前の米軍上陸直後から始まった米兵による女性への性犯罪は今も続く。戦争ははたして終わったといえるのだろうか。 「これを最後に」との思いが強くにじみでた大会は、県民の心の奥底で大きな意識の変化が起きていることを印象づけた。静かに、しかし確実に沖縄社会の内部で地殻変動が起きている。 19日、恩納村の雑木林(2016年6月20日配信『沖縄タイムス』−「大弦小弦」) 19日、恩納村の雑木林。花束をくるむフィルムに日光が乱反射していた。花は数えられるだけで403束あった。折り重なっているから実際はその倍くらいありそうだ ▼元米兵による暴行殺人事件の被害女性が発見されて1カ月。奥の花はドライフラワーのように枯れたが、この日もみずみずしい花が新たに手向けられた ▼名護市から来た男性は言った。「名護の子を守れず、何を言ってもむなしい。大人として頑張るだけ」。女性は「沖縄の将来を摘み取る基地は撤去しかない。県民みんながその責任を背負っていく」と泣いた ▼「大人の責任」。17日の名護市民集会でも、女性団体代表の岸本能子(たかこ)さん(68)が触れた。「事件が起こるたびに怒りに身を震わせても、いつも日常生活に埋もれてしまう」と打ち明けた。被害女性に「あなたは私たちを糾弾してもいいのです」と語り掛けた ▼岸本さん自身も、事件と隣り合わせの不条理な戦後沖縄を生きてきた。夫は元名護市長の建男さん。戦後60年以上たってなお基地問題に命を削られ、失った ▼沖縄で暮らす誰もがこの事件と基地問題の当事者で、同時に責任の一端を負わされている。県民大会に行った人、行かなかった人。みなが自分自身の問題として引き受けることで、人ごととしての同情や論評、政治利用は捨てられると思う。( 軍属事件抗議県民大会 海兵隊と新基地ノーだ 限界超えた怒り受け止めよ(2016年6月20日配信『琉球新報』−「社説」) 基地がある限り、女性の人権を蹂躙(じゅうりん)し、命を危険にさらす米兵・軍属事件は起き続ける。 県民の怒りと苦痛は字義通り、限界を超えている。県民の尊厳と名誉に懸けて、在沖米海兵隊の撤退が急務であると決議した意義は極めて大きい。 まさに、自己決定権が発揮されたのである。 米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会は、古謝美佐子さんが歌う「童神(わらびがみ)」で始まった。子を思う母親の慈愛にあふれる歌だ。 3番の一節はこう響く。「風かたかなとぅてぃ、産子花咲(なしぐゎはなさ)かさ(風よけになって、愛児の花を咲かせたい)」 だが、沖縄社会は、彼女の命を守る風よけになれなかった。涙を拭う女性の姿が目立ち、大半の参加者が下を向き、哀切を帯びた歌声に聴き入っていた。 若者の訴えに大きな力 35度近い暑さの中、哀悼の意を表す黒っぽい着衣に身を包んだ6万5千人(主催者発表)が駆け付けた。居ても立ってもいられないという思いに駆られたのだろう。幼い子の手を引いた家族連れも目立った。 静けさが支配する中、登壇者に向けられる拍手もためらいがちだった。過去にあった基地関連の県民大会と異なり、会場は痛恨、自責の念に満ちていた。 被害者と遺族の無念に思いをはせ、深い怒りと彼女の命を守れなかった悔いが覆った。 さらに、71年前の沖縄戦を起点とする米軍基地の重圧が、必然的に生み出してきた数多くの犠牲者への追悼の意と、「二度と犠牲者を出さない」という誓いが交錯する場ともなった。 大会決議は、差別的な沖縄への基地押し付けにあらがう不退転の決意を示し、日米両政府に突き付けた。近未来の沖縄を担う若い世代から、女性や子どもが安心して暮らせる平和な社会を実現させたいという、ひときわ力強いメッセージが発せられたことが今回の特徴だ。 共同代表の玉城愛さん(21)=名桜大4年=は喪服に身を包み、安倍晋三首相と本土に住む国民を名指しし、涙ながらに「『第二の加害者』はあなたたちだ」「再発防止や綱紀粛正などという幼稚な提案は意味を持たない」と訴えた。 民主主義の手だてを尽くして示されてきた沖縄の民意に無視を決め込み、安倍政権は過重負担を放置した揚げ句、米軍属による凶行を防げなかった。 地方自治を脅かす強権を発動して辺野古新基地建設をごり押しする安倍政権と、沖縄の苦衷を「人ごと」のように傍観する本土の国民に向けた痛切な叫びでもある。シールズ琉球などの4人の大学生のしまくとぅばを交えた、真摯(しんし)なアピールも参加者の胸を打った。 この日は沖縄に呼応し、41都道府県69カ所で集会が開かれた。こうしたうねりが広がり、沖縄を支える世論が高まることを望むしかない。 遺族の痛切な要望 「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地に反対』。県民が一つになれば、可能だと思っています」 最愛の娘を奪われた父親が寄せたメッセージは大会決議よりも踏み込み、新基地ノーに加えて「全基地撤去」を望んだ。あらん限りの思いを込めた渾身(こんしん)の願いであろう。 事件の紛れもない当事者である日米両政府は遺族の悲痛な要望にどう応えるのか。「基地の島・オキナワ」の民の悲憤と血がにじむような訴えを無視することは許されない。 日米地位協定の運用改善など、小手先の再発防止策はもういらない。「真摯に受け止める」(岸田文雄外相)といううわべだけの対応から脱し、海兵隊撤退を模索し、地位協定改定に向けた協議に入るべきだ。 大会は政権与党の自民、公明の両党が参加を見送り、完全な超党派にならなかったが、党派に属さない一般市民の参加が多く、決議の重みは変わらない。 「県民の犠牲は許さない」と強調した翁長雄志知事は「辺野古新基地は断固阻止する」と誓った。県民は等しく、未来の犠牲者を出さない責任を背負っている。その自覚を深め、行動に移したい。 日本の政治を変える、この一点に(2016年6月20日配信『しんぶん赤旗』−「潮流」) 沖縄本島の中部を横断し、恩納(おんな)村と金武(きん)町を結ぶ県道104号。米軍基地を横切るように走る生活道路の頭上では、最近まで射撃訓練による実弾が飛び交っていました ▼この県道に沿って森の中を縫っていくと、傍らに悲しみがひろがります。置かれた花束や飲み物、お菓子…。怖かったね、苦しかったね、あなたにいつの日か安らぎが来るように―。言葉が添えられた花の上をただようチョウの姿は、まるで被害者の魂が乗り移ったかのよう ▼元海兵隊員の米軍属による残虐な蛮行。襲われ、殺された20歳の女性の遺体が捨てられた現場には絶対に被害者や遺族の涙を無駄にはしない、という誓いもありました ▼その思いが結集した県民大会。炎天下の中を6万5千の人びとが追悼し、「海兵隊は撤退を」「怒りは限界を超えた」との強い意思を示しました。何度、こうした集会を開かなければならないのか、という憤りを込めて ▼突然娘を奪われた父親は、父の日に開かれた集会に計り知れない苦しみと怒りとともにメッセージを寄せました。「次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古新基地建設に反対。県民が一つになれば可能だと思う」 ▼古謝美佐子さんの「童神(わらびがみ)」で始まった集会。親の愛あふれる歌は同時に会場を童神になれなかった悔しさで包みました。基地あるがゆえにくり返される悲劇。そこに立ちはだかる日米両政府の壁。翁長知事はその壁を突き崩す決意の日にすると。思いは同じ。日本の政治を変える、この一点に。 ========================== [きょう県民大会]心に刻み決意示そう(2016年6月19日配信『沖縄タイムス』−「社説」) 恩納村の山あいの遺体遺棄現場を訪れる人が今も絶えない。 アスファルト道路の側溝の脇に、ずらっと花束や飲み物、お菓子が供えられ、それが日を追うごとに増えているのがわかる。短いメッセージを添えたものもあった。 「怖かったよね。痛かったよね。つらいよね」 「あなたの死を無駄にはしない」 「あなたにいつの日か安らぎが来ますように」 元米兵による暴行殺人事件で亡くなった女性を追悼する動きが県内各地で広がっている。「被害者は自分だったかもしれない」「もしかしたら自分の娘だったかもしれない」−多くの人たちが事件を自分のこととして、自分とつながりのある身近なこととして受け止め、悔しさと憤りと不安の入り交じった自問を繰り返している。 17日、名護市で開かれた市民集会では、かけがえのない一人娘を亡くした両親のメッセージが読み上げられた。 「未来を断ち切られた娘が最後の犠牲者となり、子を失い悲しむ親は、私たちを最後にしてほしいと思います」 19日には午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で大規模な県民大会が開かれる。追悼の思いを前面に押し出した大会になるだろう。多くの人たちの参加を期待したい。 ■ ■ 事件を通して突きつけられている問いは次の二点に尽きる。 「なぜ、米軍関係者による性犯罪が繰り返されるのか」 「どうすればこれを防ぐことができるのか」 事件発生の際、政府・自民党サイドから出たのは「最悪のタイミング」という言葉だった。その場限りの「危機管理的対応」や、選挙向けの「政治的パフォーマンス」では被害者の両親の痛切なメッセージに応えることはできない。 暴行そのものは個人的なものだとしても、今回の事件を「軍属個人の問題」ととらえ、米軍や米軍基地とは関係がないように主張するのは誤りだ。 今回の事件は「基地あるがゆえに起きた犯罪」である。その種の性暴力が沖縄では米軍上陸以来、目を覆いたくなるほど頻繁に起きている。 その事実を徹底的に洗い直すことによって「多発する構造」を突き止めることが必要だ。 ■ ■ 沖縄戦の経過を克明に描いた作家ジョージ・ファイファーは、「天王山・沖縄戦と原子爆弾」(下)でこう記している。「民間の婦人を犯すことは、多くの部隊は認めなかったが、もっとも頻繁に起こる犯罪に含まれていた」 米国陸軍歴史編纂所が発行した軍政文書(「沖縄県史資料編14 琉球列島の軍政」)にも似たような記述が見られる。「少数の兵士は米軍の沖縄上陸と同時に、住民を苦しめ始めた。とくに性犯罪が多かった」 1955年9月3日には、6歳の女児が米兵に暴行殺害され、嘉手納海岸で遺体となって発見されるという凄惨な事件が起きた。復帰後の95年9月4日、米兵3人による暴行事件が起きたとき、多くの人たちが反射的に思い出したのが、40年前のこの女児暴行殺害事件であった。 今回の暴行殺人事件の被害者は、95年の暴行事件が発生したその年に生まれている。 その都度打ち出される再発防止策の効果が持続せず、何度も再発を許してきた両政府や米軍の責任は重い。 議論を喚起するため3点を提起したい。 第一に、強姦(ごうかん)や強姦未遂などの性暴力は、人間としての尊厳を破壊する深刻な人権侵害である、という認識を育てること。そのための「県民目線」の研修を定期的に実施し、県に対しては必要な資料を積極的に提供することを求めたい。 第二に、地位協定の見直しに優先的に取り組むべきである。事件・事故に対する米軍の説明責任は極めて不十分だ。排他的基地管理権を認め、米軍関係者を優遇する仕組みが「逃げ得」や「植民地感覚」を温存させている側面があり、原則国内法を適用し、説明責任が果たせるような仕組みを設けることが事件の抑止につながる。 ■ ■ 第三に、海兵隊撤退と基地の大幅な整理縮小・撤去を進めること。戦後日本の基地政治は、沖縄に米軍基地を集中させ、その見返りに振興策などの金銭的手当をするという「補償型政治」の手法をとってきた。だが、その手法は、本土と沖縄の間に埋めがたい深刻な溝をつくり、「構造的差別」を生んでいる。 二度と再び犠牲者を出してはならないという県民の強い決意がなければ問題の解決は難しい。県民がその気にならなければ、米軍や行政を動かすことはできない。 沖縄の正念場である。 「海兵隊よ さようなら」の(2016年6月19日配信『沖縄タイムス』−「大弦小弦」) 「海兵隊よ さようなら」のタイトルで、1996年元日の本紙は特集を組んだ。有事の際、小規模の在沖海兵隊では対応できず、米本国から本隊派遣するほかなく、沖縄駐留は合理的理由がないと指摘した ▼元米兵暴行殺人事件を受け、きょう開かれる「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」。沖縄から海兵隊の撤退を求める声は大きくなっている ▼在沖米海兵隊は、沖縄の米軍兵力2万5千人のうち、1万5千人と6割を占める。北部訓練場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、普天間飛行場など、基地面積でも7割が海兵隊施設だ。比率は20年前と変わらない ▼米軍内で性的暴行の被害を訴えた女性兵士の割合は、海軍、空軍、陸軍より海兵隊が多いことも米シンクタンクの報告書で分かった。海兵隊が沖縄から撤退すれば、負担が大幅に減るのは間違いない ▼もともと本土に駐留していたものが、反基地運動の高まりや政治的な思惑で米軍統治下の沖縄に移って来た。国は地理的優位性や抑止力の維持を主張するが、後付けであり説得力に欠ける ▼日本の防衛に海兵隊は本当に必要なのか。沖縄にいつまで犠牲を強いるのか。海兵隊の抑止力に疑問符が付く現状からすれば、政府は県民大会で決議される「海兵隊撤退」を真剣に受け止めるべきだ。 きょう6・19県民大会 命と尊厳取り戻そう 基地被害はもうごめんだ(2016年6月19日配信『琉球新報』−「社説」) 沖縄の人々の命と人権、尊厳をいま、守らなければならない。ごく当たり前のことを求めるために、また県民は集まる。命と人権、尊厳が踏みにじられている現実が横たわっているからだ。 米軍属女性暴行殺人事件を受け「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」が19日午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場を主会場に開かれる。 主催者は追悼の気持ちを表すため、黒色のものを身に着けて参加するよう呼び掛けている。犠牲になった女性を多くの人と悼みたい。 後絶たぬ米軍関係事件 沖縄では米施政権下から44年前の復帰を経て現在に至るまで、米軍人・軍属による凶悪事件がとどまるところを知らない。特に女性が被害となる暴行事件は戦後間もないころから頻発していた。 1948年2月6日のうるま新報(現琉球新報)には「恥じずに届けよ 軍関係の被害者に警告」と題して警察部長による次の談話が掲載された。 「被害者は外聞を恥じ、災難を恐れ、そのまま泣き寝入りするものが多い。この種事件の続発を容易ならしめる恐れがある。もし不幸にして暴行に遭ったものは恥じたり、たたりをおそれて隠すことをせず、警察に申し出て事件の早期解決とこの種事件の絶滅のため協力してもらいたい」 警察部長の異例の談話は当時、被害に遭っても申告せずに泣き寝入りする女性が多かったことを示すものだ。それは現在も変わっていない。事件として摘発されたのは氷山の一角にすぎない。警察部長が68年前に誓っていた「事件の絶滅」はいまだ実現せず、談話の中で示した懸念すべき状況は、変わることなく沖縄社会に存在したままだ。 72年の復帰から2016年5月までの米軍関係者による刑法犯罪件数は5910件に上り、うち凶悪犯罪は575件に達する。軍隊の構造的暴力によって、県民の生命が危険にさらされ続けてきたのだ。 事件だけではない。米軍による事故も後を絶たない。米軍機の事故だけでも復帰から44年間で540件を超え、墜落は46回を数える。年1回以上も墜落している計算だ。 なぜ沖縄がこうした状況に置かれなければならないのか。県民の多くが抱いている強い疑問だ。理由は明白だ。日本の国土面積の0・6%の沖縄に74・46%の米軍専用施設が集中しているからだ。 県民世論は全基地撤去 琉球新報社と沖縄テレビ放送が5月30日〜6月1日に実施した世論調査では、米軍関係の事件・事故を防止するために「沖縄からの全基地撤去」を望む意見が43%と最も多かった。再発防止には、沖縄から全ての基地をなくす以外に方法はないと思っている県民が多数を占めているのだ。 それにもかかわらず、日米両政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業を強行し、新たな基地を造ろうとしている。訴訟和解で工事は中断しているが「辺野古が唯一」だとして方針を変えていない。世論調査では辺野古移設反対は84%に上った。民意無視の新基地建設は構造的暴力の行使にほかならない。 1995年の米軍人による少女乱暴事件に抗議する県民大会で、大田昌秀知事(当時)は「幼い少女の尊厳を守れなかったことをおわびします」と述べた。今回の事件後、翁長雄志知事は女性が遺体で見つかった現場を訪れ「守れなくてすみませんでした」と女性にわび、二度と事件を起こさせないことを誓った。県民も等しく同じ気持ちでいるはずだ。 これ以上、新たな犠牲者が出ることを私たちは決して容認することなどできない。だからこそ今回の県民大会を最後の大会にしなければならない。基地被害はもうごめんだ。命と人権、尊厳を取り戻すため、多くの人々と思いを共有したい。 元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件に(2016年6月18日配信『沖縄タイムス』−「大弦小弦」) 元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件に抗議する県民大会の共同代表3人を沖縄タイムス社に招いた16日の座談会は黙とうから始まった。犠牲になった女性に哀悼の意をささげ、3人は静かに語り始めた ▼座談会は沈痛な空気に包まれた。代表らは事件への怒りと同時に、若い命を守れなかったことに胸かきむしられるような自責の念を抱いている ▼呉屋守將氏は「行動することが責務だ」と大会の意義を述べた。高里鈴代さんは「後悔の気持ちを抱いている」としながら、「事件を再び起こさない決意」を強調。玉城愛さんは「怒りや悲しみを繰り返させない思いを受け継ぐ」と語った ▼同日、翁長雄志知事が大会参加を表明した。公約を超える海兵隊撤退が決議に盛り込まれたことで悩み、海兵隊撤退には自民、公明、与党のすべての解決策を包含するという「苦肉の解釈」を示した ▼県議会は、自民退場の上で海兵隊撤退を盛り込んだ決議案を全会一致で可決した。怒りは同じである。県議会の抗議行動には自民代表も同席した ▼「政治色が強い」などとし、自民、公明、おおさか維新は参加しない。批判も政治行動の一つだ。それぞれの立場で犠牲者を追悼し、事件再発防止の具体的な対策が求められる。参加せずとも、19日は黒い物を身に着け、深い悲しみを表してほしい。 6・19沖縄県民大会(2016年6月18日配信『しんぶん赤旗』) 42年前、母親を米兵に殺害された金城武政さん胸中を語る 基地ある限り起こる 元米海兵隊員による女性殺害事件を糾弾し、米海兵隊撤退、名護市辺野古への新基地建設断念を迫る沖縄県民大会(19日)を前に、復帰直後の1974年、辺野古で母親=当時(52)=を米兵に殺害された遺族、金城武政さん(59)が胸中を語りました。
「また被害者がでた。基地ある限り必ず起こる」。うるま市の女性(20)が、日課のウオーキング中に元海兵隊員の米軍属の男(32)に暴行、殺害され遺体を遺棄された事件が報道された日、辺野古の自宅に飾られた母親の遺影に、こうつぶやいた金城さん。 元海兵隊員による今回の犯行に、「米兵の犯罪はますます凶暴になっている」と唇をかみしめました。 母親が殺害されたシーンは42年たった今も、鮮明です。 事件の現場となったバーは、新基地建設予定地のキャンプ・シュワブに隣接する辺野古崎を見下ろす集落の一角。布団店と洋裁店を兼ねた自宅の一部をバーにして、母親が切り盛りしていました。 当時、高校生の金城さんはバーの2階で暮らしていました。惨事を弟から聞き、駆け下りると血のついたブロックが床に転がっていました。米兵は強盗しようと、ブロックで母親の頭を襲いました。 翌日、母親が亡くなったとの知らせで駆けつけ、病院のドア越しに目にしたのは、手術で頭髪をそり落とされた異様な姿でした。 バーは、母親と金城さんの反対を父親が押し切っての開業でした。 「米軍を責める前に、自分は父親を責めた。でも一番の問題は、戦争という人を殺すことを仕事にする米軍基地の存在があった。それをなくさない限り必ず起きる、と自分にいいきかせた」 金城さんはいいます。「基地のない平和な沖縄が願い。海兵隊を撤退させ、新基地建設の断念しかない」 |