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高校生代表;普天間(ふてんま)高校3年 仲村清子(すがこ) |
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開催日 |
開催目的 |
参加人員 |
1995年10月21日 |
米兵による少女強姦事件に抗議し、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しを要求 |
8.5万人 |
2007年 9月29日 |
11 万人 |
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2010年 4月25日 |
9 万人 |
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2012年 9月 9日 |
10.1万人 |
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2016年 6月19日 |
「元米兵による残虐な蛮行糾弾! 犠牲者を追悼し米軍基地の撤退を求める集会」(自民・公明・おおさか維新は不参加) |
6.5万人 |
2017年 8月12日 |
4.5万人 |
95(平成7)年10月21日、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある海浜(かいひん)公園で8万5千人が参加して行われた(米軍〈海兵隊〉よる少女〈小学生〉強姦事件に抗議する)沖縄県民総決起大会での決意表明(挨拶)。
事件に対する沖縄県民の怒りは日米安保体制を揺さぶった!
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「ヘリコプターはもう、うんざりです」
私はごく普通の高校3年生です。
たいした言(こと)は言えないと思いますが、ただ思ったことを話します。
この事件を初めて知った時、これはどういうこと、理解できない。こんなことが起こっていいものかと、やりきれない思いで胸がいっぱいになりました。
この事件がこのように大きく取り上げられ、(95年)9月26日、普天間小学校で、10月5日には普天間高校で抗議集会が開かれました。
高校生の関心も高く、大会に参加したり、様子を見守っていた生徒も少なくありません。
そんな中、私はこの事件について友人たちと話をするうちに、疑問に思ったことがあります。
米兵に対する怒りはもちろんですが、被害者の少女の心を犠牲にしてまで抗議するべきだったのだろうか。彼女のプライバシーは、どうなるのか。
その気持ちは、今でも変わりません。
しかし今、少女とその家族の勇気ある決心によってこの事件が公にされ、歴史の大きな渦となっているのは事実なのです。
彼女の苦しみ、彼女の心を無駄にするわけにはいきません。私がここに立って意見を言うことによって少しでも何かが変われば、彼女の心がかるくなるかもしれない。そう思いここに立って
います。
沖縄で米兵による犯罪を過去までさかのぼると、凶悪犯罪の多さに驚きます。
戦後50年、いまだに米兵により犯罪は起こっているのです。
このままの状態でいいのでしょうか。
どうしてこれまでの事件が本土に無視されてきたのかが、私には分かりません。
まして、加害者の米兵が罪に相当する罰を受けていないことには、本当に腹が立ちます
米軍内に拘束されているはずの容疑者が、米国に逃亡してしまうこともありました。
そんなことがあるから今、沖縄の人々が日米地位協定に反発するのは当然だと思います。
それにこの事件の容疑者のような動物にも劣る行為をする人間をつくりだしてしまったのは、沖縄に存在する「フェンスの中の人々」、軍事基地内の人々
すべての責任だと思います。基地が沖縄に来てから、ずっと加害はくり変えされてきました。基地がある故の苦悩から、私たちを解放してほしい。
今の沖縄はだれのものでもなく、沖縄の人々のものだから。
私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の基地があります。普天間小学校は、フェンス越しに米軍基地があります。
基地の周りには7つの小学校と、4つの中学校、3つの高校、1つの養護学校、2つの大学があります。ニュースで爆撃機 やヘリコプターなどの墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていくのが見えます。
それはまるで、街の中に突っ込んでいくように見えるのです。
機体に刻まれた文字が見えるほどの低空飛行、それによる騒音、私たちはいつ飛行機が落ちてくるか分からない、そんな所で学んでいるのです。
私は今まで、基地があることはしょうがないことだと、受け止めてきました 。
しかし今、私たち若い世代も、あらためて基地の存在の位置を見返してます。学校でも意外な人が、この事件について思いを語り、皆をびっくりさせたりもしました。それぞれ口にはしなかったけれど、基地への不満が胸の奥にあったことの表れだと思
います。
きょう、普天間高校の生徒会は、バスの無料券を印刷して全生徒に配り、「みんなで行こう。考えよう」と、大会への参加を呼び掛けました。浦添高校の生徒会でも同じことが行われたそうです。
そして、今ここにたくさんの高校生や大学生の人が集まっています。若い世代もこの問題について真剣に考えはじめているのです
。
今、このような痛ましい事件が起こったことで、沖縄は全国にこの問題を訴えかけています。私は今、決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであきらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生みだすことになるのですから。
いつまでも米兵に脅え、事故に脅え、危険にさらされながら生活を続けていくことは、私は嫌です。
未来の自分の子供たちにも、そんな生活はさせたくありません。私たち生徒、子供、女性に犠牲を強いるのはもうやめてください。
私は戦争が嫌いです。
だから、人を殺すための道具が自分の周りにあるのも嫌です。
次の世代を担う、私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが本当に嫌だと思うことを口に出して、行動していくことが大事だと思います。
私たち若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。
沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。
そのために私も、一歩一歩行動していきたい。
私たちに静かな沖縄を返してください。
軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください 。
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95(平成7)年9月4日午後8時、沖縄県に駐留する米・海兵隊(アメリカ海軍の独立部隊で、上陸作戦・空挺降下などを任務とする部隊。陸・海・空軍続く、第4軍〈侵略部隊〉ともいわれている)の兵士3人(マーカス・ギル、ロドリコ・ハープ、ケンドリック・リディット。いずれも20〜22歳で黒人)が基地内で借りたレンタカーでドライブ中、沖縄本島北部国頭(くにがみ)郡の商店街で買い物をしていた12歳の女子小学生を車に押しん込んで拉致、車中において粘着テープで顔を覆い手足を縛ってしたうえ集団強姦し、全治2週間の傷を追わせるといった、悪質この上ない計画的な逮捕監禁(刑法220条)・強姦致傷(刑法第177条・刑法第181条)事件が発生した(主犯格である2人が姦淫〈かんいん=男女が不倫な肉体関係を結ぶこと〉をとげ、他の1人が幼いことに気付き姦淫を断念した。なお、主犯格の被告人の1人は自らの暴行と姦淫行為を法廷において否定した)。 だが、アメリカ政府と日本政府との間で締結された日米地位協定では、日本側が起訴しなければ、アメリカ側は容疑者の身柄を引き渡す必要はないと定められていたため、沖縄県警は犯人を逮捕できなかった。まさに日本人にとって屈辱的な不平等条約である。
そのため、これまでもこの種の米軍による凶悪犯罪に泣かされて沖縄県民の反基地感情が爆発、怒りの運動は、日米地位協定の見直しのみならず、アメリカ軍基地の縮小・撤廃運動にまで発展した。 その運動の頂点が、この沖縄県民総決起大会であった。 3人に対して、那覇地方裁判所は96(平成8)年3月7日、2人に懲役7年、他の1人6年6月の実刑判決を言い渡した。内2人は控訴したが、福岡高等裁判所那覇支部は、96年6月12日、これを棄却した(確定)。 03年4月15日の第156回国会・参議院外交防衛委員会(松村龍二委員長)で政府参考人・海老原紳(外務省北米局長)は社民党の大田昌秀委員(事件当時の沖縄県知事)の質問に対して、犯人3人とも服役を終え、帰国、除隊(兵役を解かれること)したと答弁(「3名とも服役を終えまして、米軍によりますれば、これらの3名は米国に帰国させられた後、米軍より除隊させられたというふうに聞いております。=同委員会議事録」)した。
日米地位協定改正の要求は、改正されることなく、「運用の改善」という曖昧な形で決着、殺人や強姦などの凶悪な犯罪については、日本側の引き渡し要求について、米軍の「好意的配慮」で被疑者の起訴前の身柄引き渡しに応じることで同意した。 しかしながら、この事件以後も、米軍によるこの種の犯罪は毎年のように発生(沖縄の悲劇)、現在でも捜査の障害になっている。 なお、この事件に関して米太平洋軍司令官リチャード・マッキー海軍大将が「レンタカーを借りる金で女が買えた(I think it was absolutely stupid. I've said several times,for the price they paid to rent the car,they
could have had a girl)」と発言し、95年11月に更迭(こうてつ=ある地位・役目にある人を他の人と代えること)された。 |
1995年10月22日付『沖縄タイムズ』−「社説」=沖縄の怒りどう届くか 心を一つに最大の結集 8万を超える大衆というのは大変な数である。
米兵の少女暴行事件を契機として、基地をめぐり沖縄の要求を世界に発信しようと、昨日宜野湾市の海浜公園で開かれた県民総決起大会会場を埋め、コンベンションホール周辺まで人々があふれた。大会が終わりに近づき、決議が採択されて、最後の桃原宜野湾市長があいさつをするころにも、後から後から人がやってきた。
参加者は各界各層に及んだ。老若男女、経営者も、労組員も、政党のすべて、基地全面撤去・日米地位協定と安保条約破棄を主張する人も、安保体制を認め、基地の整理縮小にとどめて要求する人も一つになった。
1956年の「島ぐるみ闘争」と呼ばれた「土地を守る4原則貫徹」の大衆行動以来、今回のように県民が一体となって、この沖縄の将来についてともに意思表示をしたことはなかった。
基本的には等しく「平和で豊かな沖縄」を目指しながら、40年近く人々の利害が対立し、イデオロギーで反目し、常に争ってきた。
米施政権下でも、復帰が視野に入ってからも、復帰後も変わらなかった。
今、立場を超えて結集できたのはなぜか。 大会は「抗議決議」を採択した。まず、米軍人による少女暴行事件に対し、満身の怒りを表明し、関係者の深い悲しみと強い怒りを共有するために結集したと、最初にうたった。
要求としては「米軍人の綱紀粛正と軍人軍属の犯罪根絶」「被害者への謝罪と完全補償」「日米地位協定の早期見直し」「基地の整理縮小促進」を表明した。県民の最大公約数的な内容である。決議文には、日米両政府に対する激しい怒りが込められた。特に事件が起こってからの日本政府のなすすべを知らない姿を「軟弱外交ぶり」となじっている。
大田知事は大会あいさつで、「沖縄は50年間、基地政策に協力することを余儀なくされてきた。今年は戦後50年、この形を変えていかなくてはならない。今度は日米両政府が沖縄に協力することを考えてほしいと言ってきた」と述べ、未契約土地強制使用の代理署名拒否を説明した。
県民は、経済的な理由などで基地の重圧を我慢してきた人も、我慢せずに基地撤去を言い続け、行動し続けた人も「もういいではないか。これ以上はたくさんだ」ということで一致した。
また、米軍要員による犯罪をめぐり、起訴とともに容疑者引き渡しという現項目すら、日米協定の改定でなく運用面の改善程度しか推進できない両政府に不信を抱くことで一致した。
まずそのことを日米政府も、両国国民も、米軍当局も知ってほしい。
県民一致を促進したもの 大会決議に挙げられたのは、ゆるやかな要求である。ここに参集できなかった人々を含め、県民のそれぞれにはもっと強い要求もある。
いたいけな少女に対する人間の尊厳を踏みにじる犯罪に怒りの声を上げ、具体的に有効な抗議行動を展開したのは女性だった。
歴史をさかのぼれば、沖縄戦後史の始まりは病気や飢えとともに、米軍人による性暴力被害とその恐怖との闘いだった。戦争中から引き続き、さらに被占領史の中でも繰り返された。
日本の近隣諸国への侵略、占領にもついて回った。さらにいま、戦争のあるところに必ず起こっていることが明らかにされている。
女性たちの平和と人権保障の立場からすると、綱紀粛正などなまぬるい。基地撤去の主張になる。
基地に対する県民世論がここまで拡大したのは、女性たちが長年の憤まんの爆発に火を付けたからだった。
また、基地に土地を提供することを余儀なくされ、軍用地料などが生活の基盤になっている人々の間に、復帰後契約を拒否する運動が起こり、直接の当事者が基地撤去のともしびを絶やさずにきたことも忘れてはならないだろう。
苦しい闘いの途次、多くが脱落せざるを得なくなったにしても、現実対応で基地の重圧を我慢することに、絶えず警告を発してきた。現在の少数派はいつか多数派になることは、世界の歴史が証明している。 自立の道を探る第1歩 沖縄は、永遠に軍事基地としての有用性でしか地域の価値を認められないのか。戦争で一方的に基地化され、その重要性によってのみ、沖縄の地位が左右されてきた。自分の意思とはかかわりなく運命を決められる歴史を続けなくてはならないのか。
県民総決起大会にこんなにも人々が結集した背景を深く掘れば、そんな思いと、自立を求める心がある。
日本復帰は初めてと言っていい自らの選択ではあったが、根本のところで事態は変わらなかった。
集約すれば基地縮小や地位協定見直しになるにしても、県民の怒りの底は深い。政府にどう届くか見極めたい。 |
備考
普天間基地(飛行場)=宜野湾市の中心に居座り、市面積の26%を占有する海兵隊基地。周辺は沖縄国際大学や普天間高校などの文教施設も多い市街地。2,800mの滑走路をもち、攻撃ヘリなど100機以上が配備され、日常的に離着陸訓練を行っている。
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普天間飛行場騒音被害 動画配信スタート 【06・10・31】
沖縄県民の空前の抗議行動後の96年4月の日米首脳会談で07年までの普天間基地の全面返還が合意された。だが、名護(なご)市辺野古(へのこ)の海上基地(海上ヘリポート)建設という驚くべきすりかえがなされた。現在、建設をめぐって予定地の名護市では反対運動が起こっている。辺野古の海を守る座り込みは9年間続き、さらにボーリング阻止の行動が行われている。
また、04年8月13日に米軍ヘリコプター(米海兵隊所属CH−53D型)が沖縄国際大学(1号館)に墜落した。
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ヘリコプター墜落事件に対する抗議(沖縄国際大学) (04年)8月13日に起こった沖縄国際大学への米軍ヘリコプター墜落事故は、沖縄の歴史に残る大惨事であります。事故後の惨状からして人的被害を免れたのは奇跡であり、何より大学関係者及び市民が生存の危機に晒され、地位協定の壁によって大学の自治が侵されたという意味で重大な事故であります。 学問の府である大学の使命は、静かで平和で安全な環境を保持し、研究、教育を行うことであります。今回の事故は大学機能に重大な影響を与え、かかる大学の使命を阻害しております。地元に視座を据え、地域に開かれたアカデミァ(大学)として、本学は学問研究、教育は勿論のこと、沖縄の将来を照らす知的情報を発信して参りました。創立後、本学が営々と築いてきたこのような業績を無に帰する恐れのある重大な事故であります。 かねてより普天間基地の騒音被害、事故の発生等、その弊害、危険性は幾度も指摘されてきました。それにもかかわらず依然として飛行訓練を続ける姿勢を示しております。 このような状況は、最早、私たちの受忍の限度を超えるものであります。本日ここに結集された市民・県民の皆様と心一つにして、米軍と日本政府に強く抗議するとともに、大学を本来の姿に戻し、市民・県民の安全を確保するために、次のことを要求します。 米軍及び日本政府に対する要求 1.大学機能の完全なる回復と市民の安全と安心の回復。 2.普天間基地を使用するすべての航空機の即時及び恒久的飛行停止。 3.普天間基地の即時撤去。 4.米軍の事故に関するすべての情報の開示。 5.地位協定の改善。
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