紀元(皇紀)2600年

 

 

1940(昭和15)年の正月3ヶ日の樫原神宮の参拝者は前年の20倍、125万人に達し、創建以来の最高記録となった。紀元2600年の正月、「記紀」(古事記と日本書紀)神話は史実ではなく天皇家の統治を正当化するための「政治的述作」として立証・批判をした津田左右吉つだそうきち=1873〜1961。文献の批判的・実証的歴史研究を進めた歴史学者で、1939〔昭和14)年右翼によって「神代史の新しい研究」以下の研究が攻撃されて、翌年4著書が発禁処分となった)は早大教授を辞任のやむなきに至った。

 

 

 

 1940(昭和15)年11月10日、宮城前広場で、5万人が参加した政府(近衛内閣)主催の「紀元2600年式典」が開催された。

 

 

説明: 2600

紀元2600年を奉祝する第11回明治神宮国民体育大会(1940年10月27日)

 

皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(きげん=歴史上の年数を数える出発点となる年。紀年法)で、1872(明治5)年に明治政府が、神武(じんむ)天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年とした。紀元(皇紀)元年が天皇制の始まりとなるから、紀元年は、天皇の歴史と国の歴史が一致結果となる。

 

それ以来、日本では西暦ではなく「皇紀」を使用したが、長引く侵略戦争による国民生活が悪化しはじめた1940(昭和15)年は数えて2600年となることから、神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后を祀(まつ)る樫原(かしはら)神宮(奈良県橿原市久米〔くめ〕町)と神武天皇の御陵である畝傍(うねび)(橿原市畝傍にある海抜199メートル山で大和三山の一)東北陵うねびのやまのうしとらのみささぎの拡張整備、代々木の天皇陵の参拝道路の改良、日本万国博覧会の開催(チケットは発売されたが、戦局の極度の悪化で中止)、第12回オリンピック東京大会の開催(1840年9月21日〜10月6日で開催決定がなされたが戦争を理由に返上した、国史館の建設、「日本文化大観」の編纂等、種々の大きな記念式典(行事=イベント)が開催された(紀元2550年にあたる1890〔明治23〕にも様々な行事が行われた

 

なお、古くから人々の間に語り継がれている「神を中心」とした物語である神話では、神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向(ひゅうが)国高千穂の宮にいたが、天下の政治(まつりごと)を行うべく、はるばる東遷(とうせんん=東の方へ移ること)の旅にでて、途中幾多の困難に遭いながら大和の国を中心とした「中つ国」なかつくに=「葦原(あしはら)の中つ国」の略で、日本の国土)を平定(へいてい=反乱などをしずめて秩序を回復すること)することになる。

 

天下を平定した神武天皇は、辛酉しんゆう=干支〔えと〕の一。「かのととり」)元旦(紀元前660年2月11日)、に、大和橿原の宮で即位する。天皇制の始まりである(2月11日は、旧制の紀元節にあたる「建国記念日」の起源)。

 

もとより現在、国際的にはイエス-キリストが生誕したとされていた年(実際の生誕はこれより4年以上さかのぼる)を紀元元年とする西暦紀元(西紀〔せいき〕。キリスト紀元)が用いられており、皇紀は通用しない。

 

説明: L-L09a

 

説明: 2600

紀元2600年を祝う国民歌のジャケット(ビクター)

 

内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定

作詞:増田好生/作曲;森義八郎 

 

        金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて

  いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年

  あゝ 一億の胸はなる

 

  歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて

  はるかに仰ぐ大御言(おほみこと) 紀元は二千六百年

  あゝ肇國(ちょうこく)の雲青し

 

  荒(すさ)ぶ世界に唯一つ ゆるがぬ御代に生立ちし

  感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年

  あゝ報國の血は勇む

 

  潮ゆたけき海原に 櫻と富士の影織りて

  世紀の文化また新た 紀元は二千六百年

  あゝ燦爛(さんらん)のこの國威

 

  正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん

  力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年

  あゝ彌榮(いやさか)の日はのぼる

 

 「金鵄」とは古事記とか日本書紀に出てくる“金色のトビ”のことで、神武天皇の東征に際し、敵の眼をくらませ勝利に導いたという伝説の鳥。

 

説明: L-L08c

 

「紀元二千六百年頌歌」

 

頌歌(しょうか)とは、神の栄光・仏徳・人の功績などをほめたたえる歌。

 

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遠(とほ)皇(すめろぎ)の かしこくも

はじめたまひし 大(おほ)大和(やまと)

天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の つぎつぎに

御代(みよ)しろしめす 尊(たふと)さよ

仰(あふ)げば遠し 皇国の

紀元は 二千六百年

 

青(あを)一草(ひとくさ)に 射照(いて)る日の

光あまねき 大八洲(おほやしま)

春のさかりを 咲く花の

薫(にほ)ふが如き 豊かさよ

仰げば遠し 皇国の

紀元は 二千六百年

 

大海神(おほわたつみ)の 八潮路(やしほぢ)の

めぐり行きあふ 八紘(あめのした)

聖(ひじり)の御業(みわざ) うけもちて

宇(いえ)と掩(おほ)はん かしこさよ

仰げば遠し 皇国の

紀元は 二千六百年

 

説明: L-L08b

 

説明: 2600-1

皇紀2600年を祝するコマーシャル

 

天壌無窮(てんじょうむきゅう)とは、天地とともに永遠に続くこと。

「マツダランプ」は現在の東芝の電球部門(東芝ライテック)の前身。なお、ここでのマツダとは、人名や地名ではなく、ギリシア神話の神のひとつである。

 

紀元二千六百年式典ノ勅語

 

茲(ここ)ニ紀元二千六百年ニ膺(あた)リ百僚(ひゃくりょう=官僚)衆庶(しゅうしょ=庶民)相会シ之(これ)レカ慶祝(けいしゅく)ノ典(てん)ヲ挙(あ)ケ以テ肇国(ちょうこく=はじめて国を建てること。建国ともいう)ノ精神ヲ昂揚(こうよう)セントスルハ朕(ちん)深ク焉(こ)レヲ嘉尚(かしょう=ほめたたえること)ス
 

今ヤ世局(せいきょく=世上のなりゆき。時局ともいう)ノ激変ハ実ニ国運隆替(りゅうたい=盛んなことと衰えること。また、盛んになったり衰えたりすること。盛衰ともいう)ノ由(よ)リテ以テ判(わ)カルル所ナリ爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク嚮(さき)ニ降タシシ宣諭(せんゆ)ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神(きしん=神として)ノ大道ヲ中外ニ顕揚(けんよう=功績などをたたえて世間に広く知らせること。顕彰ともいう)シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ

 

 

説明: lin_ie

 

(2016年1月9配信『朝日新聞』−「天声人語」)

 

中継を視聴していて驚いた方もおられただろう。昨日の衆院予算委員会のトップバッター、自民党の新藤義孝氏が切り出した。「平成28年が明けました。伝統的な数え方でいえば皇紀(こうき)2676年」。若い世代は何のことかと思ったかも知れない

▼皇紀とは、神武天皇の即位の年とされる西暦紀元前660年を元年とする紀年法だ。明治初期の1872年に定められた。戦前の1940年は皇紀2600年であり、盛大に祝われた。しばしば国民精神総動員と結びつけて語られる

▼今、そうした言葉を使う意図は何か。昨年も国会で戦時スローガンの「八紘一宇(はっこういちう)」を取り上げ、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と述べて物議を醸した自民党議員がいた。復古志向は元々この党の一面だが、かつてここまで無遠慮だっただろうか

▼政界には歴史観の深い溝があり、憲法観の深い溝がある。そのことをやっと始まった国会論戦があらわにしている。野党は安保法制の憲法違反をまず問うが、首相は取り合おうとしない

▼溝が深い分、言葉がささくれ立つ。首相は臨時国会も開かず、「逃げて、逃げて、逃げ回ってきた」と非難する野党。野党は対案すら示さず、「逃げて、逃げて、逃げ回っている」とやり返す首相

▼互いの歴史観、憲法観を確認しあうことから始めてはどうか。代表質問で「立憲主義とは何か」と問われた首相は直接答えず、「立憲主義にのっとって政治を行うことは当然」とだけ述べた。これでは議論は進まない。

 

(2015年11月18日配信『新潟新聞』−「日報抄」

 

思い出すたびに顔から火が出るような恥ずかしさにかられる−と、映画監督の山田洋次さんが体験を書いている。旧満州の日本人小学校2年生だった時のことである

▼日中戦争にうんざりする国民に活を入れるため、政府は紀元2600年を祝う行事を催した。山田さんたちは中国人の子どもたちと合唱することに。♪日本桜、満州は蘭よ、支那は牡丹の花の国(中略)/アジアよいとこ楽しいところ

▼日本語をほとんど理解できない中国の子どもたちが日本語の歌を歌わされるのだから発音は不自然になる。それが滑稽だと、日本の子どもたちは口まねしてクスクス笑うのだった

▼山田さんは振りかえる。−中国の子たちはどんなに悔しかったことだろう。あの時、ぼくたちの嘲笑を浴びた子どもが生きていればぼくの歳だ。なんと言って謝ればいいのだろうか−(月刊「機」10月号・藤原書店)

▼16日付本紙で、全国中学生人権作文コンテスト県大会優秀作を読んだ。国籍の違いや、障害の有無から生まれる理不尽な差別やいじめをなくそうというまっすぐな思いがつづられている

▼長岡市の袁可泉(ゆあんかずみ)さんはこんな経験を紹介している。中国人のお母さんが不慣れな日本語を使うのを級友に笑われた。可泉さんは中国の学校に一時在学した時、音読を笑われた。だが、大事なことを学んだ。−思いやる気持ちを持てば相手も自分も嫌な気持ちにならない−。中学生たちは大人に問い掛けているようだ。「恥ずかしいことをしていませんか」と。

 

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