映画『眠る村』 2019年2月2日公開〔東海テレビドキュメンタリー劇場第11弾〕

 

(三重県)名張(なばり)毒ぶどう酒事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三重と奈良にまたがる葛尾。昭和36年、村の懇親会で女性5人が死亡した。ぶどう酒に混入した毒物による中毒死。事件から6日後、逮捕された奥西勝が犯行を認める。当時35歳。「妻と愛人との三角関係を清算するためだった」と自白した。すると不思議なことに、村人たちは奥西の犯行を裏付けるかのようにパタリパタリと証言を変えていった。

 だが迎えた初公判、奥西は一転無罪を主張。自白は「強要されたものだ」と訴えた。一審は無罪。しかし二審では死刑判決、最高裁は上告を棄却。昭和47年、奥西は確定死刑囚となった。村人たちは事件が起きた公民館を取り壊し、奥西家の墓を掘り返して畑のなかへ追いやった。奥西は独房から再審を求め続けたが、平成27年10月、帰らぬ人となった。享年89歳。八王子医療刑務所で独り、無念の獄死だった。

 

『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』の東海テレビが、“昭和のミステリー”を揺り起こす。

 

 名張毒ぶどう酒事件——戦後唯一、司法が無罪からの逆転死刑判決を下したこの事件。57年が経った今もなお、多くの謎がある。決定的な物証の不在、自白の信憑性、二転三転した関係者たちの供述。そして、なぜ司法は頑なに再審を拒むのか。その謎に挑むのは、『ヤクザと憲法』『人生フルーツ』の東海テレビ放送。ナレーションはかつて奥西勝を演じた仲代達矢。平成最後の冬に放つ、渾身のミステリー。第66回菊池寛賞を受賞した“東海テレビドキュメンタリー劇場”第11弾。

 

「名張毒ぶどう酒事件」をめぐる謎

 

自白は本当か?

奥西は逮捕後、「妻と愛人との三角関係を清算するため、公民館で一人になった隙に、ぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れた」と自白している。しかし、一審の無罪判決後の会見で「警察官が原稿を書くからそれを覚えて言うようにと言われ、自分の意志ではなかった」と話している。また、公民館でぶどう酒にニッカリンTを入れるという肝心な場面の時期や状況について自白がころころと変わっている。

 

犯行機会は“10分間”?

事件があった日の午後5時20分ごろ、村の会長宅から公民館にぶどう酒を運んだ奥西。

死刑判決では「奥西が公民館で1人になった10分間以外に犯行の機会はない」としている。しかし、事件当初、ぶどう酒の運搬に関わった村人の供述では、会長宅にぶどう酒が届いたのは、午後2時15分ごろ。つまり、会長宅に3時間近くも置かれたことになっている。

しかし奥西の逮捕後、関係者の供述は一斉に変わり「ぶどう酒が届いたのは奥西が来る直前」となった。一審の無罪判決ではこの供述は「検察の並々ならぬ努力」によって作られたものだとしている。

 

唯一の物証「王冠」

奥西はぶどう酒の王冠を「歯で噛んであけた」と自白。公民館の火鉢から発見された王冠の傷が奥西が検証のため噛んだ王冠の歯形と一致するというのが死刑判決の最大の根拠となった。しかし、歯形の鑑定写真はあたかも一致するように見せるため、操作して作られたものだった。

 

事件で使われた農薬

自白では「ぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れた」としている。しかし、成分を調べてみると、ぶどう酒にニッカリンTを混ぜた際に生成される成分が、飲み残りのぶどう酒からは検出されなかった。つまり、ニッカリンTではない別の農薬が混入された可能性がある。弁護団は第7次再審請求でこれを指摘し、再審開始の決め手となった。また、ニッカリンTには「赤色」がつけられているが、村人が飲んだぶどう酒は「白色」だった。

 

 

名張毒ぶどう酒事件、3度目の映画化 現場の村人に取材(2019年1月26日配信『毎日新聞』)

 

「眠る村」について語る阿武野勝彦さん(左)と斉藤潤一さん=東京都新宿区で

 

 58年前、三重・奈良両県にまたがる集落の懇親会でぶどう酒を飲んだ女性5人が中毒死した「名張毒ぶどう酒事件」を描いた東海テレビ(名古屋市)製作のドキュメンタリー映画「眠る村」が、2月2日から東京都中野区のポレポレ東中野などで上映される。名張事件を描いた同局の映画は3本目。これまでは奥西勝・元死刑囚の冤罪(えんざい)の訴えに焦点を当てたが、2015年に89歳で獄死。今回は原点に返って現場の村人への取材を重ねた。

 

 東海テレビはこの事件を巡ってニュースに加え、多数のドキュメンタリー番組を製作。このうち俳優の仲代達矢さんが奥西元死刑囚役を演じた「約束」(12年)、「ふたりの死刑囚」(15年)の2本を映画化した。元死刑囚の死後、報道部の鎌田麗香さん(33)が改めて村に入り、約2年通った。

 

 元死刑囚が逮捕後にいったん自白した際、それに合わせる形で証言を変えた人たちを中心に取材。半世紀以上前の出来事を封印するような硬い反応の中で、今回初めて応じた人もいた。「奥西さんだと思いますか」と問いかける場面もある。

 

 阿武野(あぶの)勝彦プロデューサー(60)は証言者の顔を出したインタビューを命じた。高いハードルだったが、時間をかけて人間関係を構築し実現したという。「納得・了解してもらった上で取材させてもらった。どんな表情でしゃべるのかが大事だ」と力説する。

 

 事件は1961年3月に発生。6日後に妻と愛人を亡くした奥西元死刑囚が逮捕された。物証が乏しく、捜査段階での自白の信用性が争点になった。1審は無罪。2審で死刑判決を受け、最高裁で確定した。奥西元死刑囚は獄中から再審請求を続けた。05年の第7次再審請求で名古屋高裁が再審開始決定をしたが、翌年取り消された。奥西元死刑囚は第9次再審請求中に病死した。妹が第10次再審請求を起こし、棄却されたが異議申し立てをしている。

 

 鎌田さんと共同監督した斉藤潤一さん(51)は、ひっそりと静まりかえる村同様、「司法の『村』も眠っている」と話す

inserted by FC2 system