「屋良(やら)覚書」=現在も有効

 

最近の動向

 

 1971(昭和46)年8月、下地島飛行場(空港)について琉球政府の屋良朝苗行政主席と3次佐藤内閣の丹羽喬四郎運輸相との間で交わされた以下の内容ので、同空港について民間航空訓練および民間航空以外の目的に使用することを政府が琉球政府(当時)に命令する法令上の根拠はない、としている。これによって下地島空港の軍民共用空港化はしないものとされている。

 

1.下地島飛行場は、琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定する。

2.日本国運輸省(現・国土交通省)は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない。

3.ただし、緊急時や万が一の事態のときはその限りではない。

 

 一方、沖縄県議会は同覚書を受け、1979(昭和54)年に「下地島空港は、民間航空機のパイロット訓練、及び民間航空機に使用させるとし、自衛隊等軍事目的には使用させない」との付帯決議を採択しており、沖縄県稲嶺知事(当時)もそのような認識で「新たな形での沖縄の基地負担の増大につながるものには反対していく」ことを議会でも答弁している。

 

 また、1979(昭和54)年6月には、「下地島空港は、人命救助、緊急避難等特にやむを得ない事情のある場合を除いて、民間航空機に使用させる方針で管理運営するものとする」確認を沖縄県西銘順治(にしめじゅんじ)知事(当時)と第1次大平内閣の森山欽二運輸大臣(当時)との間で行っている(いわゆる「西銘確認書」)

 

注;下地島空港(しもじしまくうこう)=沖縄県宮古島市(旧宮古郡伊良部町)の下地島に位置する地方管理空港。1994(平成6)年に南西航空(現・日本トランスオーシャン航空株式会社)の那覇線が撤退した以来、定期便の就航はなく、日本唯一の民間パイロットの訓練専用空港。そのため、日本では数少ない、滑走路両端に計器着陸装置(ILS)が設置されている3,000m×60mの滑走路が整備され、航空機の操縦訓練が行われている。

 

 

注;下地島=那覇から300キロ離れた離島の宮古島の離島の伊良部島隣接した島。宮古島市に属し、東隣の伊良部島とは6本の橋で結ばれる。最高点が標高20m前後の低平な隆起珊瑚礁(りゅうきさんごしょう)の島。全域が県有地。面積9.54平方キロメートル。人口は最盛時1960年代には1万人を越えたが、現在は、7000人弱。沖縄本島と台湾の中間地点に位置し、尖閣諸島までの距離は約200キロと那覇基地のほぼ半分。

 

注;琉球政府(りゅうきゅうせいふ)=米軍統治下の沖縄住民側の自治機関。1952(昭和27)年4月1日、琉球列島米国民政府布告に基づき創立。司法、立法、行政の三権分立の形式を備えた自治機構であったが、最終的権限はあくまで米国民政府(民政副長官のち高等弁務官)が握っていた。当初、立法院の議員以外は行政主席、上訴裁判所判事とも任命制であったが、沖縄住民の自治権拡大運動によって1968(昭和43)年11月に主席公選が実現した。1972(昭和47)年5月の日本復帰沖縄返還によって廃止、沖縄県に移行した。

 

注;屋良朝苗(やらちょうびょう)=1902(明治35)〜1997(平成9)年。沖縄県出身の昭和時代の教育者、政治家。広島高師卒。沖縄県立第一高女教諭、台北師範教授などをへて戦後、知念高校長、沖縄群島政府文教部長を歴任。1952(昭和27)年沖縄教職員会を設立して会長となる。祖国復帰運動をつづけ、1978(昭和43)年琉球政府主席、1972(昭和47)年に復帰後初の沖縄県知事(2期)となった。会談等においても自らメモを取るなどしたという。そのメモや日誌は死後読谷村に寄贈され、その複製が沖縄県公文書館にて順次公開されている。著作に「沖縄の夜明け」「私の歩んだ道」など。

 

 

注;丹羽喬四郎(にわきょうしろう)=1904(明治37)〜1978(昭和53)年。昭和時代の官僚、政治家。東京帝大卒。1931(昭和6)年内務省にはいり、千葉県官房長、外事課長などを歴任。1952(昭和27)年衆議院議員(当選9回、自民党)。1971(昭和46)年第3次佐藤内閣の運輸相。元厚生大臣の丹羽雄哉(にわゆうや。自民党)は3男。

  

「屋良覚書」について政府(第2次安倍内閣)は2013年2月8日、照屋寛徳衆院議員(社民)質問主意書に対して、下地島空港をめぐり、「現在においても、地方管理空港である下地島空港の利用の調整権限は管理者である沖縄県が有する」との答弁書を閣議決定した。

 

閣議決定では屋良覚書が現在でも有効とした。さらに、県が持つ空港利用の調整権限は県条例で決定するとの認識を示した。

 

防衛省内では、尖閣諸島問題に対応するため同空港に自衛隊のF15戦闘機を常駐させる案があり、2013年度予算案では下地島とは特定していないものの、先島諸島地域の離島に航空機やレーダーを展開する基盤を整備する可能性を調査・研究するため5千万円を計上している。

 

だが、沖縄県条例では空港を使用する際は知事への届け出が必要としており、仮に今後自衛隊が同空港を使用する場合は、権限を持つ沖縄県知事の許可がなければならないことになる。

 

 沖縄県は「覚書は今も有効で、自衛隊の利用は認められない」(知事公室)との立場である県議会答弁

 

 なお、この「屋良覚書」に関連する質問主意書への回答で、2004(平成16)年に日本政府は「下地島空港は、公共の用に供する飛行場として適切に使用する必要があり」、そのため「パイロット訓練及び民間航空以外の利用が当然に許されないということではない」としている。

 

 

いわゆる「屋良覚書」

 

 

            通海第702

             1971年8月13

  運輸大臣 丹羽喬四郎 殿

 

       琉球政府

        行政主席 屋良朝苗

 

下地島パイロット訓練飛行場の建設促進について

 

 下地島パイロット訓練飛行場の建設については、格別の御配慮を賜っておりますが同飛行場の建設を進めるにあたり、下記事項についての確認が必要でありますので、貴職の御見解を承りたくお願い申し上げます。

 

 

1 下地島パイロット訓練飛行場は、琉球政府(復帰後は沖縄県)が所有し、及び管理するものである。従つて、同訓練飛行場の使用方法は、管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)が決定することである。

 

2 運輸省としては、同訓練飛行場を民間航空訓練及び民間航空以外の目的に使用させる意思はなく、また民間航空訓練及び民間航空以外の目的に使用させることを管理者である琉球政府(復帰後は沖縄県)に命令する法令上の根拠を有しない。

 

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 沖・北対第2956

         空総第390

         昭和46年8月17

 

 琉球政府行政主席

    屋良朝苗 殿

 

         総理府総務長官

            山中貞則

 

         運輸大臣

            丹羽喬四郎

 

 下地島訓練飛行場の管理及び運営に関する琉球政府からの照会に対する政府の見解について

 

 昭和46年8月13日付通海第702号をもつて照会のあつた標記については、下記のとおり回答する。

 

 

 政府としては、琉球政府行政主席よりの申し入れの二項目について、異存のないことを確認致します。

 

 

いわゆる「西銘確認書」

 

            土空第61

             昭和54年4月24

 運輸大臣 森山欽司 殿

 

          沖縄県知事 西銘順治

 

下地島空港の管理について(照会)

 

 下地島訓練飛行場の建設につきましては、格別のご配慮をいただき厚く感謝申し上げます。

 

 同飛行場を公共用(第三種空港)に設置替えすることについては、先般、申請したところでありますが、沖縄県としては下記方針により運営したいと考えている。ついては、貴職の回答を賜りたくお願い申し上げます。

 

 

1 下地島訓練飛行場の建設にあたつて支出された県費(県債を含む。)は、同空港の訓練による飛行場収入で回収することとし、今後の維持管理費(村への交付金を含む。)についても県費の持ち出しをしないことを基本とした訓練使用料を設定する。

  なお、この趣旨にそつて直接の利用者である航空会社を指導していただきたい。

 

2 下地島空港は、人命救助、緊急避難等特にやむを得ない事情のある場合を除いて、民間航空機に使用させる方針で管理運営するものとする。

 

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            空管第137

             昭和54年6月22

  

  沖縄県知事 西銘順治 殿

 

           運輸大臣 森山欽司

 

 下地島空港の管理について(回答)

 

 先般、土空第61号をもつて照会のあつた本件について、下記のとおり回答します。

 

 

1 下地島空港の訓練用飛行場としての建設及び維持管理に関連して支出した県費を回収し、今後県費の持出しを要しないだけの使用料を利用者と協議のうえ設定することはさしつかえない。

  なお、下地島空港を旅客輸送等を目的として利用する航空機については、沖縄県が設置管理する他の三種空港と同様な水準の使用料を上記使用料とは別に設定することが望ましい。

 

2 下地島空港の運営方針は、第一義的には設置管理者たる沖縄県が決める問題であると考えている。

 

 

 

2007(平成19)年 第 3回 沖縄県議会(定例会) 第 5号 10月 2日

土木建築部長(首里勇治)

 

 それでは続きまして、基地行政の関連で、「屋良覚書」、「西銘確認書」の認識についてお答えいたします。

 「屋良覚書」、「西銘確認書」は、下地島空港の使用に関して、人命救助、緊急避難等特にやむを得ない事情のある場合を除いて民間航空機に使用させる方針で管理運営することを県が当時の運輸大臣との間で確認したものであります。 

 

下地島空港への航空自衛隊・F15戦闘機常駐配備と軍事利用に反対する声明

 

新聞報道によると、防衛省は宮古島市の下地島空港にF15戦闘機を常駐配備させることを検討しているとのことです。これは中国の航空機による尖閣諸島周辺への領空侵犯に対処することを名目にしていますが、安倍首相は1月5日、防衛省幹部らに領空・領海の警備態勢の徹底を指示したことにより、防衛省は、13年度予算概算要求に、南西諸島への部隊配備の調査費として数百万円を計上する方針であり、さらにそれを具体化するものとして下地島空港へのF15戦闘機の常駐配備を検討しているものと思われ、南西諸島の軍事要塞化が目的であると考えられます。

 下地島空港は、第3種の民間空港で、民間活用しかできないものです。そのうえ1971年に日本政府と当時の琉球政府との間で、「民間空港以外の目的の使用はしない。」とする覚書(以下「屋良覚書」という。)を交わしており、現在空港を管理している沖縄県も「県は『屋良覚書』を踏襲する立場であり、政府も当然これを踏襲すべきである。」と表明しています。

さらに20053月、下地島空港が存在する旧伊良部町の町議会で自衛隊を下地島空港に誘致する決議をしたことに対して、住民3,500人が議会に「ノー」を突きつけ、結果としてこれを撤回させた輝かしいたたかいの歴史もあります。

昨年の選挙で政権を取った自民党は、憲法九条を改悪し、国防軍を設置し、集団的自衛権の行使を可能とするなど、日本を「戦争をする国」にしようとしていることは明確であり、尖閣諸島をめぐる領土問題でも自衛隊を増強するなど軍事的に対応しようとする姿勢です。 しかし、領土問題は冷静な外交交渉で解決すべきものであり、軍事的な対応はすべきではありません。南西諸島への自衛隊配備を強行すれば、近隣諸国との緊張を徒に激化するだけで、決して地域の平和を構築することにはなりません。ましてや現在の日米安保条約のもとでは、自衛隊の基地は米軍が自由に使用することが出来る体制になっており、自衛隊が配備されれば、オスプレイも下地島空港に配備される危険性もあります。  

軍事衝突が起これば、日本本土を守るための捨石として再び、南西諸島が戦場になりかねません。

 私たちは、平和で安全な宮古を次代に引き継ぐことを希求しており、日本政府が下地島空港に航空自衛隊のF15戦闘機を常駐配備することや南西諸島に自衛隊を配備すべきでないと強く求めるものです。

  2013124

                             宮古平和運動連絡協議会

 

 

 「屋良覚書」見直しを 下地島・自衛隊誘致(01年6月5日配信『琉球新報』)

 

   伊良部町の浜川健町長と津嘉山浩同町議会議長は5日、県議会に自民党県連の西銘恒三郎幹事長らを訪ね、下地島空港への自衛隊訓練誘致に絡み同空港開港に向け国と琉球政府が交わした「民間機以外の利用は認めない」との覚書と、県議会の付帯決議が同誘致の障害になっているとして見直すよう求めた。下地島空港への自衛隊誘致で同様の趣旨の要請は初めて。

 

 「当時と状況が変化」

  要請に対し、西銘幹事長は「町議会の誘致決議を基に国、県、県議会議長への要請を受けた(再度の)要請であり、県政与党としてしっかり受け止めたい」と答え、誘致の障害を見直してほしいとの主張に、前向きに対応する姿勢を示した。

  覚書は、1971年の屋良朝苗主席時代に締結した、いわゆる「屋良覚書」。

  要請で浜川町長は「30年前に交わした覚書と付帯決議は重みがあり、国に誘致要請をした際にも重視していた。しかし現在は当時の状況と変わり、自衛隊の国への貢献度などから自衛隊への住民理解はある」と述べ、覚書と付帯決議の見直しを求めた。

 

☆ 宮古島の下地島空港に戦闘機常駐 尖閣領空侵犯で防衛省検討(13年2月14日配信『共同通信』)

 

 中国の航空機による沖縄県・尖閣諸島周辺の領空侵犯に対処するため、防衛省が沖縄県宮古島市の下地島空港にF15戦闘機を常駐させる案を検討していることが分かった。政府関係者が14日、明らかにした。

 現在の防空拠点となっている航空自衛隊那覇基地より尖閣に近く、3000mの滑走路があり、防衛省は「利用価値は非常に高い」(幹部)と評価している。

 同空港は自衛隊の利用を前提としておらず、調整が必要となる。

 昨年12月に中国機が尖閣周辺の領空侵犯した際、那覇基地から緊急発進したF15戦闘機が到着した時には中国機は既に領空を出ていた。下地島空港は沖縄県が管理している。

 

 下地島にF15戦闘機駐留を検討 政府(13年2月14日配信『琉球新報』」)

 

 中国の航空機による尖閣諸島周辺への領空侵犯に対処するため、防衛省が宮古島市の下地島空港にF15戦闘機を常駐させる案を検討していることが分かった。現在の防空拠点となっている航空自衛隊那覇基地より尖閣に近く、警備態勢の強化を図る狙い。ただ同空港は自衛隊の利用を前提としていない。政府関係者が14日、明らかにした。

  県の又吉進知事公室長は同日、下地島空港へのF15戦闘機の常駐案について「政府側から全く聞いていない。報道の根拠があるのか確認したい」とした上で「屋良覚書や西銘確認書では、自衛隊も含めて軍事目的では使用しないと明確にうたわれている。県は(両文書を)踏襲する立場にあり、政府は十分尊重すべきだ」との認識を示した。

  昨年12月に中国機が尖閣周辺の領空を侵犯した際、空自は那覇基地からF15戦闘機8機を緊急発進させたが、到着時には中国機は既に領空を出ていた。安倍晋三首相は今月5日、防衛省幹部らに領空・領海の警備態勢の徹底を指示。防衛省は具体策の検討に着手した。

  那覇基地から尖閣までは約420キロあり、F15が緊急発進しても到着まで15〜20分かかるとされる。沖縄県が管理する下地島空港は尖閣まで約190キロと近い上、3千メートルの滑走路があり、防衛省は「利用価値は非常に高い」(幹部)と評価している。

  日本政府は、沖縄返還前で米軍統治下の1971年に当時の琉球政府の屋良朝苗主席と「民間航空以外の目的で使用しない」とする覚書を締結。沖縄の本土復帰後、西銘順治知事とも同様の確認書を交わした経緯がある。これを理由に自衛隊の利用は難しいとの指摘もある。

  ただ政府は2004年の答弁書で、下地島空港について「パイロット訓練、民間航空以外の利用が許されないということではない」と説明した。

  日米両政府は同空港をアジア太平洋地域の災害救援拠点とすることも想定。過去には米軍普天間飛行場の移設候補として取り沙汰されたこともある。

 

 空自が下地島活用 尖閣対応で防衛省検討(13年1月8日配信『琉球新報』) 

 

防衛省は2013年度予算の概算要求に、下地島空港の自衛隊活用など南西地域での航空自衛隊の運用態勢の強化のための研究調査費を盛り込む。昨年12月の中国国家海洋局所属の航空機による領空侵犯など、尖閣諸島周辺の領海、領空への侵犯が続いていることを踏まえ、先島での空自部隊の展開を検討する。下地島空港は「屋良覚書」や「西銘確認書」で軍事利用を否定しており、地元で波紋を広げそうだ。

  12月の領空侵犯では、空自那覇基地からF15戦闘機8機とE2C早期警戒機1機が緊急発進して急行したが、到着時には中国機は領空を出ており、通告や警告は行われなかった。防衛省内から対応を求める声が上がっていた。3千メートルの滑走路がある下地島空港が調査対象になるとみられる。

  防衛省の西正典防衛政策局長は7日の自民党国防部会で、「尖閣への緊急発進は那覇空港から飛んでいるが、距離はどうしようもない。より至近距離にあるところに部隊展開できるのか、考えないといけない」と強調した。防衛省は米軍普天間飛行場に配備されている垂直離着陸輸送機オスプレイ導入の調査研究費800万円も要求する。

 

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