「怖いよー」「助けてー」届かなかった小学4年生栗原心愛(みあ)さんのSOS

 

千葉地裁・小池健治裁判長、なぎさ被告に懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役2年)の判決(確定)

 

20203月19日、勇一郎被告に懲役16年(求刑18年)。千葉地裁・前田巌裁判長、起訴内容の暴行を否定した被告の供述について「信用できない」と述べたうえで、傷害致死など6つの罪についてすべて認定した

 

東京高裁(近藤宏子裁判長)は、20213月4日、懲役16年とした1審千葉地裁の裁判員裁判判決を支持し、被告の控訴を棄却した

 

 関連記事No1(2019年)No2(2020) ・ 関連論説 NoNo2

 

 ・ 事件をめぐる経緯

 

神戸・中3自殺 市教委、校長にメモ隠蔽指示「先生、腹くくってください」

葛飾・中3自殺;区長「いじめに該当」 第三者委報告覆す

「パパ、ママ、もうおねがい ゆるして ゆるしてください」

 

 

 

  

心愛(みあ)さん

 

 

父親の栗原勇一郎容疑者(会社員。41)

 

 

母親の栗原なぎさ容疑者(31)

 

お父さんにぼう力を受けています。

夜中に起こされたり、起きているときにけられたり

たたかれたりされています。

先生、どうにかできませんか。

 

心愛さんが父親からの虐待の事実を訴えた小学校のアンケート

 

虐待を訴えた心愛さんの自筆アンケートの写し。欄外には「なぐられる10回(こぶし)」などの書き込みも。当時の担任が聞き取った際に書き込んだ

 

写真

 

 

 

亡くなった栗原心愛さんの自宅があるマンション

 

 

柏児相に示された書面全文

 栗原心愛さんが書いたものとして、父親の勇一郎容疑者が千葉県柏児童相談所に示した書面は次の通り(漢字表記などは柏児相の発表通り)。

 

 お父さんに叩かれたというのは嘘です。小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました。お父さん、お母さん、妹、〇〇(親族の呼び名)にたくさんの迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。ずっと前から早く4人で暮らしたいと思っていました。この間のときにも言いました。お父さんに早く会いたいです。児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください。会うと嫌な気分になるので、今日でやめてください。お願いします。

 

心愛(みあ)さん死亡事件をめぐる経緯

 

2017年2月

栗原心愛さんの父親勇一朗容疑者と母親なぎさ容疑者が再婚

7月6日

心愛さんの母方の親族が沖縄県糸満市に「心愛さんが父親から恫喝されている」「母親がDVを受けている」と相談

8月

一家が千葉県野田市に転居

9月1日

心愛さんが千葉県野田市立山崎小へ転校

11月6日

心愛さんが千葉県野田市立山崎小学校のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています」と記入

7日

千葉県柏児童相談所(児相)が一時保護

11〜12月

心愛さんは保護期間中、医師や柏児相職員らに対し「(父親から)夜中に起こされ、窓の外に誰かいるから見てこいと言われた」場面について話した。「パパが急にズボンを下ろしてきた。パンツも脱げて『やめてよ』と言ってすぐに上げたら、パパから『そんなこと言うとバレるだろ』と言われた」と打ち明けたという。

 さらに、寝ている時に起こされて手で口と鼻をふさがれ、「息ができなくて死ぬかと思った」「朝起きたら唇が腫れていてマスクをして学校に行った」などと身体的な虐待も訴えた。母親がいない時や就寝中に、こうした被害に遭っていたという。

 診断した医師は「暴力行為だけではなく性的虐待を含み、(心愛さんの)恐怖心はかなり強い」との所見をまとめた。心愛さんが「父親の悪夢を見る」ほどで、不安になったり被害内容が話せなかったりする症状も出ていたため、12月中旬、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の状態と診断される」とした。

母親なぎさ容疑者は、児相職員と面談し、心愛さんを引きずるなどしていた父親の勇一郎容疑者にやめてほしいと伝えたが「お前に言われたくない」と逆上されることが多かったと。午後9時に寝る準備をすると、勇一郎は「何で子どもを早く寝かせなければならないんだ」「今から宿題の復習をする」と反発し、なぎさ被告は心愛さんの不眠を悩んでいたという。また、なぎさ容疑者児相職員に「結局、言っても何も変わらない」と吐露し、「できたら今後は父親と2人きりにさせたくないが、どうしたらよいのかわからない」とも述べた

12月26日

柏児相の職員3人が一時保護解除後、親族宅にいた心愛さんを自宅に戻すかどうか判断するため、親族宅を訪問

12月27日

父親への恐怖心が軽減するまで父方の親族宅で暮らすことなどを条件に、一時保護を解除

2018年1月12日

山崎小で両親、学校、野田市教委が話し合い。父親が学校側に「アンケートの回答を見せろ」と要求

15日

市教委がアンケートのコピーを父親に渡す

18日

心愛さんが野田市立二ツ塚小へ転校

2月20日

児相や市教委、警察などが参加する市の「要保護児童対策地域協議会(要対協)」で、コピーを渡したことを報告

26日

父親が「お父さんにたたかれたのはうそ」と心愛さんに書かせた書面を児相職員に提示し、「今日で家に連れ帰る」と発言し帰宅を迫る

28日

柏児相が「援助方針会議」で虐待のリスクが高まったと認識しながら心愛さんを自宅に戻す決定

3月初旬

心愛さんが自宅に戻る(具体的日時児を相把握せず)

19日

心愛さんが「父親に書かされた」と学校で面会した児相職員に明かす

2019年1月7日

父親が学校に「沖縄にいる」と電話。始業式(7日)以降欠席

11日

父親が学校に「2月4日に登校」と電話。学校は市に連絡

21日

児相からの電話に学校が「2月4日まで沖縄に帰省」と回答

22日

要対協が会議。心愛さんは議題に上がらず

24日

父親が「娘の意識と呼吸がない」と110番通報。救急隊が浴室で遺体を発見心愛さんの遺体を自宅で発見。勇一郎容疑者は1月22日夜〜24日深夜、自宅で心愛さんに食事を与えず、長時間立たせたり肌着姿で浴室に放置したりして、十分な睡眠も取らせなかったという。

25日

千葉県警、父親栗原勇一郎容疑者(会社員。41)を心愛さんへの傷害容疑で逮捕

2月4日

千葉県警、母親の栗原なぎさ(31)を同容疑で逮捕。5日朝、検察庁に身柄送検

8日

政府は、首相官邸で児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議を開き、厚生労働省と文部科学省がそれぞれ1カ月以内に緊急的な安全確認を行うなど、対策の強化策を取りまとめる

14日

千葉県警、勇一郎容疑者勾留期限の14日に別の傷害容疑で再逮捕

19日

野田市や千葉県柏児童相談所、野田署などは、虐待事案への対応などを話し合う市要保護児童対策地域協議会(要対協)の実務者会議を開く。再発防止策として、経過記録だけでなくリスクの変化や対応方法を会議資料に明記することや、虐待情報を児相や学校などと共有するシステムの導入など計4項目で合意

21日

千葉県、検証委員会初会合開く

22日

野田市、鈴木有市長、今村繁副市長、佐藤裕教育長の給与を4〜6月の3カ月間、それぞれ2分の1に減額すると発表

25日

千葉県警、母親のなぎさ容疑者を別の傷害容疑で再逮捕。2018年12月30日から19年1月3日ごろの間、勇一郎容疑者が自宅で心愛さんの体にのしかかるなどして胸骨骨折などのけがを負わせた際、制止せず、治療を受けさせなかったなどとされる

26日

野田市、「児童虐待事件再発防止合同委員会」の初会合を開く

27日

なぎさ容疑者を検察庁に身柄送検

3月6日

千葉地検、勇一郎容疑者(41)を傷害致死罪で起訴。なぎさ容疑者も傷害の幇助(ほうじょ)の罪で起訴

8日

千葉県警、勇一郎容疑者を3回目の逮捕

18日

千葉県警、勇一郎容疑者を4回目の逮捕

5月16日

なぎさ被告(32)の初公判。なぎさ被告は、起訴内容に間違いがないかを裁判長に問われると、数十秒沈黙。裁判長に促されると「間違いありません」と小さな声で述べ、起訴内容を認めた。

起訴状によると、父親の勇一郎被告(41)=傷害致死罪などで起訴=は1月22日夜〜24日深夜、自宅で心愛さんに食事を与えず、長時間立たせたり肌着姿で浴室に放置したりして、十分な睡眠も取らせなかったとされる。さらに浴室で何度も冷水を浴びせるなどして飢餓と強いストレス状態に陥らせ、ショックもしくは致死性不整脈または溺水(できすい)で死亡させたという。なぎさ被告はこうした虐待を認識しながら放置し、食事を与えないことなどで傷害を手助けしたとされる。

検察側は冒頭陳述で、2018年末から女児が死亡した2019年1月までの夫勇一郎被告による暴力などに対して「なぎさ被告は虐待を止めることはあったが、児童相談所には通報しなかった」と指摘。女児が2017年11月に一時保護される前は「(勇一郎被告に)問いただしたり、虐待を止めたりしていなかった」と述べた。

検察側は「女児を守るべき母親としての責任を放棄して虐待に同調した悪質な犯行」と懲役2年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求めて即日結審した。注目の集まる公判に、70席分の傍聴券を求めて463人が並んだ。判決は6月26日。

これまで経緯について詳しい話をしていない勇一郎被告は、裁判員裁判で審理される。

 

法廷での栗原なぎさ被告(左)=2019年5月16日、千葉地裁、絵と構成・小柳景義(2019年5月17日配信『朝日新聞』」)

6月21日

勇一郎被告の裁判員裁判の第1回公判前整理手続。公判日程は決まっていない

26日

千葉地裁・小池健治裁判長、なぎさ被告に懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役2年)の判決

710日

なぎさ被告の判決確定。10日が控訴期限だったが、検察側、被告側の双方から控訴がなかった

7月24日

勇一郎被告の裁判員裁判の第2回公判前整理手続

2020

123

野田市や市の教育委員会などの対応を検証してきた有識者の委員会が報告書を公表。「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」と当時の対応を批判。そのうえで、心愛さんが虐待の被害を訴えたアンケートのコピーを父親に渡すという教育委員会の対応について、「子どもへの裏切り」としたうえで、「子どもの権利に対する意識の低さは非常に大きな問題だ」と指摘

2月21日

勇一郎被告、初公判

25

第2回公判。勇一郎被告の妹が証人尋問で、心愛さんが2017年夏に沖縄県から千葉県に引っ越した直後に被告からの暴行を訴えていたと証言。妹は、心愛さんが自分で食べずにとっておいたお菓子をクリスマスにプレゼントしてくれた思い出を語り、「心愛を返してください」と訴えた。午後に心愛さんの祖母の証人尋問が行われ、「まさか自分の息子が虐待するなんて考えられなかった」などと証言した。

26

第3回公判。自らも心愛さんの虐待に関与し、執行猶予付きの有罪判決を受けた母親(33)の証人尋問が法廷と別室を映像と音声でつなぐビデオリンク方式で行われ、母は検察側の質問に時折涙ぐみながら被告について「第一印象は明るくてやさしかったが、同居後は暴言を吐いたり束縛したりするようになった」と述べたうえで、2017年7月に沖縄県から千葉県に引っ越した直後の生活について心愛さんから「両手をつかんで引きずり床に打ちつけた」「心愛は『胸が苦しい』」、「夜中にパパから起こされたり、立たされたり、妹の世話をしろとも言われ、『毎日が地獄だった』とうち明けられていた」と証言した。

27

第4回公判。心愛さんの母(33)は証人尋問で、心愛さんが死亡するに至った2019年1月22〜24日の状況について「被告が監視し食事をあげられなかった。ぬれた下着姿で風呂場に朝まで立たされていた」と証言した。被告には「二面性があった」とし、「できる限り重い刑にしてほしい」と語った。

28

第5回公判。柏児童相談所職員が証人出廷。入退廷時には遮蔽(しゃへい)板が置かれたが、証言時も勇一郎被告側はついたてが置かれたまま、「貴い命を守ってあげられなかった。本当に後悔しています」と証言した。

3月2日

6回公判。検察側は、心愛さんの後頭部の皮膚が全体的に赤紫に変色し、目の周りや首、背中や四肢にも皮下出血があったとする司法解剖の鑑定書を読み上げた。

前回同様、柏児童相談所職員が証人出廷。裁判官から「被告人に危うさを感じたことがあるか」と尋ねられると、「はい」と答え、「事件として公になったからではなく、(面会を重ねた)当時からお父さんは反対してくる人に対してや、自分の意見が通らないと、どんなことをしても認めさせようとする」と証言した。

午後は心愛さんを司法解剖した医師が遺体の状況と死因について、「心愛さんは死亡の数週間前に胸骨を骨折していた。後ろに陥没するように骨折しており、相当な強さで圧迫または打撃されてできたものと考えられる。胸骨は比較的硬い骨で、日常生活で転倒するくらいで折れるとは考えにくい」と証言した。

4

第7回公判。検察側の証人として出廷した虐待に詳しい精神科医で臨床心理士の小西聖子武蔵野大教授は、「心愛さんは普通の虐待を受けた子どもより訴える力を持っていた」としたうえで、父親からの暴力を訴えたアンケートをその後、否定する手紙を書いたことについては「外の人は助けてくれないという経験をしたからではないか」と分析。さらに、「再び被告の家に連れ戻され、絶望感や無力感を感じたと思う」と証言した。

また、心愛さんの祖母に当たる被告の母親の証人尋問も行われた。

午後からは被告人質問が始まり、弁護士が沖縄から野田市に転居したあと長時間、心愛さんを立たせるなどしたかについて問うと、被告は「立っているように言ったことは一度もないです」と答えた。

 さらに、弁護士が「なぜ、心愛さんが『立たされた』と言ったと思うか」と質問すると、「傷つけてしまうからこれ以上言えません」と述べましたが、再度、弁護士から聞かれると、「うそをついていると思いました」と述べた。

 心愛さんが小学校のアンケートで訴えた被告からの暴行について思い当たることがあるかと質問されると、「ありません。心愛が、されてもないのにうそを書いたと思います。うそを書いた理由は分かりません。夜、寝相が悪くて毛布をかけ直したのを勘違いしたのかも知れません」と述べて否定した。

5

第8回公判。弁護側の被告人質問で、勇一郎被告は、心愛さんが死亡する前日の2019年1月23日夜、被告が浴室で立たせていたとする心愛さんの母親(33)の証言を「ずっと立ってはおらず、リビングのストーブの前で寝ていた」と否定。母親に対し、心愛さんへ食事を与えないよう指示したこともないと主張した。

 また、心愛さんが死亡する約1カ月前の2018年末から19年1月にかけて、心愛さんの体を床に打ちつけたなどとする傷害罪の起訴内容についても「ありません」と否定した。

 18年7月30日に心愛さんを怖がらせ、排せつ物を持った姿を携帯電話のカメラで撮影したとする強要罪については、風呂場で用を足した心愛さんから「『撮りたければ撮れよ』と言われたので撮ってしまった」と主張した。

 被告は一連の質問に涙声で答えていた。

6

第9回公判。傷害致死事件の詳しい状況などについて、引き続き被告人質問が行われた。検察側が、心愛さんの死亡直前の暴行について追及したのに対し、勇一郎被告は「やっていない」と否定した。

 心愛さんが自宅の風呂場で死亡した19年1月24日の様子を問われた被告は「心愛は朝から風呂場にいたが、様子を見に行くと、浴槽の縁に腰掛けて鼻歌を歌っていた」と返答。プロレス技をかけたとされる暴行に関しても「1回もやっていない」とし、長時間にわたって立たせ続け、激しい暴力をふるったとする検察側主張をことごとく否定した。

 被告の暴行を目撃したという心愛さんの母親の証言との食い違いを指摘されると、「私は事実しか話していない」と反論した。検察官が「まるで死人に口なしで、心愛さんを陥れていると分からないのか」と厳しい口調で問い掛けると、「1年以上にわたり事件と向き合って考えてきた、私なりの心愛への思いです」と淡々と答えた。

 弁護側の質問で、判決確定後の生活にも言及した。刑務所では「心愛に謝らせてもらえるように、自分にできる償いを、その日その日に一生懸命行いながら生活していきたい」と目を潤ませた。

 一方、今後の夫婦関係について問われると「離婚するつもり」と明言。心愛さんの母親は証人尋問で、離婚を希望しているものの勇一郎被告が応じないことを明らかにしていたが、勇一郎被告が態度を一転させた形となった。

 被告人質問はこの日で3日目。午後には、裁判員らが質問した。

 

(2020年3月7日配信『東京新聞』)

9

第10回公判。結審。勇一郎被告は最終陳述で「つらい思いをさせてごめんなさい。私が未来を奪ってしまった」と心愛さんに謝罪。裁判で母親らの証言との食い違いが指摘されたことについては「私は事実を話した」と改めて強調。

検察側は、心愛さんへの行為を「虐待」と認めつつも起訴内容の暴行の多くを否定した被告に対し、「空虚な説明で、今なお心愛さんの虐待は続いている」と非難。過去の児童虐待事件と比べても「比類なき重い事案だ」と述べ、懲役18年を求刑した。

弁護側は、心愛さんが小学校のアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と書き、児童相談所が一時保護するきっかけになった1711月の暴行罪は無罪を主張。ほかの罪は、具体的な暴行などの大半を否定したうえで、日常的な虐待を行っていたわけではない。しつけが行き過ぎた結果だ。「適正な判決を出してほしい」と主張した。

なお、 この日は、心愛さんと7年間、沖縄県で同居していた母方の祖母も出廷。「みーちゃんは家族の宝物だった。被告はみーちゃんの痛みを感じてほしい」と語った。

19

判決。勇一郎被告に懲役16年(求刑18年)。前田巌裁判長は、起訴内容の暴行を否定した被告の供述について「信用できない」と述べたうえで、心愛さんへの暴行など起訴された6つの罪を全て認定し「尋常では考えられないほど凄惨で陰湿な虐待だった」と指摘。死者1人の傷害致死罪では「最も重い部類に位置付けられるべきだ」と述べた。

31

勇一郎被告(42)が、判決を不服として、東京高裁に控訴した。

2021年

3月4日

 

東京高裁、懲役16年とした1審千葉地裁の裁判員裁判判決を支持し、被告の控訴を棄却した。

近藤宏子裁判長は、虐待について「悪質性は並外れたものとして際立っている」と述べた。

 控訴審で弁護側は、一審判決に事実誤認があり、量刑が重すぎると主張していた。 

 

 

小4女子死亡事件 千葉県柏児童相談所会見要旨(2019年2月5日)(2019年2月6日配信『産経新聞』)

 

記者会見する千葉県柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)ら=5日午後、千葉県庁で

記者会見する千葉県柏児童相談所の二瓶一嗣所長(右)ら=5日午後、千葉県庁で

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心(み)愛(あ)さん(10)が自宅浴室で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、県柏児童相談所が5日に行った記者会見の要旨は次の通り。

 

 二瓶一嗣所長による経過説明

 

■2018(平成30)年2月26日

 柏児相の職員3人が17年12月27日の一時保護解除後、親族宅にいた心愛さんを自宅に戻すかどうか判断するため、親族宅を訪問。当初、親族と心愛さんがいたが、心愛さんは別室に行き、父親の勇一郎容疑者(41)=傷害容疑で逮捕=が来た。その際に父親から心愛さんが書いたものとして「お父さんに叩かれたのは嘘」などと書かれた書面を見せられた。書面は職員がメモした。父親からは「家に連れて帰る」という発言があったが、「良いとすることはこの場ではできない」「事実を会議の場で報告する」と伝えた。

■2月28日

 今回のことも含めて総合的な会議を行った。親族の体調不良により親族宅での養育の継続が難しいということで、自宅に戻すのか、一時保護が必要なのかを検討し、虐待の再発が認められないことを踏まえ、自宅に戻すことを決めた。

■3月19日

 心愛さんは3月初旬、自宅に戻り生活を始めた。3月19日に児相職員3人が小学校を訪問し、心愛さんと面接、心愛さんのものとされた文書について聞いた。心愛さんは、仕事で父親がいないときに母親に会いに(親族宅から)自宅に帰った際、父親から母親に「こういう手紙を書くように」というメールがあり、それを見ながら書き写したと。職員が心愛さんの気持ちとは違うのかと聞いたら、「お父さんとお母さんに早く会いたい。一緒に暮らしたいのは本当」と答えた。

 

質疑応答

 

 −−3月19日の心愛さんとの面接で、「お父さんに叩かれたのは嘘」という部分の真偽は確認したのか

 二瓶所長 最初に「またお父さんに叩かれたりしていないか心配で会いに来た」と伝えると、心愛さんは「大丈夫な感じ」と。そして「親族に頼んでお母さんしかいないときにアパートに連れて行ってもらったが、家の中の様子が変わっていて物がたくさん増えていた。お母さんも変わらない。お父さんとはこれまであまり話をしていなかったが、物が増えたことや妹のことを話している。学校も楽しく通っている。今の学校に転校して3カ月だけど、今ではクラスの子みんなが友達」と話した。

 例の書面について聞くと、小声で「言ってもいいのかな」と言いながら、「アパートに帰ったときにこういう手紙を書くようにと言われてそれを見ながら書き写した」と。

 −−「叩かれたのは嘘」という部分の真偽の確認は

 していなかった。

 −−2月26日に勇一郎容疑者が心愛さんを連れて帰ると言ったときの様子は

 「もう来ないでほしい」「これ以上家庭を引っかき回さないでほしい」「児相ではなく、職員個人を訴える。名誉毀(き)損(そん)も検討している」などの発言があった。

 −−2月28日に総合的に判断して家に帰した根拠は

 学校で傷やあざが認められなかったということで判断した。登校状況や学校での雰囲気など適応状況を見て28日の会議で虐待の再発がないと考えた。

 −−父親と住んでいないのになぜ虐待の再発がないと判断できるのか

 指摘のことは大変大事なことだと思う。きちんと段階を踏みながら父親との接触や生活などを判断することの方がよかったと思う。

 −−自宅に帰した判断を今どう思うか

 今となってはものの見方がすごく足りなかったと思う。

−−書面は心愛さんが書いたものと思ったか

 虐待対応をしているときに「本人の意向」ということを親が言うケースは少なくない。今回のケースもこれまでの流れなどから父親が書かせたものと推測した。

 −−書面には心愛さんの署名があったのか

 署名付きだったと記録されている。

 −−文書は受け取っていないのか

 父親の方から見せてもらうだけで渡してもらえなかった。

 −−自分の意思ではないものを書かせるのは虐待ではないか

 心愛さんにとっては非常につらいもので、虐待として捉えていく必要はあった。身体的虐待について、継続的にやっていたことがあり、そちらに引っ張られた。心理的な虐待にも重きをおいて再評価していくべきだった。

 −−心愛さんが自宅に戻ったのはいつか

 当時の担当者にも確認したが、記録がなく判明しなかった。

 −−危険があるのに記録に残していないのか

 大きな不備があった。

 −−帰ったことを認識したのはいつか

 (面接の)日程調整で学校に連絡したときに学校の先生から(心愛さんが)3月3、4日に家族旅行に行ったと聞いた。ただ、本人から実際に自宅に戻ったことを確認したのは19日だった。

 −−知らない間に帰っているのであれば、一時保護の対象では

 最初は親族宅に帰っていたが、親族の体調が悪くなって自宅に帰らないといけなくなった。憶測にはなるが、3月に入ってから帰ったものと思う。

 −−児相の了解の下に帰ったのか、勝手に帰ったのか

 どのように児相が父母に伝えたかは不明確になっている。

 

「児相の責任あると思う」当時の所長一問一答 千葉女児虐待(2019年2月8日配信『毎日新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、心愛さんが一時保護されていた当時の柏児童相談所の所長が7日、毎日新聞の取材に応じた。

 主な一問一答は次の通り。

 ――心愛さんのケースは緊急性の判断を引き下げて一時保護を解除した後、最悪の事態になった。

 元所長 判断を見誤っていた。なぜ誤ったのか、具体的な部分は第三者の検証委員会に指摘してもらうしかない。ここまでの(重大な)ケースだと判断できていなかった。

 ――親は虐待を否認していた。

 元所長 一般論として、加害者がたたいたことを認めず、青あざなどのけががなく、本人にもおびえた様子がないという状況だと判断はぶれやすくなり、リスクを見逃すことにつながる。今回はまさにそうだったのではないかと思う。

 ――児相としての責任をどう考えているか。

 元所長 責任はあると思う。全容がまだ分からないが、心愛さんはおどされたり、精神的に相当圧迫されたりしていたのだと思う。そうした部分がちゃんと見えていなかった。

 ――心愛さんの印象は。

 元所長 児相内の食堂での昼食時、月に1回くらい見かけた。見た印象としては、普通の小学生らしい女の子、という感じ。すごく暗いとか、落ち着きがないとかいう問題はなかった。近くで話したことはなかった。

 ――父勇一郎容疑者は援助を拒否していたと聞いている。

 元所長 親への援助は一様のやり方ではできない。表面上は素直でなくても援助を受け入れてくれる人もいれば、どんなに試みても受け入れない人もいる。どうすれば効果的に援助できるか、見極めるには時間が必要。ただ、次々と新しいケースが入ってくるので職員に十分な時間がない。

 ――一時保護後に身を寄せていた親族宅から帰宅を認めた判断をどう振り返る。

 元所長 例えば、けがをした児童がいれば、何があったか分からないから調査する必要がある、ということで保護できる。ところが、けがもなく事実関係も分からず緊急度やリスクを高く見ていない状況で保護を強行すると、親と生活する児童の権利を奪うことにもなりかねない。ただ、そもそも、今回はリスク判断にも誤りがあったと思う。検証を踏まえて是正しないといけない。

 ――心愛さんに言葉をかけられるとしたら。

 元所長 つらい思いをさせ、本当に申し訳ない。(苦しさに)気づけなかったこと、(適切に)判断できなかったこと、申し訳なかった。大変な時間を過ごさせてしまったと思うと、悔やまれる。

 

 

野田虐待死 父親が控訴 懲役16年判決不服(2020年4月1日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で2019年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして傷害致死罪などに問われ、1審千葉地裁で懲役16年の判決を受けた父親勇一郎被告(42)が、判決を不服として、東京高裁に控訴した。3月31日付。千葉地裁が1日に明らかにした。

 3月19日の1審千葉地裁の裁判員裁判判決は、起訴された6件の起訴内容全てを有罪と認定。その上で「先例を大きく超える極めて悪質性の高い事案」と指摘し、これまでの虐待事件の傾向を上回る異例の量刑とした。被告側は、傷害致死罪の成立を認める一方、死亡に至るまでの暴行の多くを否定。「しつけが行き過ぎた結果だ」と情状酌量を求めていた。

 判決によると、勇一郎被告は19年1月22〜24日、心愛さんに食事や十分な睡眠を取らせず、浴室で冷水シャワーを掛け続けるなどして死亡させた。

 

野田虐待死 懲役16年 暴力で支配 根底迫れず 被告、最後まで無表情(2020年3月20日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)は、千葉地裁で懲役16年の判決理由を言い渡される間、無表情で正面を見据え、身動きすることもなかった。審理に参加した裁判員や傍聴者は、被告の真意や虐待が生まれた背景をつかみきれず、もどかしい思いを抱えながら公判を振り返った。

◆認定心理士「命奪った結果だけ受け止め」

 

「暴力以外に手段がなかったのか、被告自身に考え続けてほしい」と語る竹内由紀子さん=千葉地裁で

 

 千葉県内で虐待やドメスティックバイオレンス(DV)の当事者支援に携わる認定心理士、竹内由紀子さん(62)は毎回傍聴券を求め、千葉地裁に足を運んだ。公判を通じて虐待を生んだ背景が明らかになり、再発防止につながることを期待したが、「被告は命を奪った結果だけを受け止め、虐待に至った過程に今も目を向けていない。暴力的支配が生まれた理由は分からずじまい」と残念がった。

 25年前、マンションの隣室から、週末になると母親の怒号や子どもが泣き叫ぶ声が聞こえた。今思うと、教育虐待だった。その体験を機に、子どもへの暴力防止の啓発活動に10年近く参加。10年前から、DVや虐待の問題を抱える夫婦125組の関係修復に携わってきた。

 地元で起きた心愛さんの事件。「虐待の根底にある支配的な考え方がどう身に付いたのか知りたい」と法廷に向かった。

 公判で被告は、一部行為を虐待と認め、動機を「(心愛さんの)言ったことはやらせないといけない」と述べた。その姿は、これまで関わってきた加害者たちと重なった。「自分を公正と思う人ほど、自分の正義に当てはまらない人を制裁しようとする」

 自分への評価を気にして対外的に丁寧な半面、身内や目下とみなした人に対する言動に無頓着な「二面性」も共通点と感じた。これらの問題点に加害者自身で気づくのは難しく、克服へのハードルは高いという。

 印象的だったのは、強い口調で心愛さんをせかす被告の様子を、被告の母親が「昔、自分が勇一郎にしていた言い方だった」と証言した場面。竹内さんは「被告も厳しい叱責(しっせき)を受けて育ったのだろう」と感じた。成長過程は虐待の背景を知る上で重要なはずだが、証拠や証言からそれ以上詳しい背景は浮かばなかった。

 この日の判決を傍聴することはできなかったが、竹内さんは「暴力以外の手段を取れなかったのか、自ら考え続けてほしい」と訴える。 

◆裁判員「罪と向き合えていない」

 

判決後に記者会見に応じた裁判員=19日、千葉市内で

 

 勇一郎被告は、上下黒のスーツに青のネクタイ姿で入廷し、これまでと同じように約10秒ほど、深々と一礼した。冒頭で前田巌裁判長が「懲役16年に処する」と言い渡すと、被告は裁判官や裁判員に向かって深々と頭を下げた。その後、裁判長から着席を促されると、被告人席に腰掛け、じっと真っすぐ前を見つめた。

 裁判長が量刑理由で「陰湿で凄惨(せいさん)な虐待。心愛さんの人格や尊厳を全否定した」と厳しく責任を指摘したが、被告は最後まで無表情だった。

 判決後に会見した補充裁判員の30代の男性は「被告はあくまで自分は悪くないと主張していた。罪と最後まで向き合えていないと感じた」と被告の態度を振り返った。別の30代の男性裁判員は「自身の母親の証言では泣く一方、心愛さんの動画が流されているときは無表情。なんの涙だったのか」と法廷での態度に違和感を覚えたという。

 公判では、心愛さんが脱衣所で泣き叫ぶ動画などが証拠として示された。女性裁判員は、動画について「むごい内容で涙が出た」と声を詰まらせた。事件の印象について、補充裁判員の男性は「この事件がきっかけに行政の対応が改善してほしい」と話した。 

 

野田虐待死 異例の量刑 父に懲役16年「先例超え悪質」(2020年3月20日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判で、千葉地裁(前田巌裁判長)は19日、6件の起訴内容全てを有罪と認定した上で、「先例を大きく超える極めて悪質性の高い事案」とこれまでの虐待事件の傾向を上回る懲役16年(求刑懲役18年)の判決を言い渡した。 

 前田裁判長は量刑理由で「徹底的な支配により、心愛さんを肉体的にも精神的にも追い詰め、死亡させた」と断じ、過去の死者1人の虐待事件で傷害致死罪としては最も重い量刑を言い渡した。

 公判で被告は傷害致死罪の成立は認めたが、暴行内容の大半を否定。「お父さんからぼう力を受けています」と被告の暴行を訴えた心愛さんのアンケート内容を「うそ」と主張した。これに対し、前田裁判長は「大人に対し、身に起こったことをありのまま精いっぱい伝えようとした様子がうかがえる」とアンケートの記載は信用できるとした。

 暴行の詳細を語った心愛さんの母親(33)の証言と被告の主張の信用性も焦点となったが、前田裁判長は母親の証言を「具体的、克明で信用性が高い」と認定。一方で証人らの証言が虚偽だと訴えた被告を「自己の責任を心愛さんや母親に転嫁して不合理な弁解に終始し、反省が見られない」と批判した。

 被告が傷害致死罪について「冷水シャワーは額に2〜3回かけただけ」などと激しい暴行を否定していた点も、「被告の主張は脈絡を欠いて不自然。都合の良い部分のみをつまみ食い的に述べている」と指摘。「実父から理不尽極まりない虐待を受け続けた心愛さんの悲しみや無念さは察するに余りある」とした。

 判決によると、被告は2019年1月22〜24日、心愛さんに食事や十分な睡眠を与えず、顔に冷水シャワーを浴びせ続けるなどして死亡させた。

心愛さんの痛み 動画が裏付け

<解説> 判決は、検察側の主張を全面的に認めた上で、同種の事件の中でも最も重い部類に位置づけ、求刑に近い懲役16年とした。犯行態様の陰湿さ凄惨(せいさん)さだけでなく、不合理な弁解に終始した勇一郎被告に「酌量の余地などみじんもなく、極めて強い非難が妥当」と厳しい姿勢を示した。

 公判では、暴行の様子を巡り、被告の説明と証人の証言内容が食い違った。密室での虐待行為を立証する重要な証拠となったのは、被告が撮影した多数の動画と写真。法廷で再生された中身は衝撃的だった。「家族に入れろよ」と叫び、土下座する心愛さんを「ムーリー(無理)」とあしらう被告。弁護側が主張した「しつけ」を超え、虐待であることは明白で、そこに父親らしい顔は見られなかった。

 心愛さんは、アンケートで被告の暴力を訴え、大人に救いを求めたが自宅に戻された。被告の強硬な態度に行政が屈し、家庭内で起こる虐待への対応の難しさを感じさせる事件だった。

 公判では、被告が暴力を繰り返した背景が十分に解明されたとは言いがたい。同じような悲劇を繰り返さないためには、罰するだけでなく、虐待を繰り返す親が自らに向き合い、暴力を克服できるような仕組みを社会全体で考える必要がある。

 

野田虐待死 父に懲役16年判決 悲惨な結果、被告に責任(2020年3月20日配信『東京新聞』)

 

小4女児虐待死事件で、父・栗原勇一郎被告の判決が言い渡された千葉地裁の法廷

 

 野田市で小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が自宅で死亡した虐待事件。傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に対し、19日の千葉地裁判決は、「理不尽な不満のはけ口として虐待を常態化させた。心愛さんの人格と尊厳を全否定した」などとして懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。

 被告は公判で、起訴内容の多くの行為を否定し続けた。学校アンケートで「先生、どうにかできませんか」と訴えた心愛さんのSOSも「うそ」と切り捨て、自身を正当化しようとする姿勢を、前田巌裁判長は「悲惨な結果をもたらした全ての責任は被告にある」と断じた。

 黒いスーツに青いネクタイで臨んだ勇一郎被告は、これまでの公判と同じように深々とおじぎをして入廷。前田裁判長が判決を読み上げるのを、被告は口を真一文字に結び正面を見たまま、表情を変えることなく淡々とした様子で聞いた。

 事件では、心愛さんの母親(33)も傷害ほう助罪で有罪判決が確定し、児童相談所や市教育委員会などの対応も問題視された。判決は「社会からも身内からも助けてもらうことができず、理不尽極まりない虐待を受け続け、絶命した心愛さんの悲しみや無念さは察するに余りある」と言及した。

 判決後の裁判員会見で、30代の男性裁判員は「被告は本当のことを話していないと感じた」と感想を述べた。また、別の男性裁判員は「被告は、心愛さんのためではなく、自分を大事に思い、世間体を気にしていて泣いていると思った」と話した。

 千葉地裁はこの日、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、傍聴席の間隔を2席ずつ空け、前後には着席させない措置を取った。このため、本来は63席あった一般傍聴席が21席に。傍聴券の抽選には436人が並んだ。

 

判決の傍聴券を求め並ぶ人たち=いずれも千葉市で

 

◆県検証委員長「悪質指摘は重要」

 事件の県検証委員会の川崎二三彦委員長(子どもの虹情報研修センター長)は判決後、県庁で取材に応じた。懲役16年とした判決について「従来の虐待死事件よりも悪質で、比較にならないんだという指摘は重要だった」と評した。

 公判の意義について「(勇一郎被告が)否認したまま服役すればよいのではなく、どうすれば更生するのかも考えている」と述べ、今後の防止策として「父親に対する一般的な養育支援は弱い。虐待者をなくしていくための一つの課題だ」と指摘した。

 加害者家族を支援するNPO法人の理事長、阿部恭子さんは、被告の母親に電話で連絡したとし「落ち着いて厳粛に受け止めていた」と話した。

◆「子どもたちの命守る組織つくる」

<鈴木有・野田市長> あらためて心愛ちゃんの命を守れなかったこと、本当に申し訳ないという思いでいっぱい。市民や関係機関と協力しながら、大切な子どもたちの命を守ることのできる組織をつくり、全力で取り組んでいく。心愛ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

<佐藤裕・野田市教育長> 大切な命を守りきれなかったことは痛恨の極み。痛ましい事件を二度と起こさないためにも、教育委員会を挙げて全力で取り組んでいく。

◆「多くを否認、残念」

<森田健作知事> 被告が多くを否認したことは残念。県の児童相談所が関わっていながら助けてあげられなかったことが本当に悔やまれる。今回の事件を決して忘れず、虐待防止対策に取り組んでいく。

◆「適切な判決」

<千葉地検・清野憲一次席検事> 事実認定及び量刑ともに適切な判決が得られたものと考える。

 

心愛さん虐待死、六つの罪をどう認定 千葉地裁判決要旨(2020年3月20日配信『朝日新聞』)

 

 千葉県野田市で小学4年の栗原心愛さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、千葉地裁が19日、傷害致死など六つの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)に言い渡した判決理由の要旨は次の通り。

六つの罪の認定

 被告は20179月ごろから野田市で妻、心愛さんと6月に生まれた次女と生活。心愛さんの虐待に及ぶようになった。

 @心愛さんの頭を殴るなどした暴行罪(1711月上旬ごろ) 心愛さんは当時通っていた小学校で行われたアンケートに「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」などと記載。担任教諭が心愛さんから聞き取りをした。心愛さんの生前の供述の内容は、具体的エピソードを伴っており、担任教諭は、心愛さんが自分の言葉で、淡々と、ときには涙を流しながら話をしてくれたと証言。当時9歳の児童ながら、耳を傾けてくれた大人に対し、身に起こったことをありのまま精いっぱい伝えようとしていた心愛さんの様子をうかがうことができる。

 一時保護した児童相談所での診察では顔面の内出血が認められ、12月にPTSD(心的外傷後ストレス障害)の疑いがある診断がされたこと、大泣きする様子を撮影した動画の存在などが心愛さんの供述を一定程度支える。生前の供述は十分に信用できる。

 A心愛さんに便を持たせて撮影した強要罪(18730日) 被告を極度に畏怖(いふ)する心愛さんを怖がらせ、命じて被写体にしたことが強く推認される。

 B心愛さんの胸骨を折るなどの傷害罪(181230日ごろ〜1913日ごろ) 両手首をつかんで身体を引きずったほか、顔面や胸を圧迫し打撃するなど暴行を加え、全治1カ月を要する顔面打撲や胸の骨折のけがを負わせた。解剖医の証言によれば、15日に被告が撮影した動画から、目の周りやほおに皮下出血とみられる変色や腫れがあり、1週間以内のけがと認められる。自分で転んだ際にあざが生じにくい部位。胸の骨折は、死亡時点で12週間またはそれ以上が経過。妻が証言した被告の暴行時期と矛盾しない。

 C妻の顔を殴るなどした暴行罪(1911日ごろ) 克明かつ具体的で信用できる妻の証言によれば認められる。

 D心愛さんを浴室に立たせるなどした強要罪(1915日ごろ) 心愛さんにけがを負わせたため、外に連れ歩けないと考え、予定していた家族旅行をキャンセルしたが、その不満を心愛さんにぶつけた。首を横に振って嫌がる心愛さんの服をつかんで廊下にひっぱり出し、浴室に立たせるなどした。

 E心愛さんへの傷害致死罪(1912224日) 心愛さんに食事を与えないとともに十分な睡眠を取らせなかったほか、浴室に連れ込み冷水を浴びせ続けるなどした結果、心愛さんはショックもしくは致死性不整脈または溺水(できすい)で死亡した。遺体の状況と整合しない被告の供述は信用できない。

量刑の理由

 刑の中心となる傷害致死罪の犯行では、食事や睡眠という人間が生きていくために最低限必要なものを奪うとともに、失禁を余儀なくさせるなど排泄(はいせつ)・衛生など人としての自律的な生活をも失わせ、心愛さんの体力と気力を徹底的に奪いながら衰弱させていった。遺体から検出された異常に高い血中のケトン体の濃度は、飢餓状態のみでは説明できないほどに強度のストレスが与えられたことを示唆している。

 分別がつき始めたといっても、周囲が天真爛漫(らんまん)と評し、なお無邪気なまま人の善意を信じて育つことが許される年頃の女児が、生命を失うほどまでのストレスにさらされたというのは、尋常では考えられないほどに凄惨(せいさん)で陰湿な虐待であったことを雄弁に物語っている。

 周囲の大人が心愛さんを救えなかったのか、児童を守る社会的なシステムがどうして機能しなかったのかなど、遺憾な点が皆無だったということはできないように思われる。しかし、それらの介入や機能を困難にしたのは被告自身。虐待が長期にわたり悲惨な結果をもたらしたすべての責任は被告人にあると断じざるを得ない。

 虐待が続くなか、心愛さんが助けを求めたいという気持ちを次第に失い、絶望感を深めていったことは想像に難くない。将来の夢を思い描き未来の希望を抱くであろう年代であるのに、社会からも身内からも助けてもらうことができないまま、本来愛情を注がれるはずの実父から理不尽極まりない虐待を受け続け、絶命した心愛さんの悲しみや無念さは察するに余りある。

 量刑傾向を大きく超える極めて悪質性の高い事案で、死者1人の傷害致死罪全体の最も重い部類と位置づけられるべきである。

 

「もやもやしている」「1カ月つらかった」千葉女児虐待死、裁判員一問一答(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 栗原勇一郎被告の判決公判後に行われた裁判員らの記者会見での主なやり取りは次の通り。

 −−裁判員を終えての感想は

 30代裁判員「このような虐待事件ということもあり、まだまだもやもやしているものがある」

 −−どういう所がもやもやしているのか

 30代裁判員「被告が本当のことを説明してくれなかった。私の中では真実を言っているように思えず、そこがもやもやしている」

 −−今回の事件の全容が自分の中でまだ明らかになっていないということか

 30代裁判員「心愛さんや心愛さんの母親に罪をなすりつけているようなニュアンスにとれる所が多いと思う。この辺が引っかかる」

 −−証拠の中には動画や写真など、かなり刺激的なものもあったと思う。精神への負担などはあったか

 20代裁判員「そういう写真を見ることに慣れていないので最初は驚いた」

 30代裁判員「私にも女の子が2人いるので、かぶってしまうところがあった。つらい1カ月だった」

 40代補充裁判員「とてもひどい内容だった」

 −−この事件についての印象は

 30代裁判員「児童虐待は年々増えていると思う。今回の事件は、家族以外の大人たちが止めるタイミングが何度かあった。このブレーキを被告が崩していって最終的には亡くなってしまうという悲惨な事件。一人でも多くの大人が児童虐待に気付けるような社会の仕組みに今後、なっていかなければならない」

 30代補充裁判員「今回の裁判をきっかけに、少しでも児童虐待が減ればと思う」

 −−被告の印象は

 30代裁判員「被告のお母さんが絡む場面でよく泣いていたが、何の涙なのかなと思った。心愛さんの動画が法廷内で流れたが、その時は表情を変えていなかった。そういう所で違和感を覚えた」

 40代補充裁判員「自分は悪くない、悪いのは周りや児相という感じで、この裁判を通じて一貫して被告の証言はピンとこなかった。他の人の証言を照らし合わせても矛盾を感じた。やはり被告自身は自分が犯した罪を最後まで認めていなかったように思う」

 

「失われた命考えれば軽い判決」 千葉女児虐待死、市民の声(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 栗原心愛さんの虐待死事件があった千葉県野田市では、父親の勇一郎被告に懲役16年を言い渡した千葉地裁の判決公判について「失われた命に比べれば判決は軽い」「被告に命を奪った反省が見えない」といった声が聞かれた。

 20歳と18歳の息子を持つ同市の女性(49)は「自分の子育てを思い返しても、虐待をする親は周囲にいなかった。(懲役16年の判決は)他の虐待事件に比べれば重いのは分かるが、失われた命に比べれば重いとは思わない」と話した。

 2歳の長女と市役所を訪れた母親(32)も「命を奪った被告に反省が見えない。あの態度はおかしい。懲役16年は絶対に軽い」と語った。

 野田市では心愛さんの事件を受け、昨年10月に子育ての悩みにこたえる「子ども家庭総合支援課」を児童家庭部に新設した。

 

 判決があった19日も市役所7階の同課では職員が、育児の悩みなどの相談に追われた。須田光浩課長は「情報共有の乏しさと連携不足が事件を招いたとの反省から、毎週水曜日に、子供支援に関わる部署の担当者が集まる会議を開いている。二度とあのような事件が起きないよう頑張る」と力を込めた。

 

森田知事「本当に悔やまれる」 千葉県や野田市の関係者、反省の弁 野田虐待死事件判決(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が虐待死した事件で、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に19日、懲役16年の判決が言い渡された。事件では、県柏児童相談所や野田市、学校など各行政機関の対応が問題に。判決を受け、関係者は心愛さんの冥福を祈るとともに、事件への反省の言葉を口にした。

 《勇気を持って訴えた心愛さんは、何としても守られるべきで、救える命だった。ミスがミスを呼び、リスク判断が不十分なまま一時保護が解除され、在宅支援に際しても修正されず、漫然と推移した末に痛ましい結果を招いた》

 昨年11月に出された県検証委員会の報告書は、心愛さんを一時保護しながら、一度も判定会議を開かずに保護解除の方向性を決めた県柏児相の対応などを厳しく批判した。

 判決を受け、森田健作知事は「改めて心愛さんが受けた過酷な苦しみを思うと、県の児相が関わっていながら助けてあげられなかったことが本当に悔やまれる」とする談話を発表。「心愛さんへの哀悼の意を胸に、職員一人一人が今回の事件を決して忘れずに、子供の命を最優先に、更なる虐待防止対策に全力で取り組んでいく」と強調した。

 県検証委の川崎二三彦(ふみひこ)委員長も報道陣の取材に応じ、児童を守る社会システムに遺憾な点があったと判決が指摘したことを踏まえ、「(児相など)虐待防止に取り組む関係機関は重く受け止めないといけない」と述べた。

 一方、父親からの暴力を訴えた心愛さんの学校アンケートのコピーを被告に渡すミスを犯した野田市教育委員会の佐藤裕教育長は「心愛ちゃんのご冥福をお祈りいたします。大切な命を守りきれなかったことは痛恨の極みです」とコメント。「このような痛ましい事件を二度と起こさないためにも教育委員会として全庁を挙げて対応する」と訴えた。

 鈴木有市長も「判決の結果を受け、改めて、心愛ちゃんの命を守れなかったこと、本当に申し訳ないという思いでいっぱいだ。このような悲惨な事件の犠牲者を二度と出すことがないよう、大切な子供たちの命を守ることができる組織をつくる」との談話を出した。

 

千葉女児虐待死 父親に懲役16年判決 同種事件の量刑大きく超える(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判の判決公判が19日、千葉地裁で開かれ、前田巌裁判長は懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。同種の虐待事件の量刑傾向を大きく超える判決となった。

 弁護側は先月21日の初公判で傷害致死罪の成立を認めたものの、死亡に至ったとされる起訴内容の大半の暴行を否定。勇一郎被告も「娘にしてきたことはしつけの範囲を超える。深く反省している」と謝罪しつつ、「(心愛さんを)飢餓状態にしたりストレスを与えて衰弱させたりしたことは一度もない。立たせ続けたり冷水シャワーをかけたりしたこともない」などと述べた。

 証人尋問では、勇一郎被告の暴行を止めなかったとして傷害幇助(ほうじょ)罪に問われ、既に懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が確定した心愛さんの母(33)が出廷。心愛さんを死亡させたとする一連の暴行を証言したが、勇一郎被告は虚偽だと主張した。

 検察側は3月9日の論告で、長期にわたって陰湿かつ残酷な虐待を繰り返したとし、「謝罪は空虚で反省の態度がみじんも感じられず、いまなお心愛さんを虐待している」と指摘。他の虐待事件と比べても「従来の量刑傾向を大幅に超える比類なき重い事案だ」と非難、懲役18年を求刑した。

 弁護側は虐待の経緯について「ルールを守らないと気が済まず、しつけがエスカレートして虐待に至った」と説明。「仕事をしながら積極的に育児にも参加しており、日常的な虐待はなかった」と訴え、既に大きな社会的制裁を受けているとして罪に見合った適正な判決を求めた。

 量刑の判断に加え、虐待の状況など勇一郎被告の供述の信用性が争点となっていた。

 起訴状によると、勇一郎被告は長女の心愛さんを日常的に虐待し、昨年1月22〜24日、十分な食事を与えなかったり、冷水シャワーをかけたりして死亡させたとしている。死因は飢餓や強いストレスによるショックや致死性不整脈、溺死のいずれかとみられる。

 

千葉女児虐待死判決、傷害致死罪含めてすべて認定(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に対し、懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した19日の千葉地裁(前田巌裁判長)判決は、傷害致死など6つの罪についてすべて認定した。

 勇一郎被告側は傷害致死罪の成立を認めたものの、死亡に至ったとされる起訴内容の大半の暴行を否定していた。

 起訴状によると、勇一郎被告は長女の心愛さんを日常的に虐待し、昨年1月22〜24日、十分な食事を与えなかったり、冷水シャワーをかけたりして死亡させたとしている。死因は飢餓や強いストレスによるショックや致死性不整脈、溺死のいずれかとみられる。

 

千葉女児虐待死判決、被告の暴行否定は「信用できない」(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に対し、懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した19日の千葉地裁(前田巌裁判長)判決は、起訴内容の暴行を否定した被告の供述について「信用できない」と述べた。

 勇一郎被告側は傷害致死罪の成立を認めたものの、死亡に至ったとされる起訴内容の大半の暴行を否定していた。19日の判決は、傷害致死など6つの罪についてすべて認定した。

 起訴状によると、勇一郎被告は長女の心愛さんを日常的に虐待し、昨年1月22〜24日、十分な食事を与えなかったり、冷水シャワーをかけたりして死亡させたとしている。死因は飢餓や強いストレスによるショックや致死性不整脈、溺死のいずれかとみられる。

 

千葉女児虐待死判決 「心愛さんの人格、尊厳を全否定」(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に対し、懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した19日の千葉地裁判決で、前田巌裁判長は「尋常では考えられないほど陰湿で凄惨(せいさん)な虐待。心愛さんの人格や尊厳を全否定した」と指弾した。

 19日の判決は、傷害致死など6つの罪についてすべて認定。死亡に至ったとされる大半の暴行を否定した勇一郎被告の供述について「信用できない」としていた。

 起訴状によると、勇一郎被告は長女の心愛さんを日常的に虐待し、昨年1月22〜24日、十分な食事を与えなかったり、冷水シャワーをかけたりして死亡させたとしている。死因は飢餓や強いストレスによるショックや致死性不整脈、溺死のいずれかとみられる。

 

千葉女児虐待死判決「前例を超え極めて悪質性高い」(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市の自宅で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に対し、懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した19日の千葉地裁判決。前田巌裁判長はこれまでの虐待事件と比べて重い量刑とした理由について「前例を超えて極めて悪質性が高い」と述べた。

 判決は傷害致死など6つの罪についてすべて認定。死亡に至るまでの大半の暴行を否定した勇一郎被告の供述を「信用できない」とし、「尋常では考えられないほど陰湿で凄惨(せいさん)な虐待だ」と指弾した。

 起訴状によると、勇一郎被告は長女の心愛さんを日常的に虐待し、昨年1月22〜24日、十分な食事を与えなかったり、冷水シャワーをかけたりして死亡させたとしている。死因は飢餓や強いストレスによるショックや致死性不整脈、溺死のいずれかとみられる。

 

千葉女児虐待死 父、閉廷直前に下唇かみしめ(2020年3月19日配信『産経新聞』)

 

 「被告の証言は信用できない」。法廷に裁判長の厳しい声が響いた。栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父、勇一郎被告(42)に懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した19日の千葉地裁判決。死亡に至った暴行の多くを否定していた勇一郎被告は、一連の暴行を認定した判決の読み上げ中は淡々としていたが、閉廷直前には下唇をかみしめ、悔しそうな表情を見せた。

 これまでの公判と同様、黒のスーツと青いネクタイ姿の被告は入廷の際、傍聴席に向かって一礼。裁判長に促されると、背筋を伸ばして証言台に立った。主文を言い渡された後、裁判長に頭を下げ、続いて検察側を向いて再び礼をした。

 判決の読み上げが終わるまで表情の変化は見えなかったが、裁判長から控訴の説明を受けると、下唇をかみしめ、悔しげな面持ちだった。

 

小4女児虐待死事件 父親に懲役16年の判決 千葉地裁(2020年3月19日配信『NHKニュース』)

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 千葉県野田市で小学4年生の女の子を虐待して死亡させたとして傷害致死などの罪に問われた42歳の父親に対し、千葉地方裁判所は懲役16年の判決を言い渡しました。

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 去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(当時10)が自宅の浴室で死亡しているのが見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続けて死亡させたなどとして傷害致死などの罪に問われています。
 先月から開かれた裁判員裁判で、被告は傷害致死の罪については争わないとする一方、具体的な暴行の内容については大部分を否定したほか、日常的な虐待はなかったと主張するなど、検察の主張と多くの点で対立しました。
 検察が「犯行は凄惨(せいさん)かつ非道だ。虐待は心身両面にわたり期間も圧倒的に長い」として懲役18年を求刑したのに対し、被告の弁護士は「しつけのつもりが行き過ぎたもので日常的な虐待はしていない。社会的制裁もすでに受けている」などと主張していました。
 19日の判決で、千葉地方裁判所の前田巌裁判長は、傷害致死の罪について「被告の主張は客観的整合性がなく不自然なものだ。都合のいいことをつまみ食いして話していて信用できない」と指摘しました。
そのうえで「犯行は凄惨で陰湿で長期間にわたり、断続的に虐待をして死に至らしめた」として、懲役16年の判決を言い渡しました。
虐待死で懲役16年は異例の重い刑
子どもを虐待の末に死亡させた罪に問われた事件の裁判員裁判で、懲役16年の判決は異例の重い刑と言えます。
 東京 目黒区で5歳の女の子が虐待を受け死亡した事件では、去年、東京地裁が父親に懲役13年を言い渡しました。

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 埼玉県狭山市で3歳の女の子が虐待を受け死亡した事件でも、3年前に、さいたま地裁が母親に懲役13年を言い渡しています。
 また、大阪 寝屋川市で1歳の女の子が死亡した事件で、平成24年に大阪地方裁判所が裁判員裁判で審理した結果、検察の懲役10年の求刑に対し、「児童虐待防止の社会情勢を考えると今まで以上に厳しい刑を科すべきだ」などとして、両親に求刑よりも大きく重い懲役15年を言い渡した例があります。
 最高裁判所が、この判決を取り消して父親に懲役10年、母親に懲役8年を言い渡した際、「従来の傾向を変えるような場合には具体的に説得力をもって理由が示される必要がある」という初めての判断を示していました。
 子どもを虐待死させた事件の裁判員裁判では、懲役10年前後の判決が多く、今回の懲役16年はこれまでの傾向を大きく超え、異例の重い刑と言えます。

被告 主文読み上げられると深く頭を下げる

 

キャプチャ3

 被告は黒いスーツに青のネクタイ、めがねを身につけて入廷すると傍聴席に10秒ほど頭を下げてから弁護士の横の席に向かいました。その後裁判長に証言台の前に立つように促され、立ったまま主文の言い渡しを受けました。主文が読み上げられると裁判長のほうを見て深く頭を下げていました。

裁判傍聴希望者 倍率は20倍超

キャプチャ4

 千葉地方裁判所では、開廷の2時間ほど前の午前9時すぎから傍聴を希望する人たちが列を作りました。
 裁判所によりますと、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため一般の傍聴席を減らす対応を取り、21席の傍聴席に対して436人が傍聴を希望したということで、倍率は20倍でした。

 

「尋常では考えられない陰湿な虐待」父に懲役16年判決(2020年3月19日配信『朝日新聞』)

 

千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)に対する裁判員裁判の判決が19日、千葉地裁であった。前田巌裁判長は起訴された六つの罪をすべて認定し、「尋常では考えられない凄惨(せいさん)で陰湿な虐待だった」として懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。

 被告は六つの罪のうち、201711月の暴行罪は無罪を主張し、ほかの五つの罪は暴行などの行為や経緯の多くを否定。日常的な虐待があったかや死に至る経緯が争点となっていた。

 判決で、前田裁判長は「長期間、虐待を繰り返した揚げ句に死に至らしめた」と指摘。被告の供述については「脈絡がなく、不自然で不合理な供述を続け、反省は全くみられない」と非難した。懲役16年は児童虐待事件としては異例。「先例と比べて極めて悪質性が高く、最も重い部類」と述べた。

 検察側の主張によると、被告は自宅マンションで昨年12224日、妻に指示して心愛さんに食事を与えず、長時間立たせ続けた。十分な睡眠をとらせず、冷水を繰り返し浴びせるなど暴行し、死亡させたとされる。

 被告の家族の証言などから、検察側は、177月ごろに被告らが野田市に転居してから虐待が始まったと説明した。論告では「虐待という言葉で表現しきれない凄惨かつ非道な行為」と厳しく批判。「長期間、日常的に陰湿かつ残酷な虐待を繰り返した」「反省の態度が感じられず、いまだに虐待している」とし、児童虐待事件として異例の懲役18年を求刑した。

 一方、弁護側は、死亡するまでに「指示して食事を与えなかったことはない」と反論。「娘が手足をばたつかせるので、落ち着かせようと冷水を3秒ほど23回かけた」と、冷水を浴びせ続けたことも否定した。

 虐待行為について「娘が暴れたので、床に押さえつけたり、髪を引っ張ったりした」「娘が立ってると言ったので立たせた」などとし、殴る蹴るなどの暴行は一度もしていないと主張。最終弁論で弁護側は「しつけがいきすぎた結果、虐待に至った」と述べた。

     ◇

 虐待を手伝ったとして傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた妻(33)は、懲役26カ月保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が確定している。判決では、被告からの家庭内暴力が認定されていた。

 千葉地裁前では傍聴券を求め、436人が長い列をつくった。地裁は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、傍聴人が1メートル程度離れて着席する措置をとった。このため、一般傍聴席は通常の3分の1になり、約21倍の高倍率になった。

 千葉県印西市の小学5年、渡辺紗衣さん(11)は母親の鈴代さん(41)、妹の志帆さん(8)と訪れた。「同じ学年の心愛さんがどんな思いでいたかを考えると許せない。どうして助けることができなかったのか、裁判を見届けたくて来た」と話した。マスクをして並んでいた千葉市の清水桂子さん(79)は、新型コロナウイルスの影響で一般傍聴席が減ったことについて「理解はできるが、傍聴席の数が減ったのは残念」と話した。

児童虐待事件、最多に

 警察や児童相談所が対応する児童虐待の件数は増えている。昨年1年間に虐待を受けた疑いがあるとして、全国の警察が児相に通告した18歳未満の子どもは97842人(暫定値)で前年を2割上回った。警察が摘発した児童虐待事件は1972件で前年を4割上回って過去最多となった。

 全国の児相が2018年度に対応した児童虐待件数は過去最多の159850件。調査を始めた1990年度から28年連続で増加している。

 相次ぐ虐待死事件を受け、4月からは改正児童福祉法などが施行される。法律には「体罰の禁止」と明記され、虐待を防ぐ取り組みが強化される。

 改正法は親がしつけとして体罰を加えてはならないことや、虐待を受けた子どもの転居時に児童相談所間で情報共有を徹底することなどが定められた。全ての児相に医師や保健師を置き、常に弁護士の助言や指導を受けられる体制を整えることも盛り込まれた。

起訴された六つの罪と被告側の主張

@頭を殴るなどした暴行罪

→無罪を主張。小学校のアンケートで訴えた内容に「心当たりはない」

A便を持たせて撮影した強要罪

→一部否認。自ら便を持ち「撮りたければ撮れよ」と言われ撮った

B顔や胸を打ち付け、胸骨を折るなどの傷害罪

→一部否認。暴れたので押さえつけたが、けがについては「知らない」

C妻の顔を殴るなどした暴行罪

→一部否認。心愛さんに暴行しようとした妻を止めるために平手打ちなどをした

D浴室に立たせるなどした強要罪

→経緯や動機を争う。「妻に同調し強い口調で責め立てた」

E冷水を浴びせ続けるなどした傷害致死罪

→「罪は争わない」とする一方、暴行内容の大半を否認。「食事を与えていないかわからない」「冷水はかけ続けていない」

事件をめぐる経緯

2017

2月 勇一郎被告と妻が再婚。沖縄県糸満市で暮らす

6月 次女誕生

7月ごろ 被告、心愛さん、次女が千葉県野田市の被告の実家に転居

9月ごろ 妻が野田市に移り、家族4人で市内のマンションで暮らす

116日 心愛さんが、野田市立山崎小のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」と記入

7日 千葉県柏児童相談所に一時保護される

1227日 柏児相の援助方針会議で被告の実家で暮らすことなどを条件に一時保護解除

 

2018

112日 山崎小で被告夫婦、学校、市教委が話し合い。被告がアンケートを見せるよう要求

15日 市教委がアンケートのコピーを被告に渡す。直後に市立二ツ塚小に転校

226日 被告が「お父さんにたたかれたというのはうそ」と書かれた書面を児相職員に見せる。間もなく被告が心愛さんを連れ帰る

319日 心愛さんが書面は被告に書かされたと児相職員に明かす

92日 心愛さんが家に帰りたくないと訴え、被告の実家で再び生活

10月 心愛さんが学校で書いた自分への手紙で「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」と記す

1225日 心愛さんが被告らとの同居を再開

 

2019

17日 新学期に登校せず

24日 被告が「娘の意識と呼吸がない」と110番通報。救急隊が浴室で遺体を発見

25日 県警が被告を傷害容疑で逮捕

36日 被告を傷害致死などの罪、妻を傷害幇助(ほうじょ)罪で起訴

626日 妻に保護観察・執行猶予付きの有罪判決。後に確定

 

「もはや拷問、なぶり殺し」 心愛さん虐待死、検察糾弾(2020年3月10日配信『朝日新聞』)

 

 もはや虐待の言葉では表現できず、拷問、なぶり殺しといっても差し支えない――。千葉県野田市で小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が昨年1月に虐待死したとされる事件の裁判員裁判。傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)に9日、検察側は懲役18年を求刑した。心愛さんの母方の祖母は「できるだけ長い期間、刑務所に入ってほしい」と厳罰を求めた。被告は最終陳述で「心愛がどんな思いでいたかと思うと、謝っても謝りきれない」と語った。

心愛さん虐待死、父親に懲役18年を求刑 傷害致死など

 「筆舌に尽くしがたい、壮絶な虐待」「死人に口なしで開いた口がふさがらない」

 千葉地裁であった公判では、検察側から被告を厳しく非難する言葉が相次いだ。被告はその間表情を変えず、正面を見ていた。

 検察側は論告で「『今は虐待だと思っている』と言うが、心愛ちゃんに責任を押しつけ、実質的に何も認めていない」と批判。裁判で重要な証拠は母親の証言で「自身の不利益になる事実も一貫して証言している」とし、十分信用に値すると主張した。

 起訴状などによると、被告は昨年12224日、心愛さんに食事を与えず長時間立たせ続け、肌着のみの状態で暖房のない浴室に放置。十分な睡眠をとらせず「5秒以内に服を脱げ」などと言って冷水を数回浴びせるなど暴行。飢えや強いストレスを与え、ショックもしくは致死性不整脈、溺水(できすい)で死亡させたとされる。

 検察側は、母親の証言は遺体を調べた解剖医の証言と「整合性がとれ、十分に信用に当たる」と主張。暴れる心愛さんに短時間顔にシャワーをかけたところ、突然意識を失ったとする被告の主張は「端的に言って、死亡するとは考えられない」「経緯が合理的に説明出来ていない」と指摘。そのうえで解剖医の証言などから「被告がシャワーを浴びせ続けていたことは推認される」と主張した。

 虐待は「悪魔のような父親に飢餓とストレス状態に陥らされ、絶命した」「我が身をていしてでも守るべき父親が命を奪った結果は重大」と批判した。心愛さんが児童相談所や家族に出したSOSを被告が無視したことについて「悪者になりたくないというメンツのために心愛ちゃんとの関係を改善せず、虐待を続け、死に至らせた」とした。「長期にわたって陰湿かつ残虐な行為で人格を否定し、理不尽な虐待を続けた」と述べた。

 量刑理由にも言及。「虐待の期間が長く、10歳女児が死亡するまで心身両面で積極的に虐待を続けた態様は大変悪質で重い」とし、「児童虐待が関わる傷害致死事件と保護責任者遺棄事件で最も重い刑が科せられた事件を大幅に超える、比類なき重い事案」と強調した。

 また、心愛さんが暴行を訴えたアンケートについては「心愛がうそをついている」、押さえつけた理由は「心愛が暴れていたから」と主張する被告は、心愛さんに責任を押し付けており、「まさに死人に口なしで開いた口がふさがらない」「謝罪の言葉も述べていたが、空虚で反省の態度はみじんも感じられない」とし、「今なお心愛ちゃんへの虐待は続いている」と述べた。

 弁護側は最終弁論で、被告は「家族は一緒でなければならない」と強く思うようになり、「最後まできちんとやらせるというしつけがエスカレートし、虐待に至った。それが被告を意固地な気持ちにさせ、事件につながった」と主張。傷害致死事件については「罪は争わない」とする一方、母親に指示をして心愛さんに食事を与えなかったことなどを否定。母親は離婚訴訟の相手で、事件の共犯者との理由から「証言を信用することは出来ない」と反論した。被告は心愛さんや次女の育児に追われていたことや、今後被告の両親が支援することなどから「罪に見合った適正な判決」を求めた。

 最後に最終陳述に臨んだ被告は用意した紙を読み上げ、「みーちゃん、本当につらい思いをさせてごめんなさい。謝っても謝りきれません」「心愛にしてしまったことを言い訳するつもりはありません。自分のことが許せません」。涙声で謝罪の言葉を繰り返した。そして「これからは心愛のことを家族、親族とともに永久に弔い続けます」。そう述べ、裁判員や傍聴人らに深く一礼した。

母方の祖母「出来るだけ長く刑務所に入って」

 家族の宝物でした――。公判では被害者参加制度を利用し、心愛さんの母方の祖母や代理人弁護士が法廷で心情を語った。

 生後間もない頃から8年近く一緒に暮らしていた祖母。心愛さんについて「いつも大家族の中心で、宝物でした。いつもニコニコしているため、周りも自然と笑顔になった」「自慢の孫でした」。

 さらに「みーちゃんは優しいから『ばあば泣かないで』と言って心配してくれると思う。なので私もニコニコするようにがんばっていますが、もう二度と会えないと思うと悲しい。死んでしまったことが苦しくて涙が止まらなくなります」と語った。

 被告は暴行の経緯について、心愛さんが暴れたためなどと主張している。祖母は「みーちゃんが意味もなく暴れたり、うそをついたりする子だと思われると耐えられない」などと話した。

 さらに声を詰まらせながら訴えた。「死んでしまったみーちゃんは戻ることはない。(被告には)できるだけ長い期間、刑務所に入ってほしい」

 代理人弁護士は被告の行為について「しつけの延長としての体罰や衝動的なものではなく、執拗(しつよう)に痛めつけ、愛情のかけらもない」と指摘。さらに「(被告は)心愛さんに原因があると主張して、その人格をおとしめ続け、全く反省していない」と述べた。

 参考として、起訴された六つの罪を併合して懲役30年を望むした上で、「心愛さんの苦しみを考えると、30年では全く足りない」「法律上最も重い刑を」と求めた。

■検察側論告求刑と弁護側最終弁論の要旨

【頭を殴った暴行罪

 検察側 201711月上旬、心愛さんは、小学校のいじめアンケートで担任の先生に被告からの暴力を訴え、児童相談所の職員にも「暴力を受けている」と訴えた。首や背中を蹴られ、口を押さえられて呼吸ができなくなりそうになったという証言と、当時、被告が撮影した動画で、虐待があったと認められる。

 弁護側 被告は何もしていない。心愛さんは勘違いでアンケートを書いたのかもしれない。直接の証拠もない。

【便を持たせて撮影した強要罪】

 検 被告が187月に撮影した動画や画像では、心愛さんが「すみません」「助けて」と言っている。暴行に至るパシッという音も聞こえる。被告が恐怖で支配し、便を持たせて撮影したことは明らかだ。

 弁 心愛さんをトイレに行かせずにいたら、風呂場で便をし、手に持ち、「撮りたければ撮れよ」と言われ、言われたとおりに撮影した。

【胸の骨を折った傷害罪】

 検 母親は、心愛さんが181230日、被告から暴行を受け、ボクシングをした後のように目が腫れ、翌年11日も両腕をひきずられ、床に強く打ち付けられたと証言している。母親の証言は信用できる。

 弁 宿題をやらないため、注意を受けた心愛さんが、浴室の脱衣所に行き、洗濯物やカゴにぶつかって暴れた。被告は止めるために床に押さえつけ、洗面台にしがみつく心愛さんの髪の毛を引っ張った。積極的な打撃や圧迫はない。

【母親の顔を殴った暴行罪】

 検 1911日午前、母親が心愛さんの命が危ないと思い、被告の暴行を止めたところ、被告は母親を押し倒し、馬乗りになり、口をふさぎ、顔に水をかけた。夕方にも虐待を止めようとしたところ、胸ぐらをつかまれ、顔を殴られ、馬乗りになられた。立ったところで太ももを蹴られた。母親の証言は自然で信用できる。

 弁 母親が暴言を吐きながら胸ぐらをつかんできた。暴れながら心愛さんの背中を蹴ったので、母親ともみ合いになり、平手で殴った。

【浴室に立たせた強要罪】

 検 191月、心愛さんに傷害を負わせたのが原因で年始の旅行をキャンセルしたことを、「楽しい予定があったのに、お前のせいでなしだよ」と言いがかりをつけ、浴室に立たせた。

 弁 「心愛さんにあざができ、旅行に行けなくなった」という母親に同調し、心愛さんに暴言をはいた。

【傷害致死罪】

 検 被告は19122日夜を最後に、心愛さんにご飯を与えず、23日夜から24日昼まで浴室に立たせ、ぬれたまま放置した。24日午後1時、冷水をボウルやシャワーで浴びせ、全身に皮下出血ができるような多数かつ強度の暴行を加え、肺に水が入るほどシャワーを顔にかけ続け、日常では考えられない飢餓とストレス状態などで絶命させた。

 弁 母親に指示して食事をさせなかったことはない。廊下で暴れた心愛さんを落ち着かせるため、風呂場でシャワーを23回、23秒ほどかけた。落ち着いたのでシャワーを戻すと、心愛さんが倒れた。

【母親の証言の信用性】

 検 自身に不利益な事実も一貫して証言し、被告が撮影した動画などの証拠とも符合しており、信用に値する。

 弁 母親は今回の事件の共犯者でもある。一般的に自身の責任を軽く見せようと相手の責任を大きく話す傾向があり、信用できない。

【情状】

 検 もはや虐待という言葉では表現できず、拷問、なぶり殺しと表現しても差し支えない。心愛さんにとって家族は世界のすべてだった。しかし、助けを求めても連れ戻され、家族に入れてもらえず、疎外され、飢餓とストレス状態に陥らされた。子どもの命を守るべき父親が、その命を奪った結果は極めて重大だ。

 被告は「心愛がうそをついている」「心愛が自分で立つと言ったので立たせた」「心愛が暴れていた」などと話し、心愛さんに責任を押し付けている。まさに死人に口なしで、開いた口がふさがらない。今なお、心愛さんへの虐待は続いている。

 弁 被告は何度も家族と離ればなれになり、「家族は一緒でなければならない」と強く思うようになった。しつけを超え、エスカレートして虐待に至ってしまった。

 被告は8年ぶりに心愛さんと再会し、一緒に暮らし、夜泣きをする次女をあやしたり、心愛さんを学校に送り届けたりして、仕事と育児で睡眠時間が23時間の日々が続いていた。心愛さんの運動会や授業参観に行き、誕生日やクリスマスにプレゼントを贈った。日常的に虐待していたのではない。

【量刑】

 検 (過去の)児童虐待の傷害致死事件で最も重い刑のものと比べても、虐待の期間が長く、10歳女児が死亡するほどの暴行だ。最も重い刑が科せられた事件を大幅に超える比類ない重い事案と言える。心愛さんへの謝罪の言葉も述べているが、空虚で反省の態度はみじんも感じられない。過去の量刑を大幅に上回る量刑にするほかない。

 弁 被告の母親が刑務所を出た後も支えると話しており、加害者を支援する団体も被告の更生や就労を支援することになっている。1年間の勾留中も反省を深めた。事件は社会的な反響が大きく、報道やネットで大きく取り上げられ、一定の社会的制裁を受けている。

 

心愛さん父「支配ない。本当に違うのに」 面会の記者に(2020年3月10日配信『朝日新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が昨年1月に虐待死したとされる事件で、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告が9日、公判前に千葉拘置所で、関係者とともに朝日新聞記者の面会に応じた。白いシャツの上に黒のカーディガン姿。落ち着いた表情で語った。

 被告は「私からちょっといいですか。逮捕時の情報は常に入っていました。当時、私の言っていることは全く表に出ず、悔しく思っていました」と切り出し、こう続けた。「両親には申し訳ない気持ちです。子どもに関しても、言葉にできない気持ちです。家の中で支配も全くありませんでした。本当に違うのに……。反省も感じていますが、臆測で認識されていることは悔しく、残念という気持ちです」

 被告の両親が傍聴に来たことについては「傍聴席の方はなかなか見られないですよね。娘にしてしまったことへの申し訳ない気持ちばかりで、それ以外は感じません」と話した。

 論告求刑について尋ねると「(私が)したことに対して見逃してほしい、救ってほしいとかの気持ちはないです。検察から言われる話をありのままに受け入れるというか、最初からそういう気持ちはあります。子どもに対して償いをしないといけない気持ちが多いです」。

 公判で伝えたいことを聞くと、こう答えた。「元々なんでこういう風になったかといえば、私のせいです。裁判ではありのままに伝えたいと思います。本当に自分の気持ちに従って事実しか話していません。『(裁判で証言した)みんなとは違う』と言われて悔しい思いをしています。事実しか話していないんですけど。娘への事実を話した中で償うという気持ちです」

 

野田虐待死 父に懲役18年求刑「極めて強く非難されるべきだ」 千葉地裁公判(2020年3月9日配信『毎日新聞』)

 

 千葉県野田市で2019124日に小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10歳)を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)に対し、検察側は9日、千葉地裁(前田巌裁判長)の裁判員裁判で「長期間にわたって陰湿かつ残酷な虐待を繰り返した。極めて強く非難されるべきだ」として懲役18年を求刑した。

 起訴状によると、被告は1912224日、女児に食事を与えず、浴室に放置するなどして十分な睡眠を取らせず、長時間立たせて、プロレス技のように体を反らせ、シャワーで冷水を浴びせるなどの暴行を加え、飢餓状態や強いストレス状態になったことによるショック、致死性不整脈、溺死のいずれかで24日夜に死亡させたとしている。1711月〜191月には女児の頭を殴ったり、顔や胸を圧迫して約1カ月のけがをさせたりした。女児の母親(33)=傷害ほう助罪で懲役26月、保護観察付き執行猶予5年の判決が確定=に対しても顔を殴り馬乗りになって太ももを蹴る暴行を加えたとされる。

 被告人質問で被告は一貫して「女児が自ら『立ちます』『屈伸します』と言ったのでさせた」「女児が暴れたから押さえた」などと虐待の発端は女児の言動にあったと主張。「(女児の口にシャワーは)かけていない」などと女児の死に直接つながるような暴力行為も否定した。また、女児の母親への暴行についても「(母親が)暴れて女児や次女を蹴ったので押さえようと馬乗りになった」と述べている。判決は19日に予定されている。

 

千葉小4女児虐待死 父親に懲役18年求刑「凄惨で非道な犯行」(2020年3月9日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判論告求刑公判が9日、千葉地裁(前田巌裁判長)であった。検察側は「凄惨で拷問といっても差し支えない行為。非道な犯行態様だ」などとして懲役18年を求刑した。

 検察側は論告で、勇一郎被告の犯行の多くを目撃した心愛さんの母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定=の証言は信用できると述べた。その上で「(勇一郎被告は)いまだに虐待を実質的には認めていない。10歳の命が奪われた被害は重大」と非難し、児童虐待の傷害致死事件の中でも「比類なき重い事案」と主張した。

 これに対し、弁護側は、母親は「共犯者であり、一般的に相手に不利な証言をする」と証言の信用性を疑問視。犯行について「しつけがエスカレートし虐待につながった」とする一方で、「日常的な虐待はなかった」と述べ、「被告は深く反省している」として適正な処罰を求めた。

 勇一郎被告は最終陳述で「つらい思いをさせてごめんなさい。私が未来を奪ってしまった」と心愛さんに謝罪。裁判で母親らの証言との食い違いが指摘されたことについては「私は事実を話した」と改めて強調した。

 この日は、心愛さんと7年間、沖縄県で同居していた母方の祖母も出廷。「みーちゃんは家族の宝物だった。被告はみーちゃんの痛みを感じてほしい」と語った。

 

心愛さん虐待死、父親に懲役18年を求刑 傷害致死など(2020年3月9日配信『朝日新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が昨年1月に虐待死したとされる事件で、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判が9日、千葉地裁であり、検察側は懲役18年を求刑した。判決は19日に言い渡される予定。

 勇一郎被告は201711月から昨年1月にかけての、心愛さんや母親(33)に対する暴行など6つの罪で起訴されている。

 検察側の主張によると、このうち昨年12224日には心愛さんに食事を与えないよう母親に指示し、長時間立たせ続けて十分な睡眠をとらせなかったうえ、浴室で冷たい水を繰り返し浴びせるなど暴行。飢えや強いストレスを与え、ショックもしくは致死性不整脈、溺水(できすい)で死亡させたとされる。

 弁護側は、心愛さんが小学校のアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と書き、児童相談所が一時保護するきっかけになった1711月の暴行罪は無罪を主張。ほかの罪は、具体的な暴行などの大半を否定している。公判で、被告は「食事を与えないよう指示していない」「(心愛さんが)暴れたため、冷水を3秒間ほど3回くらいかけた」などと述べていた。

 虐待を手伝ったとして傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親は、保護観察付き執行猶予の判決が確定している。

 

野田虐待死公判 涙流すも行為は否定続け 被告人質問終了 証人証言と矛盾も(2020年3月7日配信『東京新聞』)

 

 

 野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=の虐待死事件で、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判は6日、3日間の被告人質問を終えた。勇一郎被告は弁護側の質問に、涙を流しながら話したが、検察側から証人の証言との矛盾を指摘される場面もあった。2018年7月以降の行為を「虐待だった」と認めた一方、起訴内容の行為の多くを否定した。

 心愛さんが死亡する直前の状況について、母親は証人尋問で、19年1月20四日夕、被告が心愛さんの背中に馬乗りになり、プロレス技のように足首をつかんで反らせたとしたが、被告は「やっていない」と否定した。

 冷水シャワーを浴びせ続けたとの起訴内容についても「2〜3回、長くても三秒程度」と主張。検察側から「あなたが話す行為では心愛さんは亡くならないのでは」と聞かれると、「事実しか話していない」と反論した。

 心愛さんが学校アンケートで訴える原因となった17年11月ごろの暴行については「ありません」と否定。アンケートは「心愛がされてもないのにうそを書いた」と涙ながらに語った。

 18年7月、浴室で心愛さんに排せつ物を持たせて携帯電話で撮影した行為は、認めた上で「(心愛さんが)『撮りたければ撮れよ』と言ったので、撮ってしまった」と主張した。

 18年末から19年初めにかけての暴行では、心愛さんを床に打ち付けたとする起訴内容を「ありません」。解剖医が「胸骨が陥没するように折れていた。局所的打撃だったとみられる」と証言したのに対し、「床に寝そべる心愛を押さえ込んだ時に骨折した」と説明した。

 心愛さんへの暴行を止めに入った母親を暴行したとされる起訴内容は「暴れた妻を押さえようと、馬乗りでほほを平手打ちした」と話した。

 起訴状などでは、19年1月5日ごろ、旅行が中止になったことに「責任取れ」「大みそかに戻せ」などと心愛さんに迫り、立たせ続けたとされるが、「妻に同調した」と理由を述べた。

 

【野田虐待死、父親第9回公判詳報】死亡直前「浴室で鼻歌」(2020年3月6日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第9回公判が6日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、検察側と裁判員らによる被告人質問が行われた。主な内容は次の通り。

 【死亡前日】

 被告 心愛が死亡した前日の昨年1月23日夜、心愛がおもらししたので「なんでこんなことするの。どうするの」と聞くと、「朝まで立っている」と答えたので、朝まで立たせた。

 検察官 本当にそう言ったのか。言ったとしても、なぜ心愛さんが自ら「立っている」と言う状況まで追い込まれたのか。

 被告 言ったのは事実。そう言わないと私に怒られると思って答えたと思う。

 検察官 結局いつまで立たせたのか。妻は翌朝までと証言したが。

 被告 夜中です。

 【死亡当日】

 検察官 24日昼ごろ、浴室で心愛さんに「5秒以内に服を脱げ」と言って、ボウルに入れた水をかけた事件。そもそもなぜ、心愛さんは浴室にいたのか。いつからいたのか。

 被告 朝、心愛を起こすと、自ら浴室に行き、昼までいた。

 検察官 それでいいと思ったのか。

 被告 何回か浴室まで見に行ったが、心愛は浴槽の縁に座って、鼻歌を歌っていたので、このままでいいと思った。

 検察官 心愛さんは強い飢餓状態、ストレス状態が原因で亡くなった。亡くなる当日、浴室で腰掛けて鼻歌なんてことがあるか。

 被告 本当にあったことなのでお話しした。

 【威圧的な態度】

 検察官 小学校の先生や野田市教育委員会に対して威圧的な態度をとった。いわゆるモンスターペアレントという自覚はあるか。

 被告心愛に起こったことを知りたいと、わらにもすがる思いで聞いたので、そういう自覚はない。

 検察官 心愛さんに起こったことは、あなたが一番分かっていたでしょう。

 被告 分からなかった。

 【30年7月の動画】

 検察官 平成30年7月10日の動画。心愛さんが「じゃあ許せよ。家族に入れろよ」と言うと、あなたは「無理」とふざけて答えた。心愛さんを家族から疎外している。

 被告 していない。

 裁判員 なぜ「無理」と言ったのか。

 被告 当時、心愛にいろいろ聞かれ、いやになってそっけなく答えてしまった。

 裁判長 何を聞かれたのか。

 被告 いろいろ話しかけてきて、イライラした。

 裁判長 子が親に話を聞いてほしいというのは普通だ。なぜうっとうしいと思ったのか。

 被告 分かりません。

 

野田虐待死裁判、父親「事実しかしゃべっていない」(2020年3月6日配信『TBSニュース』)

 

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 千葉県野田市で小学4年の栗原心愛さんを虐待死させた父親の裁判で、父親は、心愛さんが亡くなった日について、検察側から母親の証言と食い違いがあることを指摘され「私は事実しか喋っていません」などと主張しました。

 5日に引き続き行われている被告人質問では検察側が、父親の栗原勇一郎被告に心愛さんが死亡するまでのいきさつについて聞いています。勇一郎被告は5日に弁護側から「心愛さんにしてきたことは虐待ですか」と問われ、「虐待です」と答えていました。しかし、6日の裁判では検察側から心愛さんが死亡した日に冷水を浴びせ続けたとされることについて問われると、「暴れるのを押さえつけるために、おでこの付近に3回くらい長くても3秒くらいかけた」と主張しました。

 これまでの裁判では、心愛さんの母親が心愛さんは亡くなる前夜から風呂場に立たされ、翌朝もまだ立っていたと証言していますが、勇一郎被告は、「立たせたのは夜中までです」と異なる主張を述べました。これについて検察側から「母親が嘘をついているのか」と問われ、「私は目の前で見た事実しかしゃべっていません」と答えました。被告人質問は午後も続く予定です。

 

<野田女児虐待死>心愛さん父の「事実」証人とずれ 検察指摘経緯や状況、発言で(2020年3月6日配信『千葉日報』)

 

 「あなたの話だけが他の人と合わない」。野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が昨年1月、自宅浴室で死亡した虐待事件で、傷害致死などの罪に問われた父親、勇一郎被告(42)の裁判員裁判。検察側は5日の被告人質問で、数々の虐待の経緯や状況、当時の発言内容を巡って勇一郎被告と証人らの説明に大きな食い違いがあるとし、事件の真相を問いただした。質問内容は死亡当日の状況にも及んだが、勇一郎被告は「事実しか話していない」と正当性を主張した。

 心愛さんが死亡する直前の昨年12224日の出来事について、勇一郎被告は心愛さんの母親(33)に対して「心愛さんに食事させなくていい」との発言をしたかを問われ「一度もない」と強調。証人として出廷した母親は「『用意しなくていい』と言われた」と証言しており、双方の言い分が真っ向から対立した。

 母親は、昨年124日に浴室で水を掛けられた心愛さんがシャワーで湯を出そうとした際、勇一郎被告が「湯じゃないだろう。何で湯なんだ」と再び水を掛けたと説明したが、勇一郎被告はこの点についても事実と異なるとした。

 「あなたの話だけが他の人と合わない」と攻勢を強める検察側に、「そのように感じることはある」とした勇一郎被告。証人らがうそをついているのかという質問には「そうなる」と答えたが、母親がうそをついた理由をどう推察するかについては「言葉が見つからない」とあいまいな答えを繰り返した。

 虐待に関する認識について改めて問われる場面も。勇一郎被告は当時、自らの行為を虐待と自覚していなかったが、現時点で見れば「虐待だった」と説明。虐待が始まったのは、心愛さんに自分の排せつ物を持たせて撮影した強要事件があった20187月ごろとした。

 弁護側の質問で、判決確定後の生活にも言及した。刑務所では「心愛に謝らせてもらえるように、自分にできる償いを、その日その日に一生懸命行いながら生活していきたい」と目を潤ませた。

 一方、今後の夫婦関係について問われると「離婚するつもり」と明言。心愛さんの母親は証人尋問で、離婚を希望しているものの勇一郎被告が応じないことを明らかにしていたが、勇一郎被告が態度を一転させた形となった。

 

勇一郎被告、心愛さんは「浴槽に腰掛けて鼻歌を…」死亡当日の様子を問われて(2020年3月6日配信『読売新聞』)

 

 千葉県野田市で2019年1月、長女の小学4年栗原心愛みあさん(当時10歳)を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親・勇一郎被告(42)の裁判員裁判第9回公判が6日、千葉地裁であり、被告人質問が行われた。検察側が、心愛さんの死亡直前の暴行について追及したのに対し、勇一郎被告は「やっていない」と否定した。

 心愛さんが自宅の風呂場で死亡した19年1月24日の様子を問われた被告は「心愛は朝から風呂場にいたが、様子を見に行くと、浴槽の縁に腰掛けて鼻歌を歌っていた」と返答。プロレス技をかけたとされる暴行に関しても「一回もやっていない」とし、長時間にわたって立たせ続け、激しい暴力をふるったとする検察側主張をことごとく否定した。

 心愛さんが朝食や昼食を取っていたかどうかの問いには「分からない」「覚えていない」と繰り返した。被告の暴行を目撃したという心愛さんの母親(33)の証言との食い違いを指摘されると、「私は事実しか話していない」と反論した。

 被告人質問はこの日で3日目。午後には、裁判員らが質問する。9日の第10回公判で結審する見通しだ。

 

野田虐待死公判 水かけた後「反応なくなる」 勇一郎被告、死亡直前の状況説明(2020年3月6配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判が6日、千葉地裁で開かれた。検察側の被告人質問で勇一郎被告は、心愛さんが死亡するまでの状況を説明。浴室で冷水のシャワーをかけた後、「壁に沿うようにストンと座った。びっくりした」と語った。

 勇一郎被告によると、昨年1月14日後10時ごろ、廊下を掃除せずに暴れたという心愛さんを落ち着かせようと、浴室に連れていき、額の周辺に3回程度、冷水シャワーをかけた。その後、「浴室の壁に沿うようにストンと座り、反応がなくなった」と説明。勇一郎被告は、その10〜15分後に110番したという。

 これまでの公判で、心愛さんの母親は前日の夜から当日の午前中まで心愛さんが浴室に立たされていたと証言したが、勇一郎被告は「(心愛さんが)寝室から起きてきた時に見た」と否定した。検察官から食い違いを指摘されると、「私は事実しか話していません」と強調した。

 心愛さんが周囲に訴えた虐待内容を否定する勇一郎被告の主張について、検察官が「まるで死人に口なしで、心愛さんを陥れていると分からないのか」と厳しい口調で問い掛けると、「1年以上にわたり事件と向き合って考えてきた、私なりの心愛への思いです」と淡々と答えた。

 

【野田小4虐待死、被告人質問2日目詳報】(1)涙ながらに思い出話すも、虐待行為の多くを否定(2020年3月5日配信『産経新聞』)

 

千葉地裁の法廷

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第8回公判が5日、千葉地裁(前田巌裁判長)であった。4日に引き続き、弁護側による被告人質問が行われ、勇一郎被告は虐待行為の多くについて否定した。

 勇一郎被告は、傷害致死と傷害、暴行、2件の強要という心愛さんに対する5つの罪のほか、妻に対する暴行も含めて計6つの罪に問われている。

 内訳は(1)平成29年11月、心愛さんを殴ったとする暴行罪(2)30年7月、心愛さんに大便を持たせ、その様子を撮影したとする強要罪(3)30年12月〜昨年1月、心愛さんの腕をつかんで床に打ち付け、顔や胸を圧迫するなどして1カ月の胸骨骨折などを負わせたとする傷害罪(4)昨年1月1日ごろ、妻の胸ぐらをつかんで顔を殴るなどした暴行罪(5)昨年1月5日ごろ、心愛さんの服をつかんで廊下に出し、脱衣所に立たせ続けた強要罪(6)昨年1月22〜24日、心愛さんに食事を与えずリビングや浴室に立たせ続けたり冷水を浴びせるなどして死亡させた傷害致死罪−。

 このうち(1)の暴行罪については4日に質問があり、勇一郎被告は否定した。この日は残る罪状について質問が行われるとみられる。

 午前10時、法廷に姿を現した勇一郎被告は、傍聴席に体を向け、10秒ほど一礼。裁判長に促されて証言台の席に座り、弁護人の質問にゆっくりした口調で答え始めた。

 まず弁護側は、30年7月30日に心愛ちゃんに便を持たせ、携帯電話で撮影した(2)の強要罪について質問。勇一郎被告は、虐待の一環で行われた犯行であるという検察側の主張を、改めて否定した。

 

【野田小4虐待死、被告人質問2日目詳報】(2)「虐待だった」おえつしながら認めるも、妻とは「離婚するつもり」(2020年3月5日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判。昼休憩を挟み、事件の核心部分となる傷害致死罪についての弁護側の被告人質問が続いた。同罪について勇一郎被告は初公判で「罪は争わない」と述べる一方「(心愛さんを)飢餓状態にしたりストレスを与えて衰弱させたりしたことは一度もない」などと暴行の内容を一部否定していたが、「虐待だった」と率直に認めた。

 傷害致死事件は昨年1月22〜24日に発生。心愛さんに食事を与えずリビングや浴室に立たせ続けたり、冷水を浴びせるなどして死亡させたとされる。

 正月休みを経て昨年1月7日から出勤し始めた勇一郎被告は、同日から心愛さんを登校させず、虐待を加えていたとされる。勇一郎被告は、寝室から出さないように指示したかと問われ「ありません」と否定した。

 その後、勇一郎被告は22日にインフルエンザにかかり自宅で療養。心愛さんは同日、夕飯を食べた後、午後10時前後に1時間ほどリビングで立たされていたという。

 勇一郎被告は当初、その様子を見ていたが、たばこを吸うためいったんその場を離れ、戻ってくると心愛さんはストーブの前で寝ていた。勇一郎被告が起こすと再び立っていたという。約30分後には再びストーブの前で寝ていたが「今度は起こすことなく、毛布をかけて自身も就寝した」と話した。

 勇一郎被告は23日にも勉強の態度をめぐり注意した上で「廊下に立っていろ」と叱責。ほかにもリビングに入る際「失礼します」と挨拶するという決まりにしていたのに「失礼しまーす」と軽い感じで言った心愛さんに対し、「注意をした」と説明。ただ「何度もお辞儀をし直させたということはない」と話した。

 当時、心愛さんは度重なる虐待行為で飢餓状態にあったとされる。妻が心愛さんに「食事をつくろうとすると(勇一郎被告に)止められるのでつくらなかった」と証言していることについて、弁護側が「そのような気持ちはあったか」と聞くと「全くありません」と否定した。

裁判長が、実際に妻が心愛さんのために食事をつくるのを止めたことがあるかを聞くよう弁護人を促したが、弁護人が別の質問に移ろうとしたため、裁判長が直接質問する一幕も。勇一郎被告は「一度もありません」とはっきりと答えた。

 勇一郎被告は、23日夜に心愛さんが脱衣所で失禁した際の様子について「脱衣所を片付けて(心愛さんに)『なんでそんなことするんだ。どうするんだ』と聞くと『(翌)朝の6時まで立っています』と答えた」などと説明。

 さらに「『本当に立てるのか』と聞くと『(翌朝)8時まで立っています』と応じたため、『立っておけ』と指示した」と話した。その後、心愛さんは一時眠ったりもしたが、最終的に就寝したのは24日午前3時ごろだったという。

 24日午後には、失禁した心愛さんが反省の態度を見せなかったことから「廊下から風呂場に引っ張って連れていき、水をかけた」という勇一郎被告。その際、心愛さんの様子がどうだったかを問われ下を向いて声を上げて泣きながら、「首を振って嫌がっていました。何度も出ようとしていたのに私が手を引っ張ったり、押さえつけて水をかけようとした」と認めた。

 その後、心愛さんが暴れなくなったためシャワーを止めると「心愛が座るようにしてストンと落ちた」。その後約5分間、抱きかかえてゆすったり、シャワーで温水をかけ続けたという。

 終始泣きながら弁護人の質問に答えていく勇一郎被告。質問は、暴行や虐待への認識について話が及んだ。

 殴ったり蹴ったりしたことについては「ありません」と否定。押さえつけたりしたことについては「当時は暴行だと思っていなかった」としたが、今の認識を問われると「暴行です。虐待です。大好きな自分の娘に長い時間たたせたり、屈伸をやらせる必要は全くありませんでした」と話した。

本格的な虐待が始まったのは、平成30年7月ごろだとされる。なぜ虐待に及んだのかと問われると「心愛が言ったことは最後までやらせないとという理由で虐待した。やりすぎだという気持ちを止めることができなかった」

 心愛さんの動画を撮影した理由については「なぜ心愛が大声で騒ぐのかわからなかったので、病院に連れて行こうと考え、状況を知りたいという話があったときに見せようと思ったのが始まり。心愛に『誰かに見せるぞ』と言うと、ピタッとやめることがあって、続けていた」と述べた。

 自身の性格について「きっちりとやらないと気が済まない」と分析し「子供を育てるのが思い通りに行かないのが許せなかったのか」と問われると「最初からそういう気持ちを持っていたことはないが、虐待といわれる期間を振り返ると、そのように思っていたと思う」と話した。

 学校や児童相談所に対する自身の行動について「支配欲求の強さからそうした行動をとったのか」と聞かれると「今になってそう言われると、そうとしか言えない」とした上で「(児相に事件の責任は)ありません」とした。

 有罪判決を受け、刑務所に入る場合について問われた際には「心愛に…。心愛に…。謝らせて、もらえるように…。自分に、できる、償いをその日、その日、一生懸命行いながら、生活をしていきたい」とおえつを漏らし、何度も詰まりながら、遅すぎる後悔の弁を口にした。

 一方で、弁護側から最後に妻との関係について聞かれると、「離婚するつもりです」と低い声できっぱりと答えた。

 弁護側の被告人質問はここで終了。休憩をはさみ、検察側の質問に移る。

 

【野田小4虐待死、被告人質問2日目詳報】(3)完 「死は虐待行為が原因の一つ」と認めるも「妻は嘘をついている」と主張(2020年3月5日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判は弁護側の被告人質問が終わり、検察側の質問に移った。

 弁護人からの質問に対し、おえつを漏らしながら心愛さんへの思いなどを語っていた勇一郎被告。休憩後に入廷した際は落ち着いた様子で、証言台の近くで裁判官、検察官、傍聴席、弁護人へと順番に頭を下げ、着席した。

 勇一郎被告は弁護人の被告人質問で一連の行為を「虐待だった」と認めた。検察官もまず、「虐待の認識」をただした。

 事件当時については「(虐待の認識は)ない」とした被告だったが、「振り返ると虐待だと思うか」という質問には「はい」と回答。どの行為が虐待に当たるかについては「心愛に対しての『お前』という発言、暴れた心愛を押さえつけたり、持ち上げたり、屈伸や立たせたりすること、そうしたことすべて」と答えた。

 「暴れたから押さえつけた」などと説明する勇一郎被告に対し、検察側が「心愛さんに責任を押し付けていると思わないか」と追及すると「事実を述べたのであって、心愛が言ったからこういう風になった、ということではない」と釈明。被告の証言と、他の事件関係者との証言が食い違っているとの指摘には「皆が嘘をついていることになる」との認識を示した。

 質問は、傷害致死など計6つの罪のうち唯一、全面的に否認している29年11月上旬に心愛さんの頭を手で殴るなどとした暴行事件に移った。心愛さんは同月行われた学校のアンケートで虐待を訴えていたが、前日の弁護側被告人質問で勇一郎被告は「心愛がされてもいないのに、嘘を書いたと思う」と主張。理由については「思いつかない。今振り返ってもわからない」と説明していた。

 この日、検察官から再度同じ質問をされても、勇一郎被告は従来の主張を繰り返した。心愛さんが児童相談所の職員や心愛さんの担任に対し「暴力を受けた」と説明していることを踏まえ、検察官が「複数の大人に被害を打ち明けたのはどうしてだと思うか」「心愛さんは実の親を訴えるほど嘘つきか」などと追及しても「わかりません」としか答えなかった。

 一方、勇一郎被告は平成30年2月に「お父さんにたたかれたのは嘘」と心愛さんに書面を書かせたことは認め、「2回目の児童相談所との面接があると聞いていたのと、前々から私たちとアパートで一緒に暮らしたいと言っているのを知っていたので、心愛の気持ちを伝えるということで書かせた」と経緯を説明した。

 なぜ「嘘」と書面で断じたかについては「そのように書いた方が早く4人で生活できそうだと思ったから」と述べ、検察官から、「心愛さんの認識とは無関係に文案を作成したのか」と指摘されると「今考えてみると、おっしゃる通り」と肯定した。

 心愛さんに排泄(はいせつ)物を持たせて撮影した強要事件についても、心愛さんが「自分から排泄物を持った」という従来の主張を繰り返した。写真に映る心愛さんの顔について検察官から「嫌そうな顔をしていると思わないか」と聞かれ「はい」と答えたが、心愛さんが自分の意志で排泄物を持ったなら、理由はなぜだと思うかと聞かれると「はっきりとは分からない」とした。

 涙ながらに話そうとする勇一郎被告に対し、検察官から「泣くところではない」とたしなめられる場面もあった。検察側は再三、排泄物を持ったり、屈伸したりする行為を心愛さんが自分からするのは「不自然だ」と追及したが、勇一郎被告は否定的な証言を重ねた。

 年末年始に心愛さんに暴行を加え、胸を骨折させたとする傷害事件については、妻が証人尋問で「勇一郎被告が両腕を引っ張って持ち上げ、洗面台に打ちつけて骨折させた」とするのに対し、勇一郎被告は「引っ張った際に心愛さんが顔を上下させたはずみで骨折したのではないか」とし、妻の証言が嘘だと主張した。ただ、検察官から「なぜ嘘をついたと思うか」と問われると「言葉が見つかりません」と繰り返した。

 検察側は最後に、傷害致死事件について質問。「心愛さんはなぜ亡くなったのか」という問うと、勇一郎被告は「私がしていた虐待行為が原因の一つだと思っている」と認め、閉廷となった。

 6日は、傷害致死事件の詳しい状況などについて、引き続き被告人質問が行われる予定。

 

野田虐待死公判 心愛さん父「浴室、長く立たせてない」 母の証言に反論(2020年3月5日配信『東京新聞』)

 

千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が虐待死した事件で、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判公判が5日、千葉地裁で開かれ、弁護側の被告人質問が行われた。心愛さんが死亡する前日の2019年1月23日夜、被告が浴室で立たせていたとする心愛さんの母親(33)の証言を「ずっと立ってはおらず、リビングのストーブの前で寝ていた」と否定。母親に対し、心愛さんへ食事を与えないよう指示したこともないと主張した。

 母親は2月27日の証人尋問で、勇一郎被告が19年1月23日夜に心愛さんを浴室に立たせたとし、「自分が翌日午前10時ごろに起きると、心愛はまだ浴室で立っていた」と証言していた。

 勇一郎被告は、心愛さんが死亡する約1カ月前の2018年末から19年1月にかけて、心愛さんの体を床に打ちつけたなどとする傷害罪の起訴内容についても「ありません」と否定した。

 勇一郎被告によると18年12月30日、宿題をしないことを注意した際、「心愛が手足をばたつかせて抵抗した」と説明。目の付近にできたあざについては「もみ合いになった時などにつけてしまったと思う」と述べた。

 また、19年1月の母親への暴行については「暴れたので押さえようと馬乗りになり、ほほを平手打ちしてしまった」と話した。

 18年7月30日に心愛さんを怖がらせ、排せつ物を持った姿を携帯電話のカメラで撮影したとする強要罪については、風呂場で用を足した心愛さんから「『撮りたければ撮れよ』と言われたので撮ってしまった」と主張した。

 被告は一連の質問に涙声で答えていた。

 

「心愛がうそを書いた」暴力訴えるアンケートに被告主張(2020年3月4日配信『朝日新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判は4日、千葉地裁で被告人質問が始まった。心愛さんが父の暴力を訴えたアンケートについて、被告は「心愛がうそを書いた」と主張した。

 心愛さんは201711月、小学校のいじめアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と書き、県柏児童相談所に一時保護された。検察側はこのころ、被告が心愛さんの頭を殴るなどしたとして暴行罪で起訴している。

 この日の公判で、被告は暴行について「していません」と否認。アンケートは「心愛がされてもいないのに、うそを書いたと思う」と述べた。「振り返ってみても(なぜ書いたか)わかりません」「寝相が悪く、毛布をかけ直したのを(暴行と)勘違いしたのかもしれません」と語った。

 182月、心愛さんは「お父さんにたたかれたというのはうそです」と書面に記した。当時、父方の祖父母宅で暮らしていた心愛さんは、この書面をきっかけに両親の住むアパートに戻った。被告はこの書面について、心愛さんの母親(33)を通して心愛さんに書かせたと認めたうえで「心愛も私たちと生活したいと話していたと聞いた」と主張した。

 検察側の主張や母親の証言によると、179月ごろには、心愛さんは「夜中に5時間立たされた」と被告の妹らに泣きながら訴え、その後「地獄だった」と母親に話したという。これらについて、被告は「立たせたことがありません」「(娘が)うそをついていると思いました」などと否定した。

 虐待被害者の心理に詳しい精神科医と、被告の母親の証人尋問もあった。精神科医はアンケートについて「(心愛さんは)助けてほしいという気持ちを持っていたと思う」と語った。書面は「お父さんが怖く、書くしかなかった」と述べた。情状証人として法廷に立った母親は「許せないけど、親でもあるので、心愛ちゃんの冥福を祈りながら、勇一郎の支援をしていければと思う」と語った。

 検察側によると、勇一郎被告は昨年1月、自宅で心愛さんに食事を与えないで、十分な睡眠を取らせず、冷水を浴びせるなどして飢餓と強いストレス状態にし、ショックもしくは致死性不整脈、または溺水(できすい)で死亡させたとされる。

 被告人質問は56日も続く予定。

 

【野田虐待死、父親第7回公判詳報】(上) 父親に絶望や無力感 精神科医(2020年3月4日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第7回公判が4日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、精神科医で臨床心理士の小西聖子武蔵野大教授と、心愛さんの祖母に当たる被告の母親の証人尋問が行われた。主な内容は次の通り。

 【心愛さんの心理】

 小西教授 小学校のアンケートで「お父さんからぼう力を受けています」と虐待を訴えることができた平成29年11月当時の心愛さんは、虐待を受けた子供の中では力があると思う。それは、父親と同居していない時期が長く、虐待が始まって間もなかったため、おかしいと考えられたからなのではないか。

 心愛さんが亡くなる直前の31年1月5日の動画には、心愛さんが「ママ、ママ」と繰り返し母親に助けを求めるものの、母親に拒否される様子が映っている。これは母親が、父親がいない場面では味方をしていたことが影響していたのではないか。父親に対しては畏怖し、絶望や無力感を感じている。

 【母親の心理】

 小西教授 心愛さんにアンケートの内容を否定する嘘の手紙を書かせたり、父親の虐待に同調したりする様子がみられる。これは夫からの支配という目先の恐怖に対応するため、心愛さんに対する影響を考えられなかったためではないか。DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者にはよく見られる傾向だ。

 【虐待動画】

 小西教授 父親が心愛さんを虐待する動画が残っていた。専門ではないが、虐待の加害者がこういった動画を撮影するのは、自己愛的な性格が根底にあり、子供のちょっとした言動も自分を脅かすものと考えていたからではないか。

 【被告の更生】

 被告の母親 息子には何があったのか、真実を話してほしい。話次第ではあるが、親子の縁を切らず、刑務所に面会に行き、更生するよう支えていきたい。

 

野田虐待死、父親第7回公判詳報】(下) アンケート「心愛が嘘書いた」(2020年3月4日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第7回公判が4日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、弁護側による被告人質問が行われた。主な内容は次の通り。

【心愛さんの誕生】

 被告 妻が心愛を妊娠したと分かったときは飛び上がるほどうれしかった。平成20年9月に心愛が生まれ、家族3人での生活は幸せだった。

 しかしその生活も2カ月ほどしか続かなかった。私が仕事に行っている間に妻が心愛を連れて実家へ戻ってしまった。何度も実家に通ったが、妻や心愛には会えなかった。3年後の23年10月、離婚が成立した。

【心愛さんとの再会】

 被告 28年7月ごろ、妻から連絡があり、再会した。7歳になった心愛はかわいくて、私にそっくりだった。その後、沖縄で3人の生活を始め、妻と再婚した。沖縄にいる間、心愛や妻に暴力を振るったことは一度もない。

【沖縄から野田市へ】

 被告 29年6月に次女が生まれてから2週間ほどして、心愛と妻が実家へ帰り、戻ってこなくなった。ある日、心愛が熱を出し、学校から連絡を受けた私が心愛を連れ帰った。心愛は「ばあば(母方の祖母)の家は地獄だから、パパのところへ行きたい」と言っていた。

 入院していた次女が7月末に退院し、翌日、次女と心愛を連れて野田市の実家に行った。夜中に次女にミルクをあげていると、寝相の悪い心愛がぶつかり、次女が泣きだした。心愛が「うるさい」と言うので、「次女が泣くのはお姉ちゃんにも原因がある」と注意したが、夜中立たせたり、次女の面倒を見させたりしたことはない。(当時同居していた被告の妹らに話したことは)心愛の嘘だと思う。

【いじめアンケート】

 被告 11月7日、心愛が県柏児童相談所に保護された。児相職員から心愛が私にたたかれたり、蹴られたりしたと訴えたと聞いたが、思い当たるところはない。(強いていえば)夜中に布団を掛け直したり、布団からはみ出た心愛を抱きかかえて戻したときに勘違いしたのではないか。

 アンケートにある、たたくや蹴るといったことはしていない。なぜ、心愛がそう書いたのか、心愛を傷つけるので言いたくない。

 弁護人 あなたは十分、心愛ちゃんを傷つけた。話すべきだ。

 被告 心愛がされてもいないのに、嘘を書いたと思う。

【児相での面会】

 被告 22日に児相で(一時保護中の)心愛と面会した。心愛は私と妻がいる面会室の入り口ではにかんだような表情で立ち止まった。私が手を差し伸べると、心愛も手を差し出し、私の手を握った。心愛が「パパの手冷たい」と言って、すぐ離した。

 

小4女児虐待死裁判 被告の父親 暴行は「娘のうそ」千葉(2020年3月4日配信『NHKニュース』)

 

 

千葉県野田市で小学4年生の女の子を虐待して死亡させたとして傷害致死などの罪に問われている42歳の父親の裁判は4日から被告人質問が始まり、女の子が小学校のアンケートで訴えた被告からの暴行について「娘がされてもいないのにうそを書いたと思います」と述べて否定しました。

去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(当時10)が自宅の浴室で死亡しているのが見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続けて死亡させたなどとして傷害致死などの罪に問われています。

これまでの裁判で、被告は傷害致死の罪などについて起訴された内容の一部を否認しています。

4日午後からは被告人質問が始まり、弁護士が沖縄から野田市に転居したあと長時間、心愛さんを立たせるなどしたかについて問うと、被告は「立っているように言ったことは一度もないです」と答えました。

 さらに、弁護士が「なぜ、心愛さんが『立たされた』と言ったと思うか」と質問すると、「傷つけてしまうからこれ以上言えません」と述べましたが、再度、弁護士から聞かれると、「うそをついていると思いました」と述べました。

 さらに心愛さんが小学校のアンケートで訴えた被告からの暴行について思い当たることがあるかと質問されると、「ありません。心愛が、されてもないのにうそを書いたと思います。うそを書いた理由は分かりません。夜、寝相が悪くて毛布をかけ直したのを勘違いしたのかも知れません」と述べて否定しました。

被告人質問は5日と6日も行われます。

 

野田虐待死、父親第6回公判詳報】「相当強いストレス」解剖医ら証言(2020年3月2日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第6回公判が2日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、県柏児童相談所の児童心理司と心愛さんの遺体を調べた解剖医の証人尋問が行われた。主な内容は次の通り。

【柏児相での生活】

 児童心理司 心愛ちゃんがお父さんからたたかれたり蹴られたりする状況は、本人にとっては文脈がなく、お母さんがいなくなると始まり、理不尽に感じていただろう。ある時、保護所の生活は慣れたか聞くと「夜眠れず、お父さんの夢を見る」と言っていた。

【心愛さんの死因】

 解剖医 解剖の結果、心愛さんは病死の可能性は低く、急死したといえる。死因はケトアシドーシスによるショック死か致死性不整脈、または溺水の可能性がある。

 人間のエネルギーの元である血中の糖が少なくなったり、細胞に取り込みにくくなったりすると、血中に「ケトン体」と呼ばれる物質が出される。ケトアシドーシスとは、そのケトン体が増えすぎた状況。

 糖尿病などの原因でもケトアシドーシスになるが、心愛さんの場合は考えにくい。原因は飢餓やストレスだろう。心愛さんの血中ケトン濃度は専門家でも見たことがないほど高い数値だったので、相当強い飢餓やストレス状態だったと考えられる。

 また、肺に水が入っていたことなどから、溺水の可能性もある。

【心愛さんのけが】

 解剖医 心愛さんは死亡の数週間前に胸骨を骨折していた。後ろに陥没するように骨折しており、相当な強さで圧迫または打撃されてできたものと考えられる。胸骨は比較的硬い骨で、日常生活で転倒するくらいで折れるとは考えにくい。

 心愛さんの遺体や(被告の携帯電話にあった死亡直前の昨年1月5日の)動画に映った心愛さんには、多数の皮下出血があることが分かる。目の周りや頬、鎖骨周辺などにもあるが、転倒したり、自分で暴れたりしても出血しにくい部位。非偶発的にできたものと考えた。

 

危うさを感じた…心愛さん虐待裁判で児相職員が証言(2020年3月2日配信『日刊スポーツ』)

 

千葉県野田市の小学4年生栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待され、死亡した事件で、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判の第6回公判が2日、千葉地裁で開かれ、前回、「貴い命を守ってあげられなかった。本当に後悔しています」と話した柏児童相談所職員が引き続き証人出廷した。

入退廷時には遮蔽(しゃへい)板が置かれたが、証言時も勇一郎被告側はついたてが置かれたまま。裁判官から「被告人に危うさを感じたことがあるか」と尋ねられると、「はい」と答え、「事件として公になったからではなく、(面会を重ねた)当時からお父さんは反対してくる人に対してや、自分の意見が通らないと、どんなことをしても認めさせようとする」と証言した。

午後は心愛さんを司法解剖した医師が遺体の状況と死因について証言する予定。

 

「ママー助けて、お願いママ」何度も助けを求めた心愛さん 証人出廷の母親が娘の死後にみせた異常な表情(2020年3月1日配信『週刊文春デジタル』)

 

 千葉県野田市で小学4年生だった栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件。傷害致死罪などで起訴されている父親の勇一郎被告(42)に対する裁判員裁判が千葉地裁で開かれている。その中で、22627日、心愛さんの母親(33)も証人として出廷し、証言した。

 

亡くなった栗原心愛さん

 

 母親は昨年6月、勇一郎被告の虐待を制止しなかったとして、傷害幇助罪で懲役26月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、確定している。これまで、母親は勇一郎被告からのDV(ドメスティック・バイオレンス)を受け、やむを得ず心愛さんを助けられなかったとされてきたが、今回の裁判で母親も虐待に加担する様子が明るみに出た。

 

死亡3週間前の動画で「あんたに振り回されて、なんにもできない」

 裁判では、勇一郎被告が撮影したとみられる心愛さんを虐待する動画が証拠として提出され、裁判員に示された。そのひとつは心愛さんが亡くなる約3週間前の昨年15日に撮影された動画。自宅リビングで心愛さんが両親の前で「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いている。

「いいかげんにして。『立って』って言ってんだけど。座ってくださいとは言ってないよね。私もパーパ(勇一郎被告)もやることあるんだけど。あんたに振り回されて、なんにもできないし、どこにも出かけられない」

 勇一郎被告とともに心愛さんを厳しく責めているのは母親だった。心愛さんは両親に土下座をさせられた。

 

栗原勇一郎被告

 

 母親は沖縄県出身。勇一郎被告とは2度結婚している。県内で就職し、同じ職場の勇一郎被告と交際し2008222日に結婚。922日、心愛さんを出産したが、間もなく産後うつになって実家に戻った。被告とはそのまま別居状態が続き、心愛さんが3歳になった111027日に離婚が成立。だが、167月ごろに母親から勇一郎被告に連絡を取り、再び交際。初めの結婚記念日と同じ19222日に再婚した。次女の妊娠はすでに判明しており、615日に出産。現在は離婚協議中という。

 

栗原家の嫁として認められていなかった

 母親は被告の両親や妹から栗原家の嫁として認められておらず、事件前、自宅アパートから心愛さんを近所にある実家にたびたび送るなど、行き来はあったにもかかわらず、母親が中へ入ることは許されていなかった。被告の父親は「会話らしい会話はしたことがない」という。

 母親の証人尋問は22627日の2日間行われた。両日とも、被告や裁判員らがいる法廷には姿を見せず、別室と映像、音声でつなげる「ビデオリンク方式」で証言した。母親は心愛さんが受けた虐待について、「心愛のためにすべて話したい」と詳細に話した。

 

栗原勇一郎被告の裁判員裁判初公判が開かれた千葉地裁の法廷

 

夫婦はLINEで「プールはやめたほうがいい」「私もそう思った」

 心愛さんが小学4年生だった1878月、勇一郎被告は毎日のように心愛さんを虐待し、心愛さんの体はあざだらけだった。法廷では当時の夫婦間のLINEのやり取りが開示された。たとえば712日のやり取りでは、心愛さんのあざを学校にバレないようにするため、学校を欠席させるか話し合っている。

 勇一郎「あー明日学校どうする?」

 母親 「まだあざがあるけど」

 勇一郎「今週は休ます?」

 母親 「そのほうがいいと思うな」

 母親 「学校行かせるのほんと心配なんだけど」

 勇一郎「まあ今週休ませて、月曜の状況見てじゃない」

 また、23日にも、こんなやり取りをしている。

 勇一郎「プールはやめたほうがいいよ」

 母親 「私もそう思ったから、みーちゃん(心愛さん)には行かないほうがいいよと伝えた」

 学校に行かせても、肌の露出が多いプールの授業は見学させている様子が明らかになった。

 

夜通し立たせ、座り込んだ子供を持ち上げて落とした

 心愛さんが死亡する直前の1819年の年末年始、勇一郎被告の虐待は加速していった。11日には、心愛さんを前日夜から寝させずに夜通し立たせた。朝になって座り込んでしまった心愛さんの両腕を引っ張って持ち上げ、そのまま落として床に打ち付ける暴行をした。心愛さんはこの暴行で、胸骨を骨折したとされる。

 

千葉県野田市が公開した、栗原心愛さんが父からの暴力を訴えた学校のアンケート

 

心愛さんの書いたアンケートには「夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています」の訴えが

 

 この日、虐待を見ていた母親は勇一郎被告を制止しようと「もうやめて。あなたのやってることは虐待だよ」と被告に伝えたが、結局、「お前は何もわかってない」と胸ぐらをつかまれ、床に押し倒され、馬乗りになられ、そばにあったひざ掛けを口に押し込まれたという。

 

母親は「少し笑みを浮かべているように見えた」

 心愛さんの小学校は冬休みが終わり、7日から再開したが、あざがひどく通わせられず、寝室に閉じ込めるようになった。勇一郎被告が会社に行っている間、母親は心愛さんの様子をLINEで報告。「また自分から飲み物くださいって」「しかも『甘いものない?』とか。まじでお前何様か。むかつくね」などと一変、勇一郎被告の虐待に同調していた。

 結局、心愛さんは24日午後11時ごろ、自宅浴室で亡くなった。勇一郎被告の通報で野田市の自宅アパートに警察や消防が駆け付けた。体や洋服が濡れた状態で風呂場に倒れていた心愛さんはすでに死後硬直が始まっていた。

 勇一郎被告が警察に屋外で事情を聴かれる間、救急隊員は母親に心愛さんが亡くなった状況を聞いた。「なぜお子さんは濡れているんですか」。救急隊員が問うと、母親は「私は下の子を寝かせていたので、わかりません」と話したが、救急隊員の供述調書によると、その際、母親が「少し笑みを浮かべているように見えた」という。聞いていた他の隊員に目配せすると、やはり異常な表情に疑問を感じていたようだったという。

 

栗原心愛さん

 

「勇一郎の監視や束縛でどうすることもできなかった」

 

 母親は証人尋問で、検察官になぜ心愛さんを助けなかったのか、警察や児童相談所に通報しなかったのか問われると、「心愛を助けてあげたかったが、勇一郎の監視や束縛が強くてどうすることもできなかった」と繰り返した。また、勇一郎被告の虐待に同調した理由についても、「言い訳になるかもしれませんが、次女の世話もありながら、毎日のように勇一郎が心愛に虐待するのを見て、私は正直限界でした。その気持ちを心愛に向けてしまった」と述べ、「とても後悔しています」と涙を流した。

 

栗原勇一郎被告の初公判で傍聴券を求めて並ぶ人たち(221日、千葉地裁前)

 

 勇一郎被告の携帯電話から見つかった動画には、被告から虐待される心愛さんが「ママー助けて、お願いママ」と母親に何度も助けを求める様子が映っていた。だが、母親が救いの手を差し伸べることはほとんどなかった。

 もっとも近くで虐待を見ていた母親にも助けてもらえず、しまいには父親に同調して虐待された心愛さんの絶望はどれほどだったか。DVを受けていたとはいえ、母親の罪は重いだろう。

 

亡くなった栗原心愛さん(当時10歳)に黙祷をささげる千葉県野田市の職員 124日、千葉・野田市役所

 

【野田虐待死、父親第5回公判詳報】「蹴られて今も痛い」(2020年2月28日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第5回公判が28日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、心愛さんが平成29年11月、県柏児童相談所に保護された当時の小学校の担任教諭や、柏児相で心愛さんの担当だった児童福祉司と児童心理司が証言した。主な内容は次の通り。

 

 【いじめアンケート】

担任教諭 29年11月6日にいじめに関するアンケートを児童に対して行った。心愛さんが「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と訴えた。翌7日に心愛さんに聞き取った。

 心愛さんによると、お母さんがいない時、背中を蹴られたり、頭を拳で殴られたりするという。前日も頭や背中、首を蹴られたといい、頭は「今も痛い」と泣いていた。

 

 【柏児相の一時保護】

児童福祉司 心愛ちゃんは7日に柏児相に保護された。右頬には色は薄いがあざがあった。お父さんは当日、面談で虐待は「事実無根」と言い、一時保護に納得しなかった。

 同月22日、心愛ちゃんと両親を児相で会わせた。お父さんが握手をしようと手を差し伸べたが、心愛ちゃんは手を引っ込めた。お父さんは「照れているのかな」と言っていたが、怖がっていたと思う。

児童福祉司 心愛ちゃんから、お父さんに夜中に起こされ、「窓の外に誰かいるから見て」と言われ、見に行くとズボンを脱がされ、パンツも一緒に脱げてしまったと聞いた。カーテンが開いていたので「誰かに見られたか心配」と言っていた。

 心愛ちゃんは児相での医学診断で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあるとされた。

 

野田虐待死母証言「被告正義感強い心愛を嫌った」 死亡前に「被告が冷水」(2020年2月28日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市の小学四年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待死させたとして、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判の公判が27日、千葉地裁であり、26六日に続き心愛さんの母親(33)の証人尋問が行われた。母親は、心愛さんの死亡直前の状況を詳細に語った。

 証言によると、勇一郎被告は2019年1月23日夜、心愛さんを風呂場に立たせた。母親が翌24日午前10時ごろに起きた後、被告に呼ばれて浴室に行くと、心愛さんは肌着がぬれた状態でまだ立っていたという。

 午後1時ごろ、浴室では、被告が肌着姿の心愛さんの体に、ボウルにためた水をかけ続けていた。その後、被告が冷水シャワーを浴びせても心愛さんは反応しなくなった。夕方になると、「体を反らせるプロレス技のようなことをされ、とてもぐったりしていた」という。

 夜になると、浴室から「ドーン」と衝突音を一、二回聞いた。「心愛が動かない。息をしていない」と別室にいた母親を呼びに来た勇一郎被告は「落ち着かない様子だった」という。浴室では口を半開きにした心愛さんが倒れている姿を見て、「亡くなったのだと思った」と声を詰まらせた。

 21日の初公判で、勇一郎被告は傷害致死罪について争わないとしたが、シャワーや体を反らせるなど暴行の一部を否認。「暴れる心愛さんを押さえるためだった」とする弁護側の主張に対し、母親は「元気がなく、暴れられる状態ではなかった」と反論した。

 勇一郎被告の性格を問われると、「他人には自分を良く見せ、家族には自己中心的」とし、借金のためストレスをためていたと説明。虐待の理由を「正義感が強い心愛の性格そのものが気に入らなかったのだと思う」と述べ、「できる限り重い刑にしてほしい」と訴えた。

 

野田虐待死公判 母「できる限り重い刑に」 被告の暴行を証言(2020年2月27日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待し死なせたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判公判が27日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。心愛さんの母(33)は証人尋問で、心愛さんが死亡するに至った2019年1月22〜24日の状況について「被告が監視し食事をあげられなかった。ぬれた下着姿で風呂場に朝まで立たされていた」と証言した。被告には「二面性があった」とし、「できる限り重い刑にしてほしい」と語った。

 証言によると、トイレに行かせてもらえなかった心愛さんは19年1月23日夜にお漏らしした罰として風呂場に立たされた。母は被告から「心愛が自分で『明日の朝まで立っている』と言った」と聞かされ、翌24日午前10時ごろに起きた後、被告に呼ばれて風呂場に行くと、心愛さんはまだ立っていたという。

 24日にも心愛さんに冷水シャワーを浴びせたり、馬乗りになって体を反らせたりする暴行があったと証言。夜になって心愛さんが寝ようとすると、被告は「寝るのはだめだから」と再び浴室へ連れて行き、その後、被告から「心愛が動かない。息をしていない」と言われたという。

 勇一郎被告は21日の初公判で、傷害致死罪の成立を認める一方、具体的な暴行内容を否定していた。母は26日の公判で、心愛さんが18年12月下旬〜19年月上旬にも被告から暴行を受け、衰弱していたと証言していた。

 母は、勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害ほう助罪に問われ、執行猶予付きの有罪判決が確定している。

 起訴状によると、勇一郎被告は19年1月22〜24日、心愛さんに食事や十分な睡眠を取らせず、浴室に立たせ続けたり冷水シャワーを掛けたりして死亡させたなどとしている。

 

小4女児虐待死事件の裁判 “被告には二面性” 母親が証言(2020年2月27日配信『NHKニュース』)

 

 

千葉県野田市で小学4年生の女の子を虐待して死亡させたとして、傷害致死などの罪に問われている父親の裁判で、女の子の母親は被告が虐待をした理由について「二面性があり思いどおりにならないと家族に怒ってあたった。正義感が強い娘の性格が気に入らなかったのだと思う」などと述べました。

去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(当時10)が死亡した虐待事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続けて死亡させたなどとして、傷害致死などの罪に問われています。

27日の裁判では、心愛さんへの暴行を止めなかった罪で有罪判決が確定している、心愛さんの母親で被告の妻が26日に続いて、証言しました。

この中で母親は、死亡した前日から当日にかけて心愛さんが食事も与えられず、廊下や風呂場で長時間立たされていたことを明らかにしたうえで「被告が『5秒以内に服を脱げ』と指示をしたが、脱げなかった。被告はその後、心愛にシャワーで水をかけていた。夕方には、リビングで馬乗りになりプロレス技のようなことをして心愛はとてもぐったりしていた」などと証言しました。

さらに、亡くなる直前の状況については「夜、被告が寝ようとした心愛を風呂場に連れて行った。ドンという大きな音が聞こえ、被告から『心愛が動かない。息をしていない』と言われて見に行くと、心愛は風呂場に倒れていて、白目をむいていた。信じたくないが亡くなったと思った」と証言しました。

そして、検察官から被告の性格やなぜ虐待をしたと思うか問われると「被告には二面性があり、他人と家族に見せる顔が違った。思いどおりにならないと家族に対して怒ってあたった。正義感がとても強い心愛の性格が気に入らなかったのだと思う」と述べました。

そのうえで「できるかぎり重い刑にしてほしい」と述べました。

 

「できる限り重い刑に」 心愛さん母、被告に強い処罰感情 千葉地裁で証人尋問(2020年2月27日配信『千葉日報』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が昨年1月、自宅浴室で死亡した虐待事件で、傷害致死などの罪に問われた父親、勇一郎被告(42)の裁判員裁判第4回公判が27日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。26日に続き心愛さんの母親(33)の証人尋問が行われ、母親は被告が虐待に及んだ理由を「正義感が強い心愛の性格が気に入らなかったのではないか」と述べ「できる限り重い刑にしてほしい」と強い処罰感情を示した。

 母親は勇一郎被告の性格について「二面性がある」とし、他人には自分をよく見せて、家庭内では「自己中心的で、思い通りにならないとすぐに怒る」と説明した。「重い刑」を望む理由を問われると沈黙を続け、言葉で表現するのが困難な複雑な心境であることをうかがわせた。

 母親は26日の尋問で、心愛さんが沖縄県から野田市に転居してきた2017年夏以降の祖父母宅での生活を「毎日が地獄だった」と話していたと説明。勇一郎被告に逆らえず、虐待に加担してしまったことについては「毎日のように虐待する姿を見て、正直限界だった。とても後悔している」と心境を打ち明けていた。

 今月21日の初公判で勇一郎被告は、傷害致死罪の成立は争わないとしながらも「シャワーで冷水を浴びせ続けるなどの暴行をしたことはない」などと起訴内容を一部否認した。

 起訴状によると、勇一郎被告はおととし12月30日〜昨年1月3日ごろ、自宅で、心愛さんに暴行して胸骨骨折などのけがを負わせ、22〜24日には心愛さんに食事を与えず、シャワーで冷水を浴びせ、飢餓や強いストレス状態にさせて死なせたなどとされる。

 母親は勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害ほう助の罪に問われ、懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の一審判決が確定。勇一郎被告は母親に対する暴行罪でも起訴されており、併せて審理される。

 

もうやめて」ねじ伏せる 暴力で家庭内支配 母証言 【法廷リポート 野田女児虐待死】(2020年2月27日配信『千葉日報』)

 

 “密室”の内側はどこまで明らかになるのか−。野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が昨年1月、自宅浴室で死亡した虐待事件で、傷害致死などの罪に問われた父親、勇一郎被告(42)の裁判員裁判は26日、事件の鍵を握る心愛さんの母親(33)の証人尋問が始まった。母親は同月、心愛さんの命の危険を感じて勇一郎被告に「あなたのやっていることは虐待」と訴えたが、「お前は何も分かっていない」と暴力でねじ伏せられたことを証言。家庭内に絶対的な支配が存在したと明らかにした。

 母親は心愛さんが死亡する約3週間前の年始の出来事として、心愛さんが床に打ち付けられるなどしてぐったりしていたと説明。「危ない」と思ったため、勇一郎被告に「もうやめて」と声を掛けたが、胸ぐらをつかんで押し倒され、膝掛けを口に突っ込まれたという。

 当時、心愛さんを除いて沖縄県などへの家族旅行が計画されていたが、母親は勇一郎被告の思惑について、心愛さんが自宅でなく祖父母方での生活を望んだことへの「嫌がらせ」と証言した。心愛さんの体に虐待発覚につながるあざができたため、家族旅行は断念。勇一郎被告は「とても残念そうだった」という。

 勇一郎被告とのなれそめも振り返り、勤務先で知り合った際の第一印象は「明るくて優しい方」。交際を始めてからは暴力的な側面を知り、「暴言を吐いたり束縛したりするようになった」と説明した。仕事を辞めるよう勇一郎被告に言われ、結婚前に退社。入籍後は「束縛が強くなった。家から全く出られなくなった」とした。

 長女出産、別居、離婚、再婚、次女出産を経て2017年9月に野田市に移り住み、心愛さんから虐待被害を打ち明けられる中、県柏児童相談所による一時保護は「正直ほっとした」。一方、勇一郎被告は「何も悪いことをしていない」と不満げだったという。

 絶対的な支配にあらがえず、最終的に心愛さんの行動を勇一郎被告に逐一報告するなど虐待に加担する格好になってしまった母親。当時は「勇一郎に対してストレスがたまり、心愛に当たってしまった」といい、「とても後悔している」と現在の心境を打ち明けた。

 母親は勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害ほう助の罪に問われ、すでに懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の一審判決が確定している。

 

【千葉小4虐待死】「正義感強い長女を気に入らず」 心愛さんの母、被告の性格「二面性ある」(2020年2月27日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第4回公判が27日、千葉地裁であり、前日に続き心愛さんの母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定=の証人尋問が行われた。母親は心愛さんが死亡するに至った状況について「被告が監視し、食事をあげられなかった」と証言。被告が虐待した理由について「心愛の正義感の強いところが気に入らなかったのではないか」と述べた。

 母親は、被告の性格について「二面性がある。他人には自分をよく見せるが、家族には自己中心的で、思い通りにならないと怒る」と説明。検察官に処罰感情を問われると、「できる限り重い刑にしてほしい」と述べた。

 母親は、心愛さんが死亡する前日の昨年1月23日夜から24日までの状況について証言。被告は自宅の浴室などに心愛さんを立たせ続けた上で、24日午後1時ごろに浴室で肌着姿で衰弱した心愛さんに「5秒以内に服を脱げ」と命令し、脱げないとボウルに入れた冷水をかけることを5回ほど繰り返したという。

 午後10時ごろ、心愛さんが寝るために寝室に行くと、寝ていた被告が目を覚まし、「寝るのは駄目だから」と廊下に心愛さんを引っ張り出した。

 寝室にいた母親は、しばらくして浴室からドンという大きな音が聞こえ、部屋に入ってきた被告に「心愛が息をしていない」と言われたという。浴室に行くと心愛さんが白目をむいて、口が半開きの状態で倒れていた。「信じたくなかったが、亡くなったのだと思った」と語った。

 証人尋問は前日に続き母親がいる別室と法廷を映像、音声でつなぐビデオリンク方式で行われた。

 

【野田虐待死、父親第4回公判詳報】亡くなった心愛さん「体冷たかった」 母親が証言(2020年2月27日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第4回公判が27日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、心愛さんの母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定=の証人尋問が前日に引き続き行われた。主な内容は次の通り。

 【死亡直前】

 母親 心愛が亡くなった前日の昨年1月23日、インフルエンザにかかった勇一郎が病院へ出かける際、心愛に浴室で駆け足をするよう命じた。勇一郎は、帰宅時に屋外の換気口から、心愛が駆け足を始める音が聞こえたといい、心愛にそれまで休んでいたことをとがめて、さらに駆け足をさせた。

 24日午後1時ごろ、次女を風呂に入れようと浴室へ行くと心愛がいた。勇一郎は心愛に「5秒以内に服を脱げ。5、4、3、2、1」と肌着を脱ぐよう命じた。元気がない心愛はぬれた服をすぐ脱げず、勇一郎はボウルにくんだ冷水を心愛の頭からかけた。心愛の体はびくっとして、冷たそうだった。脱げるまで5回ほど水をかけていた。

 夜10時ごろ、心愛が寝室に入ると、寝ていた勇一郎が起きて「寝るのは駄目だから」と廊下へ引っ張りだした。その後、私が寝室にいると、ドンと大きな音がして、勇一郎に「心愛が動かない。息をしていない」と呼ばれた。心愛は浴室で倒れ、白目をむいて口は半開きだった。勇一郎が警察に通報する間、心臓マッサージをしたが、体はとても冷たかった。

 【被告と心愛さん】

 母親 これまで勇一郎の虐待を警察や児童相談所に通報しようと考えたことはあったが、勇一郎の監視や束縛が強く、できなかった。仕事中も頻繁に連絡が来ていた。

 勇一郎の性格は二面性があり、他人には自分を良く見せようとしたが、家族には自己中心的だった。

 心愛は正義感がとても強く、勇一郎が虐待するのはそんな心愛の性格そのものが気に入らなかったからだと思う。心愛は優しく、皆から愛される子供だった。

 

心愛さん、呼吸しづらそうに「苦しい」 母親が虐待証言(2020年2月26日配信『朝日新聞』)

 

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死罪などに問われている父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判は26日、千葉地裁で心愛さんの母親(33)の証人尋問があった。母親は、勇一郎被告が心愛さんを繰り返し床に打ち付けたり、玄関で屈伸をさせ続けたりしたという虐待行為の詳細を証言した。

 母親は虐待行為を手助けしたとして傷害幇助(ほうじょ)罪で懲役26カ月保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が確定している。証人尋問はマイクとモニターで別室の母親をつないで行われ、心愛さんが死亡する前日までが審理された。

 母親は、虐待行為がエスカレートしたとされる昨年12日ごろには「(心愛は)呼吸がしづらそうに『胸が苦しい』と言っていた」と証言。心愛さんはこのころ胸の骨を折っていたとされる。母親は直接見ていないが「勇一郎が暴力を振るったのだと思った」と話した。翌日に風呂に入れた際には、心愛さんは湯船で意識がもうろうとし、沈んでいきそうになったという。

 この直前の11日、母親は被告に「もうやめて。通報する」と言うと暴力を受けたと話した。その後は被告に抵抗せず、新学期に学校を休ませている間、心愛さんについて「お茶くださいだって。まじでお前は何様か」などと被告に告げ口したという。母親は1分以上沈黙した後、「言い訳になるかもしれませんが、次女の世話もありながら勇一郎の虐待を見ていて限界でした。とても後悔しています」と語った。

 心愛さんが小学校で父親からの暴力を訴えたアンケートのコピーを開示させるため、心愛さんに「お父さんに見せてもいいです」と書かせたことや、児童相談所の職員に渡すための「お父さんにたたかれたというのはうそです」という書面を書かせたことも証言した。勇一郎被告に「逆らうことができなかった」と述べた。

 一方、被告は初公判で日常的な虐待を否定し、起訴内容を一部否認している。母親への証人尋問は27日も行われる。

 

野田虐待死公判 心愛さん「毎日が地獄」 父との生活、母証言(2020年2月26日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待し死なせたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判公判が26日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。心愛さんの母(33)は、2017年7月に沖縄県から千葉県に引っ越した直後の生活について心愛さんから「『毎日が地獄だった』と言われた」と証言した。

 心愛さんと被告は先に野田市に転居し、母は同年9月ごろから同居。その間の生活について母が心愛さんに尋ねると「夜中パパに起こされたり立たされたりした。妹の世話をしろとも言われた」などと話したという。

 母は「助けてあげたくても勇一郎の監視、束縛が強く、どうすることもできなかった。心愛への虐待がもっとひどくなるとも思った」とした。

 心愛さんが同年11月に学校アンケートで被告からの暴力を訴え、児童相談所に一時保護されたことには「正直ほっとした。家では心愛を守ってあげられない。児相にいた方が安心だと思った」と語った。

 証人尋問は法廷と別室を映像と音声でつなぐビデオリンク方式で行われ、母は検察側の質問に時折涙ぐみながら答えた。被告について「第一印象は明るくてやさしかったが、同居後は暴言を吐いたり束縛したりするようになった」と述べた。

 母は、勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害ほう助罪に問われ、懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の判決が確定している。

 起訴状によると、勇一郎被告は19年1月22〜24日、心愛さんに食事や十分な睡眠を取らせず、浴室に立たせ続けたり冷水シャワーを掛けたりするなどして死亡させたとしている。18年12月〜19年1月には暴行で胸を骨折させたほか、心愛さんの母にも暴力を振るったなどとされる。

 

<野田女児虐待死>心愛さん「毎日地獄だった」 証人尋問で母 第3回公判(2020年2月26日配信『千葉日報』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が昨年1月、自宅浴室で死亡した虐待事件で、傷害致死などの罪に問われた父親、勇一郎被告(42)の裁判員裁判第3回公判が26日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。心愛さんの母親(33)の証人尋問が行われ、心愛さんから「毎日が地獄だった」と打ち明けられていたと証言した。

 母親は201710月上旬ごろ、心愛さんに同年夏に沖縄県から野田市に転居してきた後の勇一郎被告の実家での生活について聞いたという。心愛さんは「毎日が地獄だった。夜中にパパから起こされたり、立たされたりした」と話した。心愛さんは「結局、悪者にされた」とも答えたという。

 母親の証人尋問はビデオリンク方式で行われ、母親は別室で証言。法廷には音声が流された。

 母親の証人尋問は26日午後、27日も行われる。証人尋問は34日の第7回公判までで、児童相談所の職員らが出廷する予定となっている。公判は9日の第10回で結審。証人尋問終了後、46日に被告人質問が行われる。19日に判決が言い渡される見通し。

 今月21日の初公判で勇一郎被告は、傷害致死罪の成立は争わないとしながらも「シャワーで冷水を浴びせ続けるなどの暴行をしたことはない」などと起訴内容を一部否認した。

 起訴状によると、勇一郎被告はおととし1230日〜昨年13日ごろ、自宅で、心愛さんに暴行して胸骨骨折などのけがを負わせ、2224日には心愛さんに食事を与えず、シャワーで冷水を浴びせ、飢餓や強いストレス状態にさせて死なせたなどとされる。

 母親は勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害ほう助の罪に問われ、懲役26月、保護観察付き執行猶予5年の一審判決が確定。勇一郎被告は母親に対する暴行罪でも起訴されており、併せて審理される。

 

【野田小4虐待死、父親第3回公判詳報】LINEで同調「とても後悔」(2020年2月26日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第3回公判が26日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、心愛さんの母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定=の証人尋問が行われた。証人尋問は母親がいる別室と法廷を映像、音声でつなぐビデオリンク方式で実施された。主な内容は次の通り。

 【実家での心愛さん】

 母親 平成29年7月末、心愛は勇一郎と先に沖縄県から野田市に引っ越して実家で生活していた。私が野田に来てから実家での生活を聞くと「毎日地獄だったよ」と話した。心愛が同居していた勇一郎の妹に「パパに夜中に蹴られた」と訴えたが勇一郎は「心愛の言うことを信じるのか」と言い、結局心愛が悪者にされたと聞き、ショックだった。

 【いじめアンケート】

 母親 11月5日、自宅で心愛に「夜中にパパにたたかれる」と打ち明けられた。翌6日、心愛が学校から帰ると「今日、学校でパパのことをアンケートに書いた」と言っていた。7日に県柏児童相談所に一時保護されたが、家にいると心愛を守れないので、正直ほっとした。

 【児相職員宛ての手紙】

 母親 勇一郎は一時保護解除後も実家を訪ねる児相職員に不満を持っていた。30年2月24日、自宅で心愛に「お父さんにたたかれたというのはうそです」と児相職員宛てに書かせた。勇一郎は考えた文案を無料通信アプリ「LINE(ライン)」で私に送り、私も「了解。みーちゃんにちゃんと書かせるからね」と返信した。

 【あざ隠すために欠席】

 母親 7月ごろからほぼ毎日、勇一郎は心愛に長時間屈伸や正座をさせ、暴力もあったと思う。心愛の体のあざを隠すため、学校を休ませた。勇一郎は、あざは心愛が暴れてできたと言っていた。

 【死亡直前の年末年始】

 母親 勇一郎は心愛に対する嫌がらせで、経済的余裕はないのに、心愛以外の家族3人で31年年始に旅行を計画していた。だが実家の家族が心愛を残すことに反対した上、年末からの虐待で心愛を外に出せず、旅行は直前で中止になった。

 1月1日、勇一郎が心愛を虐待するのを止めようとしたが、私も暴力を受けた。警察に通報しようと家を出たが、自宅に残した心愛と次女が心配で通報せずに戻った。

 【LINEで加担】

 母親 7日に小学校の冬休みは終わったが、あざがあったので学校に行かせず、寝室に閉じ込めた。飲み物や甘いものをねだる心愛について、勇一郎にラインで「お前何様なんだよ。むかつくね」と送った。毎日のように心愛を虐待する勇一郎にストレスがたまり、心愛に向けてしまった。とても後悔している。

 

【野田小4虐待死、父親第2回公判詳報】「息子が虐待すると思わず」(2020年2月25日配信『産経新聞』)

 

 千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が昨年1月、自宅で死亡した虐待事件で、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判第2回公判が25日、千葉地裁(前田巌裁判長)であり、被告の妹と母親の証人尋問が行われた。供述調書と証言の主な内容は次の通り。

 

【沖縄から野田市へ】

 妹 平成29年7月末、兄と心愛、次女が沖縄県から野田市に来て、9月下旬まで実家で同居した。9月初めの朝、心愛が腰のあざを見せ、「パパに蹴られた」と言っていた。兄は「やっていない」と否定し、心愛の寝相が悪いせいにしていた。

 中旬ごろにも心愛が朝、泣いていたので事情を聴くと「パパに夜中に5時間立たされた」と言ったが、兄は否定していた。

 兄は心愛と毎日一緒に風呂に入り、癖っ毛をホットアイロンで伸ばしたり、転校先の小学校で心愛がする挨拶を考えてあげたりすることもあった。

 

【一時保護】

 母 心愛ちゃんが同11月7日、県柏児童相談所に一時保護されたと聞いてびっくりした。まさか自分の息子が虐待するなんて考えられなかった。勇一郎は「児相職員から犯人扱いされる」「心愛を怒ったことはあるが、殴りはしていない」と話していた。

 

【再び実家へ】

 妹 30年9月2日、心愛が「自宅アパートに戻りたくない」と泣いていると母から聞き、実家でしばらく預かることになった。心愛の首は白く粉が吹いたようになっており、顔に2カ所、腰とお尻に1カ所ずつあざがあった。髪の毛も頭頂部とこめかみの部分が抜けていた。心愛は髪の毛については「パパに引っ張られた」と話したが、あざについては言わなかった。

 これまで食が細かった心愛が、むさぼるように食べるようになった。「夏休み、アパートで2日間ママがご飯を作ってくれなかった。ここではたくさん食べないと、痩せちゃって心配かけるから」と言っていた。

 

【被告について】

 妹 兄は不器用で真面目。自分より地位の高い人には良い態度で接するが、低い人にはそうではない。

 

【心愛さんについて】

 母 心愛ちゃんもかわいいが、それ以上に勇一郎が大切でかわいかった。もしかしたら虐待ではないかもという甘い認識があった。心愛ちゃんに謝っても謝りきれない。

 

心愛さん叫ぶ動画「許せよ。家族に入れろ」法廷に流れる(2020年2月25日配信『朝日新聞』)

 

キャプチャ
沖縄県の保育所に通っていた頃の栗原心愛さん

 

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判は25日、千葉地裁で証人尋問などがあった。被告の携帯電話やパソコンから見つかったという動画が公開され、「苦しいよ。死んじゃいそうだよ」「許せよ。家族に入れろ」と叫ぶ心愛さんの声が法廷に流れた。
 「助けてママ、助けて。お願いママ」。2018730日午前540分から撮影された2731秒の動画には、心愛さんが被告から命じられた屈伸を繰り返し、泣いて助けを求める様子が映っていた。
 心愛さんは「すみません」と荒い息で何度も言う。被告は「屈伸やれよ」と言いつけ、直後に「パシッ」という音が2回続いた。この後、「お願い、トイレ行かせて」と懇願も。直後に撮影された写真には、汚物を手に持つ心愛さんの姿があった。検察側は被告がカメラ付き携帯電話で撮影した、と説明した。
 827日午前0時半ごろの動画では、廊下に立ち続け、「お願い、お願い、苦しいよ。死んじゃいそうだよ」と訴えている。夕方の動画では「ご飯を食べていない」と祖父母に伝えると泣きながら話す心愛さん。「(祖父母の家は)俺の家なんだから勝手に入るな」とやりとりする被告の声が流れた。
 被告が心愛さんを浴室に立たせ続けるなどしたとされる1915日ごろの動画では、被告が「全部お前のせい」などと言い、「嫌だー」と泣き叫ぶ心愛さんを浴室に引っ張っていく様子が記録されていた。この約20日後に心愛さんは死亡した。
 検察側が証拠品として提出したのは、187月〜191月に撮影された動画計20本約1時間50分や画像。傍聴席には映像や画像は示されず、音が流れた。
 一方、延べ約8カ月間、祖父母宅で心愛さんと一緒に暮らした被告の妹が出廷。検察側の質問に対し、妹は189月に心愛さんが祖父母宅に来た時について、「あざは顔に1センチ程度の薄い青色が二つ、腰と尻に3センチ程度が一つずつあった」と述べた。「頭頂部が少しはげ、左右のこめかみに10円玉くらいのはげがあった」とも証言。理由を尋ねると、「パパに(髪を)引っ張られたと答えた」と話した。
 弁護側の質問に対しては「(このころ被告は)心愛を私や母の部屋で寝かせてくれと頼んできたこともあった。ストレスや疲れがあったと思う」と話した。

 

「パパに蹴られた」心愛さん、引っ越し直後訴え 虐待死公判 被告の妹証言(2020年2月25日配信『東京新聞』)

 

千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待し死なせたとして、傷害致死などの罪に問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判第2回公判が25日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。勇一郎被告の妹が証人尋問で、心愛さんが2017年夏に沖縄県から千葉県に引っ越した直後に被告からの暴行を訴えていたと証言した。

 妹によると、被告や心愛さんと17年7月末〜9月に同居。この間、心愛さんから「パパに蹴られた」「夜中に5時間立たされた」と打ち明けられた。被告に問いただすと「やっていない」と否定したが、心愛さんの腰の辺りには、あざのようなものがあったという。

 18年9月には、被告とアパートで暮らしていた心愛さんから泣きながら祖母に電話があり、再び被告の実家で同居するようになった。顔や腰など4カ所にあざがあり、髪が円形に抜けていた部分もあった。心愛さんは「夏休みに2日間ご飯を作ってもらえなかった」と話した。

 妹は、心愛さんが自分で食べずにとっておいたお菓子をクリスマスにプレゼントしてくれた思い出を語り、「心愛を返してください」と訴えた。25日午後に心愛さんの祖母の証人尋問が行われる。

 21日の初公判で勇一郎被告は「娘にしてきたことはしつけの範囲を超え、深く後悔している」と謝罪。傷害致死罪を認めた一方、死亡に至る具体的な暴行内容については争う構えを示した。

 起訴状によると、勇一郎被告は2019年1月22〜24日、心愛さんに食事や十分な睡眠を取らせず、浴室に立たせ続けたり冷水シャワーを掛けたりするなどして死亡させたとしている。

 

「うわーん、うわーん」心愛さん号泣動画に女性裁判員が泣き出し一時休廷 そのとき父親は……(2020年2月23日配信『文春オンライン』)

 

「私がしてきたことはしつけの範囲を超えたものだと深く反省しております。みーちゃん、本当にごめんなさい」

 千葉県野田市で昨年1月、自宅のアパートの浴室で小学4年生だった栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待を受けて死亡した事件。心愛さんを虐待の末、死亡させたとして、傷害致死罪などに問われている父親の勇一郎被告(42)に対する裁判員裁判が221日、千葉地裁で始まった。

 検察官が1つ目の起訴状を読みあげ、前田巌裁判長に認否を聞かれると、「一言申し上げてよろしいでしょうか」と用意した紙を開いた。「私の気持ちです」。裁判長の許可を得て、書面を読み上げ始めた。

「娘のために真実を明らかにする」と涙したが……

「娘のためにできることは、この事件にしっかり向き合い、真実を明らかにすることだと思います。知りうる限りの事実をお話ししたいと思います」と涙ながらに反省の弁を述べた。だが、続いて「罪状認否ですが、暴行について加えたものではありません」と話し、当時小学3年生だった心愛さんが小学校のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています」と虐待を訴えた、201711月上旬の暴行については無罪を主張した。

 勇一郎被告は1711月以降、心愛さんが死亡した19124日まで、心愛さんに対する虐待5件と、妻(33)に対するDV(ドメスティック・バイオレンス)1件で起訴されている。それぞれ起訴状が読まれ、認否を問われたが、次々に虐待を否定した。

 181230日から1913日ごろ、心愛さんの両腕をつかんで引きずったり、両腕をひっぱり上げて離し、床に打ち付けたりし、心愛さんの顔に打撲や胸骨の骨折を負わせたとする虐待。勇一郎被告は「両腕を引きずったり、ひっぱり上げたりしたことは認めます。ですが、床に打ち付けて、顔面や胸部を圧迫・打撃していません。娘に顔面打撲や胸骨骨折を負わせたことは知りません」と大部分を否定した。

 心愛さんが死亡した原因とされる12224日の虐待については、十分な食事や睡眠を与えず、冷水のシャワーをかけたとされるが、「飢餓状態にし、強度のストレス状態にすることを構わないと考えたことはありません。また、暖房のない浴室で、冷水のシャワーをかけたことなどはしていません」としたうえで、「罪については争いません」と主張した。

検察は「日常的、継続的に虐待を受けた末に死亡した」

 検察側の冒頭陳述で、検察官は勇一郎被告の認否についてこうまとめた。「被告は起訴事実を概ね認めるが、心愛ちゃんを虐待した事実はないと主張しているが、心愛ちゃんは日常的、継続的に虐待を受けた末に死亡した」と裁判員に説明した。

 一方、弁護側は勇一郎被告の発言を補強。まず1711月の暴行については「していない」と主張。「長女(心愛さん)は寝相が悪く、寝ている間に被告人を叩いたり、蹴ったりすることがあった。被告人は布団の中に戻し、駄々をこね、泣きわめく長女をなだめていた」と説明し、アンケートについても「身に覚えがない」とした。

 心愛さんの死亡直前の19124日夜には、おもらししてしまった心愛さんに自身で掃除させようとしたところ「激しく抵抗したので風呂場に連れていき、シャワーで23秒間、おでこと髪の毛の境に当てた」と述べ、検察側の「長時間、口や鼻にシャワーの冷水をかけた」とする主張を否定した。「落ち着いたので、シャワーを戻そうと後ろを向いたとき、長女がドンと音を立て倒れこんだ」と話し、直接手をかけていないとした。

 弁護人が被告の父親としての立場を擁護して、「被告は幸せな家庭を築きたかった。最悪の結果を招いてしまったことに、後悔の念をいだいている。長女を含め、家族を愛していました」と言うと、眼鏡をはずし、顔を真っ赤にしてタオルで涙をぬぐった。

 午後は証拠調べが行われ、勇一郎被告の携帯電話やノートパソコンから見つかった心愛さんの画像や動画も提出された。その中のひとつで、17114日に自宅脱衣所で「うわーん、うわーん」と大きな声で泣き叫ぶ心愛さんが映った動画を5秒間、裁判員と裁判官に示された。女性裁判員は泣き出してしまい、一時休廷する場面もあった。被告はそれでも、表情を変えることなく、真顔でまっすぐ前を見たままだった。

反省の手紙には「もうしわけありませんでした。おてつだいします」

 心愛さんが書いたとみられる「反省の手紙」も証拠として提出された。「今日はもうしわけありませんでした。これからはおてつだいします。パパとママのいうことをききます」と始まる反省文が、自宅から押収されたという。勇一郎被告が心愛さんに書かせたとみられる。最後には、大きな字で「ほんとうにもうしわけありませんでした。みあ」と殴り書きされていた。

 虐待のほとんどを否定した勇一郎被告は、休憩などで裁判が中断し、入退場するたびに、傍聴人席や裁判官、検察官に深々礼をし、反省しているようなそぶりを見せたが、白々しく映ったことだろう。

 裁判は全11回の予定で、今月2627日には、勇一郎被告の虐待を一番近くで見ていた心愛さんの母親(33)も出廷し、証言する。母親は昨年、被告の虐待を止めなかったとして、傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪判決が確定している。また、被告人質問は346日の3日間。9日に結審し、19日に判決が言い渡される予定だ。

 

【野田小4虐待死、父親初公判詳報】(1)「しつけ超えていた」涙声で謝罪も…罪状の事実関係は細かく認否(2020年2月21日配信『産経新聞』)

 

小4女児虐待死事件で、栗原勇一郎被告の裁判員裁判初公判が開かれる千葉地裁の法廷=21日午前

 

 《千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が自宅浴室で死亡した虐待事件で、傷害致死罪などに問われた父、勇一郎被告(42)の裁判員裁判初公判が21日、千葉地裁で始まった》

 《事件をめぐっては、心愛さんが平成29年11月、学校のアンケートで「お父さんにぼう力を受けています」と書き、児童相談所が一時保護したが約1カ月半後に解除していたことが判明。アンケートの写しを野田市教育委員会が被告に渡していたことも発覚するなど、一連の行政対応も問題となった》

 《心愛さんの母(33)は勇一郎被告の暴行を制止しなかったとして傷害幇助罪に問われ、懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の判決が確定している》

 《千葉地裁は勇一郎被告の審理について、3月9日の結審までに公判を10回開くことを決めている。被告人質問は3月4〜6日の3日間、判決は19日の予定。勇一郎被告が、死亡に至る経緯や暴行の状況をどのように語るかが注目される》 《午前11時、2人の刑務官に付き添われ勇一郎被告が入廷した。勇一郎被告は開いたままのドアを背に立ち止まり、深く頭を下げた。先を歩き始めていた刑務官が、勇一郎被告が3秒程度、礼をし続けていることに気づき振り返る。勇一郎被告は自席に向かう際も歩きながら2度頭を下げ、着席時にも深く礼。黒いスーツに青いネクタイ。黒縁眼鏡をかけ、丸刈りがそのまま伸びたような髪形だった》

 裁判長「被告人は証言台の前に立ってください」

 《勇一郎被告が無言で立ち上がり、傍聴席に頭を下げる。歩み出て検察官、裁判員らにも頭を下げて手を前に組んだ》

 裁判長「名前を何といいますか」

 勇一郎被告「栗原勇一郎と申します」

 裁判長「仕事は何をしていますか」

 勇一郎被告「無職です」 《勇一郎被告はぼそぼそと小さな声で答えていった》

 裁判長「検察官に起訴状を朗読してもらいますが、起訴事実が6件にわたっていますのでその都度、認否を確認します」

《勇一郎被告は傷害、傷害致死、2件の暴行、2件の強要の罪に問われている。通常、まとめて罪状認否を行うことが多いが、勇一郎被告が詳細な認否をする方針のためなのか、1件ずつ行うようだ》

 《検察官が1件目の起訴状を朗読する。まずは、29年11月に心愛さんを殴ったとする暴行罪についてだ》

 裁判長「やっていないとか違っている点はありますか」

 《勇一郎被告が震える手で、手元に持っていた紙をめくった》

 勇一郎被告「罪状認否に臨むに当たり、ひとこと申し上げてもいいですか」

 裁判長「全体について用意してきたのですか」

 《裁判長が被告と弁護人に問いかける》

 勇一郎被告「私の気持ちです」

 裁判長「ではどうぞ」

 《勇一郎被告が手元の紙に視線を落としながら小さな声で話し始めた》

 勇一郎被告「ありがとうございます。事件直後から今日まで娘にしたことが、しつけを超えていたと反省してきました…」

 《ボソボソとしゃべる勇一郎被告の言葉は、はっきりと聞き取りづらい。心愛さんのことを「心愛ちゃん」と呼び、みんなで成長を見ることを楽しみにしていたのに、私が将来を奪ってしまった−という趣旨のことを述べているようだ》

 勇一郎被告「心愛ちゃんに謝ることしかできません。本当にごめんなさい。心から反省し、事件直後から(取り調べなどで)お話ししてきました。『悪いことをしたと思っていない』と話したことは、天地神明に誓ってありません」

 《勇一郎被告は手を震わせながら発言を続ける》

 「関係するすべての方々に申し訳ないと思っています。娘のためにできることは、推測や想像ではなく、向き合って事実を明らかにすることだと思います。私は知っている限りのことをお話ししたいと思います。罪状認否については、暴力はしていません」

 《涙声で話す勇一郎被告だが、暴行罪については否認した。続いて2件目の起訴状に移る。30年7月、心愛さんに大便を持たせ、その様子を撮影したという強要罪についてだ》

勇一郎被告「間違いありません」

 《およそ父親とは思えない行為が続く。3件目は30年12月から31年1月、心愛さんの腕をつかんで床に打ち付け、顔や胸を圧迫するなどして1カ月の顔面打撲や胸骨骨折を負わせた傷害罪だ》

 勇一郎被告「両腕を引っ張り上げたことは認めますが、手を離して床に打ち付けたこと、圧迫や暴行はしていません。娘に1カ月のけがを負わせたことは知りません」

 《4件目は妻への暴行罪。検察官は、勇一郎被告が31年1月1日ごろ、妻の胸ぐらをつかんで顔を殴り、引き倒して馬乗りになった上、立ち上がった妻のももを蹴ったとする起訴状を読み上げる》

 裁判長「違っているところはありますか」

 栗原被告「顔面を平手で殴ったこと、馬乗りになったことは認めますが、胸ぐらをつかんだこと、ももをけることはしていません。罪については争いません」

 《はなをすすり上げ、涙をこらえるように答える勇一郎被告。全体は争わないが、一部の行為については認めないという主張だ》

 《5件目は、心愛さんに対する別の強要罪。検察官は31年1月5日ごろ、心愛さんが勇一郎被告を恐れていたことを利用し、「立てよ、行けよ。何やってんだよ。風呂場行けよ。行けっ」などと嫌がる心愛さんの服をつかんで廊下に出し、浴室に行かせて脱衣所に立たせ続けたと指摘する》

 裁判長「今の起訴内容に違っていることはありますか」

 勇一郎被告「間違いありません」

 《こちらの強要罪については認めた勇一郎被告。罪状認否は、最後に事件の核心となる、心愛さんに対する傷害致死罪に移る》

 《検察官は、勇一郎被告が31年1月22〜24日、飢餓状態やストレスで衰弱させてもかまわないと考え、心愛さんに食事を与えず、リビングや浴室に立たせ続けたり、肌着のみで浴室に放置するなどして十分な睡眠をとらせなかったとした。また、24日には水にぬれた肌着だけを着た心愛さんに冷水を浴びせ、リビングでうつぶせにして背中に座り、両足をつかんで身体をそらせるなどし、夜には寝室に入ろうとした心愛さんを浴室に連れ込み、シャワーで顔面に冷水を浴びせて、一連の行為による飢餓状態やストレスなどで死亡させた、と説明した》

裁判長「違っているところはありますか」

 《これに対し、勇一郎被告は1つずつ事実関係を否定していく》

 栗原被告「娘を飢餓状態にするとともにストレスを与えて畏怖させて強度に衰弱させても構わないと考えたことは一度もありません。妻に指示して食事をとらせないようにしたことは一度もありません。肌着のみで浴室に放置し、睡眠をとらせなかったこと、シャワーで冷水を浴びせたこと、リビングの床にうつぶせた背中に乗り、体を反らせたこと、シャワーで冷水を浴びせかけたことは、していません。そのほかのことについては認めます。罪については、争いません」

 《メモを見ながら早口で主張を終えた勇一郎被告。裁判長に自席に戻るように促されると、栗原被告は居並ぶ裁判官や裁判員、検察官に深く礼をして自席に戻った》

 

【野田小4虐待死、父親初公判詳報】(2)検察側「いかにひどくむごいか、おのずと明らかになる」(2020年2月21日配信『産経新聞』)

 

千葉小4女児虐待死事件の父親の初公判で、傍聴券を求めて並ぶ人たち=21日午前、千葉地裁前

 

 《罪状認否では6件の起訴内容について1件ずつ確認。勇一郎被告は「罪については争いません」としながらも、行為や経緯については一つ一つ、細かく否認を主張した。後半は続いて検察側の冒頭陳述に移る》

 《初めに、検察官は事件に至るまでの流れを説明していく。勇一郎被告は、妻と別居後に一度離婚しており、心愛さんとは約8年間一緒に暮らしていなかったという》

 検察官「再婚して間もなく次女が生まれると、被告人は次女に愛情を注ぐ一方、自分と離れて生活し、成長していた心愛さんをうとましく思うようになりました。自分の思い通りにならないと気が済まず、頑固で自己主張が強い被告人が、育児のストレスのはけ口として、心愛さんに繰り返し虐待をして、心愛さんを死なせたという事件です」

 《検察官は、勇一郎被告の家族や親族について説明する。勇一郎被告は妻と心愛さん、次女の4人家族。検察官によると、妻は傷害幇助罪で、既に懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の罪が確定しており、今後の法廷で証人として出廷予定という。妻の実家は沖縄県にあるが、事件当時は疎遠状態。勇一郎被告の実家は野田市内にあり、心愛さんが一時生活することもあった》

 検察官「平成20年、被告人は妻と結婚し、心愛さんが生まれます。しかし間もなく別居するようになり、23年に離婚が成立します。28年には妻の側から連絡を取ったことがきっかけでまた同居するようになりました」

 検察官「29年に再婚し、次女が生まれました。妻を沖縄に残し、心愛さんと次女を連れて野田市に転居しました。虐待はこの頃から始まりました」

 《自席でじっと検察官の冒頭陳述を聞く勇一郎被告。背筋をピンと伸ばし、身じろぎもしなかったが、家族のこれまでの歴史について話が及ぶと何度もハンカチで涙をぬぐい、はなをすすり上げた》

 検察官「育児のストレスのはけ口として虐待を繰り返し、妻を呼び寄せて被告人の実家からアパートで4人暮らしを始めた後も続きました。29年11月6日、心愛さんの通う小学校で、いじめに関するアンケートがありました。心愛さんはそこに『お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか』と書き、虐待が発覚します」

 《話は事件の内容に移る。虐待が発覚した後、心愛さんは柏児童相談所に一時保護された。話を聞く勇一郎被告は視線を上げ、天井のあたりを見つめている。涙をこらえるようにも見える》

 検察官「一時保護は解除されましたが、条件は心愛さんを被告人の実家で生活させ、当面、被告人と会わせないようにすることでした。しかし被告人は、心愛さんが嘘をついて一時保護されたことにしようとしました。自分が悪者になるのが嫌だったのです。被告人は妻に指示をして、『お父さんにたたかれたというのはうそです』という虚偽の文書を作成させました」

 検察官「児童相談所からは同居の許可が出ていないにも関わらず、実家から心愛さんを連れ戻し、4人で生活するようになりました。虐待は一時止みましたが、遅くとも30年7月ごろには虐待は再開しました。30年7月10日ごろには、心愛さんに大便を持たせた様子を写真で撮影する事件が起きています」

 《話は、心愛さんが勇一郎被告により、平成30年1月の新学期から学校を休まされたことに話が及ぶ》

 検察官「傷害を負わせ、発覚を恐れて休ませたのに、心愛さんに責任を転嫁した。虐待を続け、アパートに閉じ込めた」

 《勇一郎被告は、まっすぐ前を見つめたまま検察官の話に耳を傾けている》

 検察官「日常的な虐待があり、食事を与えなかったりした。エビ反りにするプロレス技をかけるここともあった。心愛さんに極度のストレスがかかり、溺水によって命を落とした」

 《検察官はここで、事件についての勇一郎被告の主張や1つ1つの事件についての争点を整理していく》

 《心愛さんは29年11月、学校のアンケートで虐待を訴え、児童相談所が一時保護。勇一郎被告が暴行を加えていたとされる》

検察官「被告人と弁護人は(この事件について)唯一、無罪を主張している。心愛ちゃんがアンケートに書いた内容はすべてうそであると。アンケートが嘘かどうかが焦点です」

 《続いて29年7月、心愛さんに大便を持たせ、撮影を強要した事件》

 検察官「被告人は心愛ちゃんが自ら大便を手に取り、『撮りたければ撮れよ』と言ったので撮影したと言っている。自ら持ったという主張はあり得ない」

 《続いて妻への暴行事件。勇一郎被告は罪状認否で平手打ちをしたことなどは認めたが、足を蹴るなどの暴行は否定した》

 検察官「被告人は妻による心愛ちゃんへの暴行を止めるためにやったことと主張しているが、妻が被告人の暴行を止めようとしたものだ」

 《勇一郎被告は白いハンカチを取り出し、涙をぬぐう》

 《傷害致死事件について、勇一郎被告は罪状認否で、「罪は争わない」としたものの、衰弱させてもかまわないと考えて食事を与えなかったことや冷水を浴びせ続けたことは否認している。検察官は、弁護人が「暴れる心愛ちゃんを落ち着かせようとして死なせてしまったと主張している」と説明する》

 検察官「心愛ちゃんがどのような暴行を受けて衰弱したかが争点だ。苛烈な虐待で心愛ちゃんを死亡させた。検察官は継続的な虐待があったとみている。今後、いかにひどくむごいものかは、おのずと明らかになっていく」

 《検察官の冒頭陳述が終わり、弁護側の主張に移る。罪状認否では「罪は争わない」としている勇一郎被告と「同意見」としてきた弁護人だが、どんな主張を展開するのか》

 

【野田小4虐待死、父親初公判詳報】(3)「しつけ、教育のためだった」弁護人が主張(2020年2月21日配信『産経新聞』)

 

 《千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を虐待して死なせたとして、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の初公判は、弁護側の冒頭陳述に移った》

 弁護人「被告人は逮捕以来、責任の重大性を痛感し、反省を重ねています」

 《ここまで勇一郎被告は「罪は争わない」などとしつつ、一部の暴行については反論してきた。弁護人は平成30年から31年にかけての年末年始、心愛さんに1カ月のけがをさせた傷害事件に言及する》

 弁護人「(心愛さんが)宿題を途中で投げ出し、いつもより暴れたため、静止できなかった。床にたたきつけたり、暴行したりしてはいない」

 《さらに妻への暴行。被告自身は「罪は争わない」としているが、弁護人は妻の非を主張した》

 弁護人「(妻は)精神的に不安定で、当たり散らすことがあった。こたつやちゃぶ台、いすを蹴り飛ばしたりしたこともある」

 《心愛さんを浴槽室などに立たせた強要事件については「生活態度について、反省を促すためだった」とした弁護人。続けて傷害致死については「長女を死なせたことは、認める」と切り出し、こう続けた》

 弁護人「そのころインフルエンザで出勤停止になり、31年1月22日夜に(心愛さんが)食事をとったかどうか認識はない。妻から聞かれた記憶もない。長女に屈伸や駆け足をさせたが、長時間はさせていません」

 《起訴内容によると、心愛さんの死亡直前、勇一郎被告は心愛さんを浴室に連れ込み、シャワーで冷水を浴びせている》

 弁護人「長女が寝転んで暴れたので抑えようとしただけです。寝室でお漏らしして、掃除させようとしたが、暴れてお漏らしした上に寝転んだので、浴室へ連れていった。抵抗するので、落ち着かせるためシャワーを浴びせたが、10分にも満たず、2〜3秒だった。目や鼻、口など、顔面にはかけていません。落ち着いたと思い、シャワーをやめて戻したら、長女が壁を背に崩れ落ちた。呼びかけたが反応がないので、シャワーをかけたりした。それでも動かないので、110番通報した」

 《弁護側が語る心愛さんの最期の様子からは、冷水をかけられ、床に崩れ落ちた心愛さんの無念に思いをいたす様子はうかがえない。弁護人は、刑を決めるにあたっての「ポイント」を説明し始める》

 弁護人「勇一郎さんは長女の出産から1年は会っていない。妻は長女を出産後、育児ノイローゼになり、実家に帰った。そのため、全く妻や子供と会えなくなった。その後、妻から連絡があり、8年ぶりに妻と長女と再会しました。再び交際が始まり、再婚。妻は双極性傷害で、病院にも付き合うなどしました」

弁護人「8年間家族と会えませんでしたが、思い描く家族像がありました。日中は送り迎えをするなど面倒を見ていました。1人で長女を見ることも増え、注意すべきことは注意しなければならないし、厳しく注意することもありましたが、虐待行為はしていません。家族を愛し、積極的に家事や育児を行っていました」

 《弁護人が事件までの家族の様子を語る。罪状認否の冒頭で「しつけを超えていたと反省してきました」と述べた勇一郎被告。思い描く家族像とは、どんなものだったのか。心愛さんへの行為は虐待ではなく、注意だったというのだろうか。弁護人は、心愛さんを一時保護した柏児童相談所についても、勇一郎被告の思いを文字通り代弁する》

 弁護人「身に覚えのない児相による一時保護で、児相に対し、釈然としない思いがあり、不信感がありました。家族を守らなければならない、ただ幸せな家庭を築きたいという思いでした」

 弁護人「最悪な結果となり、言葉にならないほど後悔しています。家族を愛し、幸せになるために、どうすればいいか常に考えていました。きっちり決めないと気が済まない性格で、決めたことは最後までやり通さないと気が済まない。あくまで長女の教育のためでした。日常的に虐待があったわけではありませんでした」

 《しつけだった、教育のためだった、と繰り返す弁護人。裁判員にはどう聞こえただろうか。ここで午前の審理は終わり、休廷に入った》

 

【野田小4虐待死、父親初公判詳報】(4)頭頂部の毛が薄く…「認めたくない気持ち半分、通報に抵抗が半分」(2020年2月21日配信『産経新聞』)

 

 《千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が自宅浴室で死亡した虐待事件をめぐり、傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)への初公判。午後に再開された公判では、検察官による証拠説明が行われた》

 《勇一郎被告方の自宅の間取りなど詳細な説明があった後、心愛さんが死亡した自宅浴室の状況などについて検察官が説明する》

 検察官「血液予備検査では浴室や脱衣所、廊下から多数の陽性反応があった」

 《犯行時間帯の推定水温や室温が示された後、心愛ちゃんの発見当時の遺体の状況が図面でモニターに映し出された。両手はハの字に広がり、ひざは曲がって倒れていた。着衣はぬれ、Tシャツには血液の陽性反応があった》

 《勇一郎被告は、口を真一文字に結び、モニターをじっと見つめている》

 検察官「DNA鑑定で心愛さんと一致しました」

 《続いて検察側は、今回の事件に関連し勇一郎被告方から押収した数々の文書を、法廷のモニターに映し出した》

 《心愛さんが平成29年11月、通っていた小学校で実施されたアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と書き、柏児童相談所に一時保護された。勇一郎被告はその後、小学校を管轄する野田市教育委員会に「児相に通報したのはなぜか、回答せよ」などと問いただす文書を送付。圧力に抗しきれなかった野田市教委がアンケートの写しを勇一郎被告に渡しており、批判を集めた》

《勇一郎被告の自宅からは、児相に送っていたみられる「一時保護した後の心愛の生活を把握しているのか回答せよ」「心愛や家族、親族の人生がめちゃくちゃになったら誰が責任を取るのか」といった文書のほか、学校側が心愛さんにいアンケートを父親である勇一郎被告に見せて良いか問う「同意書」というタイトルの文書も見つかった》

 《文書には心愛さんが書いたとみられる手書きの文言が残っている。検察官は、心愛さんが書いたとされる文言を読み上げた》

 検察官「反省の手紙。今日はもうしわけありませんでした。これからはおてつだいします。パパとママのいうことをききます。ほんとうにもうしわけありませんでした。みあ」

 《書いた時期や経緯は不明だが、叱られた心愛さんが書かされたものとみられる。子供らしく、字は斜めに傾き、ほとんどがひらがなで書かれていた》

 《休廷を挟み、検察官は勇一郎被告のパソコンや携帯電話の中身をモニターに映し出し、説明を始めた。》

 検察官「11月8日に撮影された動画の解析結果です。心愛さんが52秒間、終始大泣きしています。この動画の15〜20秒の5秒間を見ていただきます。刺激が強いが、(心愛さんが)置かれた状況を見てほしいと思います」

 《「アーッ」という甲高い声が法廷内に響き渡る。傍聴席からは動画そのものを見ることはできないが、心愛さんの泣き声とみられる。動画が終わると、検察官は淡々と次の説明に移る》

 《携帯電話に残っていたとみられる動画をモニターに映し出し、口頭での説明を交えながら、心愛さんが置かれていた異常な状況を説明しようとする検察官。次第に、裁判員の1人が目を赤くし始め、裁判長の配慮で一時休廷となった》

 《再開時刻になり、裁判長が法廷に戻る。検察側はほかにも心愛さんの画像など2件を示す予定だったとみられるが、裁判長が2件は飛ばし別の証拠を説明することを決め、審理が再開された》

検察官が、勇一郎被告の父の供述調書を読み上げる。父の家では、心愛さんが児童相談所に保護された後、心愛さんを一時預かっていた》

 検察官「心愛の性格は穏やかで優しく、周りに気遣いができて素直でした。私にとってはかわいい孫でした」

 《続けて心愛さんの母について言及。勇一郎被告から心愛さんとその妹に対して育児放棄のような状態だと聞いていたため、勇一郎被告の妻と認めず、自宅に入れたことがなかったと説明。会話もなかったという》

 検察官「児童相談所が心愛を保護しましたが、勇一郎から児相のやったことは誘拐みたいなものだと聞いていました。自宅での面談で勇一郎は『保護は納得いかない。法的根拠はあるのか』『いつまでこの状況がつづくのか』と職員に話していました。30年8月に地域のお祭りに心愛と行ったときは楽しそうでしたが、(心愛さんの)頭頂部の髪が薄くなっており、ストレスがあるのかなと思いました」

 《後に再び父の家で心愛さんを預かることになったという》

 検察官「妻や長女(勇一郎被告の妹)から、心愛の体にいくつかあざがあったと聞きました。長女は『家族だろうが何だろうが通報するべき』と言っていました。しかし、私は勇一郎が虐待をしていると認めたくない気持ちが半分、仮にそうでも息子を通報することに抵抗があったのが半分。心愛を預かっていれば大丈夫だろうと思い、通報しませんでした。しかしこの時に厳しい心をもって通報すべきでした」

 《父親は、勇一郎被告の妹の訴えより、息子を信じる気持ちを優先したという》

 検察官「心愛は優しく、誕生日も一生懸命家族をお祝いして、長女(=勇一郎被告の妹)を実の母のように慕っていました。『じいじ(自分)が叱るのは怖くない?』と聞いたことがありましたが『怖くないよ。じいじに言われるのは仕方ない』と言っていました」

 《結局、心愛さんは勇一郎被告のもとに戻されてしまった。勇一郎被告からは、心愛さんは「元気」と聞いていたという》

検察官「たった10歳で、いろいろな可能性があるはずでした。小さな命を救えず後悔しています。勇一郎がまさかここまでひどいことをすると思っていませんでした。心愛に申し訳ないです。勇一郎は息子ですが人間として許せません。できればもう縁を切りたいです。心愛が成仏するためにも、残された家族のためにも勇一郎は知っていることを話し、処罰されるべきと考えます」

 《ほかに複数の供述調書が朗読され、この日は閉廷。心愛さんの写真や動画を見てショックを受けた裁判員1人は、別の補充裁判員と交代した。赤くなった目を時折しばたたかせながら検察官の話を聞いていた勇一郎被告は、厳しい表情で静かに退廷した》=おわり

 

小4女児虐待死 父親 シャワーの暴行否定 起訴内容の一部否認(2020年2月21日配信『NHKニュース』)

 

千葉県野田市で小学4年生の女の子に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死などの罪に問われている父親の初公判が千葉地方裁判所で開かれ、父親は「シャワーを顔に浴びせ続ける暴行はしていない」などと述べて、起訴された内容の一部を否認しました。

 

 

去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(当時10)が自宅の浴室で死亡しているのが見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が冷水のシャワーを顔に浴びせ続ける暴行を加えて死亡させたとして傷害致死などの罪に問われています。
 21日、千葉地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判で、被告は傷害致死の罪について「妻に指示して食事を与えさせないようにしたことはなく、シャワーを顔に浴びせ続ける暴行もしていません」と述べ、起訴された内容の一部を否認しました。そのうえで、「罪については争いません」と述べました。
 また被告は「しつけの範囲を超えたものと深く後悔してきました。未来の心愛ちゃんを見ることが楽しみだったが、みずから見れなくしてしまった。本当にごめんなさい」と述べました。

 

 

続いて行われた冒頭陳述で検察は「被告は妻と離婚後、8年間、心愛さんと離れて暮らしていた。妻と復縁後に次女が生まれると次女をかわいがる一方で心愛さんを疎ましく感じるようになり、ストレスがたまり気に入らないことがあると虐待するようになった。被告人は行為の一部については認めているが、心愛さんが小学校のアンケートで訴えた暴行の内容についても認めることなく、心愛さんのうそだと主張している」などと説明しました。
 一方、被告の弁護士は傷害致死の罪について「心愛さんが寝転がったり暴れたりするのを止めようとしていた。お漏らしをしたため浴室に連れて行ってシャワーは2秒から3秒、3回ほどかけたが顔に直接かけてもいない」と述べました。
 そのうえで「身に覚えのないことで児童相談所の介入を受けた。あくまでも教育であると考え、結果、いきすぎてしまった。日常的に虐待を行っていたわけではありません」と主張しました。
 判決は来月19日に言い渡される予定です。
 
この事件で、被告の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われた33歳の母親は懲役2年6か月、保護観察のついた執行猶予5年の判決が言い渡され確定しています。

 

最初に被告が発言

勇一郎被告は開廷する3分前に、白のワイシャツに青いネクタイ、黒のスーツ姿で法廷に入りました。

白髪交じりの短髪で黒いめがねをかけ、背筋を伸ばしてしっかりとした足取りでした。
証言台に向かう際には傍聴席や検察官、裁判官や裁判員に向かってそれぞれ一礼しました。裁判長から名前や住所を尋ねられると小さな声で答えていました。
その後、勇一郎被告は「罪状認否にのぞむにあたりひと言申し上げてよろしいでしょうか」と発言を求め、「私は事件発生直後からこんにちまでしつけの範囲を超えたものと深く後悔してきました。未来の心愛ちゃんを見ることが楽しみだったが、みずから見れなくしてしまった。心愛ちゃんには謝ることしかできない。心愛ちゃん本当にごめんなさい。心から反省しその気持ちを話してきました。『しつけのつもりだから悪いことをしたと思っていない』と思ったことはありません。自分の両親や親族や関係するすべてのかたに申し訳ありませんでした」と述べて一礼しました。
続けて「私が娘のためにできることは推測や先入観ではなく、事件にしっかり向き合い事実による真実を明らかにすることだと思っています。そのために知りうる事実をお話ししたいと思います。ありがとうございました」と述べました。

 

6つの罪の認否は

勇一郎被告は6つの罪で起訴されていて、裁判長はそれぞれの罪について事件が起きた順番に被告の意見を聞きました。

(1心愛さんへの暴行罪)
平成2911月の心愛さんへの暴行の罪について被告は「手で殴るなどの暴行を加えたわけではありません」と述べて無罪を主張しました。

(2心愛さんへの強要罪)
また、平成30年7月の心愛さんに対する強要の罪については被告は「間違いありません」と起訴された内容を認めました。被告の弁護士は事件に至る経緯など一部について争いがあると主張しました。

(3心愛さんへの傷害罪)
平成30年の年末から去年の年始にかけての心愛さんへの傷害の罪について、被告は「体を両手でつかんで引きずったこと、両腕をつかんで引っ張りあげたことは認めるが、それを離して床に打ちつけさせたこと、顔や胸を圧迫したり打撃したりするなどの暴行はしていません。娘に1か月の顔面打撲、および胸の骨の骨折の傷害をおわせることはしていません」と述べました。被告の弁護士は暴行罪にとどまると主張しました。

(4妻への暴行罪)
去年1月の妻に対する暴行の罪については被告は起訴された内容の一部について否認したものの、「罪については争いません」と述べました。被告の弁護士は暴行に至る経緯など一部について争いがあるとしています。

(5心愛さんへの強要罪)
去年1月に心愛さんを浴室や脱衣場に立たせ続けた強要の罪については被告は「間違いありません」と述べて認めました。被告の弁護士は事件に至る経緯など一部について争いがあるとしています。

(6心愛さんへの傷害致死罪)
そして心愛さんを死亡させた去年1月の傷害致死の罪については、被告は「娘を飢餓状態にさせ、また、強度のストレスを与え衰弱させてもかまわないと思ったことは一度もありません。妻に指示して食事を与えないということは一度もありません。肌着のみで浴室に放置し睡眠をとらせずリビングで体を反らせたこと、シャワーで冷水を顔面に浴びせ続けたことなどの暴行はしていません」などと述べ、起訴された内容の一部を否認しました。そのうえで「そのほかについては認めます。罪については争いません」と述べました。
 その後、冒頭陳述で検察官が裁判員に向かって「この事件がいかにむごいものかおのずとわかると思います。被告が反省しているかわかると思います」などと呼びかけたあとには、めがねをはずしてハンカチで両目を拭うようなしぐさをしていました。

 

傍聴の男性「謝罪 心に響かず」

裁判を傍聴した千葉県鎌ケ谷市の50代の男性は「被告の表情を見ていたが、とても冷静でどうやって自分を守ろうかどうすれば自分に有利になるかと考えているような印象を持ちました。心愛さんへの謝罪の言葉はありましたが、心に響きませんでした。被告の心の中がまだわからないので、偽りなく真摯に向き合ってもらいたいです。心の叫びを聞きたかったです」と話していました。

 

江川紹子さん「心愛さんの人格否定 いまも虐待続いているよう」

今回の事件で行政の対応を検証する千葉県野田市の第三者委員会の委員として事件を見つめてきた、ジャーナリストの江川紹子さんは「『傷害致死の罪については争わない』と言ったものの自分が少しやり過ぎたといったような主張で、なぜ無罪主張ではないのか分からない内容だった。心愛さんがアンケートに書いた暴行事件についても『心愛さんのうそだ』と主張しており、彼女の人格を否定するようなものです。彼女が暴れるので取り押さえるためだったなどと亡くなって何も言えない子どもをうそつき扱いして、いまもなお虐待が続いているように感じました」と話しました。
 そのうえで「後悔していると被告は言いましたが、後悔と反省は違う。虐待したとされる動画が流されて彼女の泣き叫ぶ声が聞こえても顔色ひとつ変わらなかった」と指摘しました。
 そして「今後、被告の母親らが証言台に立つ予定になっているので被告の成育歴についても明らかにしてほしい。また、妻の証言からDVの影響でかなり支配下にあったということなので、自分の記憶や気持ちも整理して家庭の中でどんな暴力があって逆らえなかったのか改めてきちんと証言して欲しい」と話していました。

 

傍聴席求め大勢の人が列

傍聴席求め大勢の人が列

 

裁判を傍聴しようと、千葉地裁の周りには午前8時半ごろから大勢の人が列を作りました。
裁判所によりますと、用意された一般の傍聴席63席に対して434人が傍聴を希望し、抽せんの倍率はおよそ6.9倍だったということです。

このうち千葉県茂原市の75歳の女性は「小学生の孫が3人いて、ニュースを見るたびに悲しくつらい思いになったので、傍聴して真相を知りたいと思い並びました」と話していました。
千葉県印西市の45歳の女性は「娘が心愛ちゃんと同い年なので救えなかったことへの怒りが込み上げてきました。事件の経緯と真相が知りたいです」と話していました。
事件が起きた千葉県野田市から来たという60代の女性は「自分の住む野田市で事件が起きて、二度とあってはならないと思う。ふだん、子育て支援を行っているが裁判を傍聴して支援にいかしていきたい」と話していました。
 また、千葉県柏市から来た60代の女性は「勇一郎被告が自分のしたことが虐待だと認識しているのか知りたいです。ふだん中高生などにDVについて教育をしているので、この裁判を見て、教育や支援の在り方を考えていきたい」と話していました。

 

暴力、なぜ止められず 野田虐待死 父初公判 どう喝に行政屈服(2020年2月21日配信『東京新聞』)

 

 「本当にごめんなさい」。栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=を暴行して死亡させたとされる父親勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=は21日に千葉地裁で始まった裁判員裁判で、涙ながらに亡き娘に謝罪した。虐待はなぜエスカレートしていったのか。威圧的な態度で介入を拒んだ勇一郎被告に行政はどう対峙(たいじ)すべきだったのか。「なぜ」の答えを求め、法廷前には長い列ができた。

 勇一郎被告の職場での評判は悪くない。穏やかな人柄で信頼も厚かった。

 「いつもニコニコして真面目で勤勉。感情の浮き沈みがなく、穏やかな人」。勇一郎被告の職場の元同僚はこう振り返った。運動会の話を楽しそうにしたこともあり、心愛さんのこともたびたび話題にしていた。「子育てに熱心なイクメンのイメージしかない」

 だが、児童相談所や小学校、野田市教育委員会には威圧的に要求を繰り返した。被告に屈服した行政は心愛さんを守ることができなかった。

 アンケートで父親の暴力を訴えた心愛さんを、県柏児童相談所は2017年11月に一時保護。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の状態と診断されたが、翌月には父方の祖父母宅で引き取ることを条件に保護を解除した。一時保護解除後、勇一郎被告は心愛さんが通っていた小学校を訪れ、「家族を引き離された気持ちが分からないのか」とどう喝を交えて抗議した。

 勇一郎被告は、ボイスレコーダーを持参し、紙に書いた質問事項を読み上げた。「一時保護の法的根拠は何か」。野田市の検証委員会報告書によると、この面談に立ち会った教諭は「言葉では表現できないほどの強い恐怖を感じた」と言う。

 3日後、勇一郎被告は野田市教委を訪れ、心愛さんが書いたという「同意書」を示しながら、アンケートを渡すよう要求した。市教委の担当者は「無理に書かされたものだろう」と感じたが、アンケートのコピーを渡した。

 心愛さんは18年3月、自宅に戻った。七月に次女の健診で市役所を訪れた勇一郎被告のイクメンアピールに、母子課の担当者は不自然さを覚えたというが、児相職員などが心愛さんを訪ねることはなかった。

 県の第三者委員会は昨年11月の検証報告書で「救える命だった」と厳しく批判している。

◆「心愛ちゃんに謝るしか」 被告、法廷で涙こぼす

 白髪交じりの丸刈り、上下黒のスーツに青のネクタイ姿の勇一郎被告は、深々と一礼して法廷に入った。

 「一言、申し上げてよろしいでしょうか」。冒頭、証言台に立った被告は事前に用意した封筒から紙を取り出すと、涙をこぼしながら一気に読み始めた。

 「心愛ちゃんの未来を見るのを楽しみにしていた私が自ら、見られなくしてしまった。心愛ちゃんには謝ることしかできない」。その後、検察官が起訴状を朗読している間も、何度もハンカチで目をぬぐった。

 6人の裁判員たちは勇一郎被告をじっと見つめながら、時折、検察側や弁護側が用意したメモ用紙に線を引くなどしていた。

 千葉地裁前には、63席の一般傍聴席に対し、434人が長い行列をつくった。

 中学生の孫がいるという千葉県白井市の無職久保田信夫さん(70)は、「子どもは宝。被告が、どう生きてきたらそんな過ちを犯すのか、聴いてみたい」と並んだ。

 亡くなった心愛さんと同じ小学4年の孫がいる同県茂原市の無職男性(61)は、「しつけが理由だと言っているようだが、しつけで子どもを死なせていいはずがない。児童相談所が人手不足なのは分かるが、この裁判で少しでも改善してほしい」と話した。

 

心愛さん号泣する動画、5秒法廷に 裁判員は泣き崩れた(2020年2月21日配信『朝日新聞』)

 

 みーちゃん、本当にごめんなさい――。千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害致死罪などに問われた父親の勇一郎被告(42)は21日、千葉地裁であった裁判員裁判の初公判で、娘への謝罪を繰り返した。一方、起訴内容や検察側の主張を否定し、反論する場面も目立った。

 「アーアー、アーアー」

 法廷に、自宅の脱衣所で大泣きして叫ぶ栗原心愛さんの動画が裁判員向けに流れると、裁判員の1人は泣き出して退廷を促され、一時休廷した。

 検察側の証拠調べで紹介された、2017年11月4日に撮影された心愛さんの動画。検察側は「心愛さんが置かれた状況を理解してもらうため」として、父親の勇一郎被告のパソコンや携帯電話に残っていた心愛さんの動画や画像の一部を裁判員に見せた。流れたのは、保存されていた約52秒間の動画のうちの5秒。脱衣所でうずくまるような姿や、洗面所で大泣きする様子――。パソコンなどには、心愛さんの動画や画像が多数残っていたという。

 逮捕から1年1カ月後に開かれた注目の裁判。63席の一般傍聴席に対し、倍率6・8倍となる434人が列をつくった。午前11時から始まった公判に、勇一郎被告は丸刈りに黒のスーツ姿で入廷。傍聴席に向かって5秒ほど頭を下げ、続いて裁判長らにも同様に頭を下げた。

 

心愛さん父、虐待一部否認 傷害致死罪は争わず 地裁初公判(2020年2月21日配信『東京新聞』)

 

 千葉県野田市で昨年1月、小学4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が自宅で死亡した虐待事件で、傷害致死罪などに問われた父親勇一郎被告(42)の裁判員裁判初公判が21日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。勇一郎被告は傷害致死罪の成立を争わないとした上で、起訴内容の暴行について「飢餓状態にしたりストレスを与えて衰弱させたりしてもかまわないと思ったことは一度もない。立たせ続けたり冷水シャワーをかけ続けたりしたこともない」と一部否認した。

 罪状認否に先立ち、勇一郎被告は「娘にしてきたことはしつけの範囲を超えたものだと深く後悔してきました。心愛ちゃん、本当にごめんなさい」と謝罪。「私にできることはできる限り事実を明らかにすることです」と述べた。

 検察側の冒頭陳述によると、勇一郎被告は、一度離婚した心愛さんの母親(33)と2017年に再婚。検察側は、再婚後に生まれた次女をかわいがる一方、「離れている間に成長した心愛さんを疎ましく思うようになり、次女の育児のストレスのはけ口にしていた」と指摘した。

 弁護側は、勇一郎被告が心愛さんの死亡直前の暴行行為について、立たせて屈伸を何度もさせるなどしたことは認め、「死なせた責任がある」と述べた。一方で、「妻に食事を与えないように指示はしていない。心愛さんが掃除をせず暴れたので、浴室で髪の毛の生え際に冷水をかけただけ」と主張した。

 心愛さんは17年11月、小学校のアンケートで「先生、どうにかできませんか」と父親の暴力を訴え、県柏児童相談所に一時保護された。県などによると、児相で勇一郎被告は虐待を否定していた。

 事件では、虐待を手助けしたとして傷害ほう助罪に問われた母親は同地裁で懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が確定した。

 母親の公判では、勇一郎被告が心愛さんをぬれた肌着姿で長時間立たせ、体を床に打ちつけてけがを負わせるなど、18年末にかけて暴力が激化した様子が明らかになった。死亡直前の心愛さんは、自力で立つことが困難なほど衰弱していたという。

 勇一郎被告は母親への暴行罪など計6件の罪に問われている。

 計10日間の審理があり、3月4、5、6日に被告人質問が行われ、9日に結審。19日に判決が言い渡される見通し。

 

野田虐待死 命を救う機会あったのに 勇一郎被告の母、募る後悔(2020年2月17日配信『東京新聞』)

 


栗原勇一郎被告からのメッセージが残る祖母のスマートフォン=一部画像処理


 千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=の虐待死事件で、傷害致死などの罪に問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判が21日から千葉地裁で始まる。「事件を防ぎ、命を救う機会は何度もあった」。勇一郎被告の親で、被害者の家族でもある祖母(68)は、手の届くところで起きた悲劇に後悔と自責の念を募らせている。 
 心愛さんが小学4年の冬休みを迎えた2018年12月29日。祖父母宅に荷物を取りに寄った心愛さんが手間取るのを見て、勇一郎被告が「早くしろよ」と強い口調で叱った。
 その様子が気になった祖母は翌日、「あんなに叱らなくても。完璧な人はいないから」とメッセージを送った。勇一郎被告からは「年末年始は笑顔で過ごそう」と妻と話している、と返信があった。
 息子と最後に会ったのは事件の前日。昨年1月23日に車を洗いに実家に寄った時、「インフルエンザで出勤できない」とイライラした様子だった。しばらく心愛さんの姿を見ていなかった祖母が「学校行ってるの」と尋ねた。児童の様子を伝える学校のホームページに心愛さんの写真がないことが気になっていた。勇一郎被告は「行ってるよ」とだけ答えた。
 実際には、心愛さんは冬休み明けから登校していなかった。傷害ほう助罪で有罪が確定した妻の判決によると、勇一郎被告は年末から心愛さんへの暴行を激化。洗車のために実家に寄った前日から心愛さんに食事を与えず、浴室に立たせて冷水を浴びせるなどの虐待をして死なせたとされる。
 心愛さんの遺体と対面した祖母は「傷だらけで見るに堪えなかった」。息子の様子に異変を感じ取っていれば。学校に心愛さんの様子を問い合わせていれば。自分がもっと注意して見守っていれば−。「事件は起きずに済んだのではないか」との思いが頭を巡る。
 「『こうあるべきだ』という思い込みが強くて、思い通りにいかないとカッとなることがあった。妻の病気や心愛のしつけで悩み、ストレスを抱えていた」。祖母は事件当時の勇一郎被告の状況をそう語る。
 事件後、心愛さんを県柏児童相談所が一時保護したことを巡り、勇一郎被告が教育委員会などに高圧的な態度を取ったことが問題になった。「息子なりに理想の家庭を思い描き、『心愛を施設には入れさせない』と突っ走っていた。解除後、心愛は元気に学校に通っており、問題は解決したと思っていた」
 息子が孫を死なせた罪に問われている現実を、受け止めきれない。どうして、こんなことになったのか。息子は裁判で何を語るのか。悲しみと悔いを胸に抱え、祖母は法廷に向かう。


栗原心愛さんが描いた絵と使っていたランドセル


<千葉県の小4女児虐待死事件> 千葉県野田市の小学4年栗原心愛さんが2019年1月24日、自宅浴室で死亡した事件。起訴状によると、父親の勇一郎被告は18年12月末〜19年1月初め、心愛さんの胸部を圧迫するなどして骨折させ、同年1月22〜24日には、冷水シャワーをかけるなど暴行を加え、十分な食事や睡眠を与えず、飢餓と強いストレスで衰弱させて死亡させたとされる。母親は昨年、心愛さんへの暴行を止めなかった傷害ほう助罪で懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の判決が確定した。

 

小4女児虐待死 児童相談所 所長ら2人に文書訓告の処分 千葉(2020年1月27配信『NHKニュース』)

 

1年前、千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件で、千葉県は担当していた児童相談所の前の所長と、現在の所長の2人に対し「適切な対応を取らなかった」などとして、文書訓告の処分を行いました。

文書訓告の処分を受けたのは、千葉県の柏児童相談所のいずれも57歳の前の所長と、現在の所長の2人です。

去年1月、千葉県野田市で小学4年生の女の子が死亡した事件では、女の子が父親からの虐待を訴え、児童相談所が一時保護しましたがその後、解除するなど対応に問題があったと指摘されています。

県は、児童相談所として関与していながら、適切な対応をとらなかったため、事件を防ぐことができず、専門機関である児童相談所の信頼を失ったとして、2人を27日付けで文書訓告の処分としました。

県は所長以外の職員の処分も検討しましたが、明確な法令違反は問えず、総合的に判断して責任者の処分を決めたと説明しています。

より重い懲戒処分にしなかった理由については、全国で過去2年間に起きた同じような事案5件ほどで懲戒処分が出ていないことなどを参考にしたとしています。

県の聞き取りに対し、前の所長は「身体的な虐待が確認できない中で、再び一時保護することに踏み切れなかった」と話し、現在の所長は「亡くなった際の所長は自分で、責任は私にある」と話してはいるということです。

 

野田小4虐待死1年 心愛さん、届かなかった「自分への手紙」(2020年1月25日配信『東京新聞』)

 

 

亡くなる3カ月前、栗原心愛さんが2018年10月に書いた「自分への手紙」。約5カ月後の終業式で見るはずだったが、その前の19年1月24日に亡くなった

千葉県野田市の小学4年生栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が親から虐待を受けて死亡した事件から、24日で1年。傷害致死罪などで起訴された父勇一郎被告(42)の両親らが本紙の取材に応じた。家族の話や心愛さんが残した作文からは、不安定な家庭環境でも希望を失わず、懸命に生きていた姿が浮かぶ。 
 昨年3月27日。心愛さんが通っていた小学校の教頭から祖母(68)に「通知表を作りました。受け取ってもらえますか」と電話があった。
 教頭は通知表や作文、絵などを手渡した最後に、「これは昨年(2018年)10月に書いたものです」と1枚のプリントを差し出した。終業式に向けて、心愛さんが書いた「自分への手紙」だった。
 「3月の終業式の日。あなたは漢字もできて、理科や社会も完ペキだと思います。10月にたてためあて、もうたっせいできましたか」「5年生になってもそのままのあなたでいてください」
 鉛筆で書かれた、きちょうめんな字が並んでいた。
 「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」−。最後の一文が目に留まり、祖母はその場で泣き崩れた。
 心愛さんが「手紙」を書いた18年10月は、勇一郎被告らと住んでいたアパートに近い祖父母宅から通学していた時期。心愛さんは音楽会で歌うパートを風呂で練習し、「5年生になったら金管バンドに入る」と楽しそうに話していた。祖父は「箸の持ち方から、年下のいとこの面倒を見ることまで、心も体も成長した時期だった」と振り返る。
 12月の持久走大会は完走。学校に提出した日記には「全力で走りきりました」「満ぞくいかない順位になってしまいました。でも、とてもいいタイムを出せたかなと思いました」とつづった。
 勇一郎被告の妹は、心愛さんが「パパに『よく頑張ったな。順位よりも最後まで走ることに意味がある』と頭をなでられたんだよ」と話していたことを覚えている。「兄は『何事もやり遂げる子になってほしい』と話していた。心愛も『パパに認められたい』と頑張っていた」
 持久走大会から3週間後のクリスマスの日、心愛さんは父親のアパートへ戻った。起訴状によると、勇一郎被告はその年末から翌年1月にかけて心愛さんに暴行を加え、死亡させたとされる。「あきらめないで」と自らを励ました「手紙」を手にする前に、心愛さんは短い生涯を終えた。
 「孫を失い、息子が罪に問われるなど、想像もしなかった」
 祖父母宅の居間のテーブルには、心愛さんの写真やランドセルが置かれている。「私たちが会う時は、虐待の形跡は見当たらなかった。近くにいながら助けてやれず、悔やみきれません」。この1年、祖母は勇一郎被告と面会できていない。「心愛ちゃんに対して、どう思っているか。裁判で見届けたい」と話した。

<千葉県の小4女児虐待死事件> 千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん=当時(10)=が2019年1月24日、自宅浴室で死亡し、父親の勇一郎被告が傷害致死罪などに、母親が傷害ほう助罪に問われた。17年11月、心愛さんは学校アンケートで「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と訴え、県柏児童相談所が一時保護したが、約1カ月半後に解除した。事件後、アンケートの写しを市教委が勇一郎被告に渡していたことが発覚するなど、行政対応が問題となった。母親は19年7月、執行猶予付きの有罪判決が確定。勇一郎被告の裁判員裁判初公判は2月21日に千葉地裁で予定されている。

 

連携不足や危機感欠如指摘 女児虐待死、野田市検証(2020年1月24日配信『共同通信』」)

 

千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん(当時10)が昨年1月に虐待死した事件で、同市は23日、専門家による検証報告書を公表した。報告書は、201711月に一時保護されてから、少なくとも13回、行政機関が命を救うために介入すべきタイミングがあったが、連携不足や危機感の欠如から適切な対応ができていなかったと指摘した。心愛さんが死亡してから、24日で1年となった。

13回のタイミングとして、一時保護解除の決定や、父の勇一郎被告(42=傷害致死罪などで起訴=が心愛さんが暴力を訴えたアンケートの存在を知っていると気付いた時点、亡くなる直前の冬休み明けの欠席などを列挙し、児童相談所や野田市などの対応の不備を指摘した。

例えば、心愛さんが受けた虐待の中には、勇一郎被告に口や鼻をふさがれ「なかなか息が止まらないな」と床に押しつけられるという重篤なものもあったが、児相はこの行為を把握しながら一時保護を解除しており「危険度の評価が甘かった」とした。

勇一郎被告にアンケートを渡した対応では、市教委と学校の連携がなく、児相などへの報告も怠るなど「子どもより自分や組織を優先させたと言われても仕方がない。教育者としてあるまじき対応だった」と批判した。

冬休み明けの欠席については、学校や市が「不自然さに気づき、滞在先とされた沖縄に連絡すべきだった」とした。

報告書は23日、市が設置した幹部や有識者らによる合同委員会に提出された。報告書を作成した日本大危機管理学部准教授の鈴木秀洋委員は、「自分が担当者だったらどのように救えたのか、羅針盤のように使えるように具体的なアドバイスを書いた」と話した。

 

栗原心愛さんの虐待死事件を巡り開かれた合同委員会を終え、記者会見する鈴木秀洋委員=23日午後、千葉県野田市役所

 

千葉 野田 小4女児虐待死 対応記録した資料開示 経緯明らかに(2020年1月24日配信『NHKニュース』)

 



千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件から24日で1年です。NHKの情報公開請求で児童相談所の対応を記録した資料の一部が新たに開示され、誤った状況判断のもとで不適切な対応がとられた経緯が明らかになりました。
 去年の1月24日、千葉県野田市の小学4年生栗原心愛さん(10)が浴室で死亡しているのが見つかった事件では父親の勇一郎被告(42)が傷害致死などの罪で起訴され、来月21日に初公判が開かれるほか、32歳の母親が虐待を止めなかったとして執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。
 この事件では心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを教育委員会が親に渡すなど、不適切な行政の対応も明らかになりました。
 このうち児童相談所の対応についてNHKが県に情報公開請求したところ、対応をまとめた「児童記録」の一部が新たに開示されました。
 資料には事件の1年余り前に児童相談所が一時保護したものの、1か月半で解除した理由について「安全に生活できる環境が整えられた」などと記されています。
 しかしそのわずか2か月後には、勇一郎被告が担当者に対し「これ以上、家庭をひっかきまわさないでほしい」とか「訴えることも検討している」などと敵対的な発言を繰り返していたことが記録されているほか、「一時保護解除時の約束が守られていない」という記述も確認できます。
 こうした記録からは児童相談所が誤った判断のもとで不適切な対応をとり、心愛さんを取り巻く状況が悪化していったことがうかがえます。
 県の検証委員会は一連の関係機関の対応について「不十分、不適切だった」と指摘していて、今後、再発防止に向けた実効性のある取り組みをどう進めていくかが問われています。

検証の専門家「父親の言いなりになってしまった」
 今回の事件で行政の対応を検証した千葉県の第三者委員会の副委員長を務めた東京経営短期大学の小木曽宏教授がNHKの取材に応じました。
 このなかで小木曽教授は敵対的な姿勢を取る父親を前に、関係機関が不適切な対応を繰り返したことについて「教育委員会によるアンケートの開示など、子どもの権利を守る側が決して、してはならないことが行われた。こうした対応を疑問に思わなかったことを含め、父親のペースに完全に巻き込まれ、要求に従ってしまったと感じる。また父親から組織ではなく職員個人の責任を追及することを示唆され、言いなりになってしまった。そうした中で、女の子が発したSOSは見逃されてしまった」と指摘しました。
 また「現場職員の専門性の確保や養成が十分ではなく、事案の重大性の見立てやリスクアセスメントが正しくできていないことは根本的な問題だ」と述べ、現場で対応にあたる職員の知識や対応能力が十分なレベルに達していないことが不適切な対応の背景にあると指摘しました。
 そのうえで今後取るべき対策について「児童相談所などの人員を増やすだけではなく、職員の専門性を高めるための研修が必要だ。単に研修を受ければいいということではなく、効果を検証し、その結果を次の研修に生かしていくことが重要だ」と述べました。


有識者委「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」
 千葉県とは別に、教育委員会などの対応を検証してきた野田市の有識者委員会は23日、報告書を公表し「頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」と当時の対応を批判しました。
 報告書の中では、心愛さんが被害を訴えたアンケートのコピーを父親に渡した教育委員会の対応について「子どもへの裏切り」で、「子どもの権利に対する意識の低さは非常に大きな問題だ」と指摘しました。
また父親に迎合した教育委員会や学校の関係者がいたとして「子どもより自分や組織を優先させていると言われても仕方がない」と厳しく批判しています。
 さらに市については関係機関の要として積極的に動くべきだったのに協議の場を設けないなど、対応に問題があったとしています。
そのうえで「女の子は公的機関の大人を信頼することができなかった。頼れる大人が1人でもいたら救える命だった」と指摘しています。

事件の経緯
 小学4年生だった栗原心愛さん(10)が自宅で亡くなったのは去年1月24日の夜でした。
父親から「浴室でもみ合いになった娘が呼吸をしていない」と110番通報があり、警察と消防が駆けつけたところ自宅の浴室で倒れて死亡していました。
 警察は冷水のシャワーをかけるなどの暴行を加えたとして父親の勇一郎被告(42)を傷害の疑いで逮捕しました。10日後には暴行を止めなかったとして母親も逮捕し、心愛さんが日常的に虐待を受けていた疑いがあるとみて捜査を進めました。
その結果、勇一郎被告が心愛さんに胸の骨を折るなどの大けがをさせるなど、たびたび虐待を加えていた疑いがあることがわかりました。
 さらに虐待と心愛さんの死因との関連について捜査が進められ、検察は食事や十分な睡眠を取らせず、シャワーを浴びせ続けるなどの暴行を加えたことによって死亡したとして、去年3月、勇一郎被告を傷害致死などの罪で起訴しました。
 一方、母親は夫の暴行を止めなかったなどとして傷害ほう助の罪で起訴され、すでに執行猶予の付いた有罪判決が確定しています。
父親の勇一郎被告については来月21日に初公判が行われる予定です。

 

小4女児死亡 検証報告書を公表 当時の対応を厳しく批判(2020年1月23日配信『NHKニュース』)

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千葉県野田市で小学4年生の女の子が虐待を受けた末に死亡した事件の検証を行ってきた有識者の委員会が報告書を公表し、当時の対応を厳しく批判しました。
 去年1月、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(10)が浴室で死亡しているのが見つかった事件では、父親の勇一郎被告(42)が傷害致死などの罪で起訴され、来月、初公判が開かれます。
 事件から24日で1年となるのを前に、野田市や市の教育委員会などの対応を検証してきた有識者の委員会が報告書を公表しました。
 この中では、心愛さんが虐待の被害を訴えたアンケートのコピーを父親に渡すという教育委員会の対応について、「子どもへの裏切り」としたうえで、「子どもの権利に対する意識の低さは非常に大きな問題だ」と指摘しました。
 そのうえで、父親に迎合した教育委員会や学校の関係者がいたとして「子どもより自分や組織を優先させていると言われてもしかたがない」などと厳しく批判しています。
 さらに、市については関係機関の要として積極的に動くべきだったのに協議の場を設けないなど、対応に問題があったとしています。

そして、「頼れる大人が一人でもいたら救える命だった」と結論づけました。有識者委員会は今後、委員会のメンバーの意見を加えたうえで報告書を市長に提出することにしています。

 

虐待、AIで救え 発生確率予測 児相を手助け(2020年1月23日配信『東京新聞』)

 


虐待の状況を入力するタブレット端末


 千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が虐待を受けて死亡し、あす24日で1年。小さな命が奪われる悲劇を防ぐため、人工知能(AI)を活用し虐待の恐れがある子どもを早期に救おうとする試みが始まっている。AIが過去の虐待事例のデータを分析してリスクを予測、保護の必要があるか判断を支援する。三重、広島両県が導入を検討、厚生労働省も有識者による研究を進める。人手不足に悩む児童相談所の運営改善に役立てたい考えだ。
 「頭部顔面腹部に傷あざがある リスクは67%」「児童自身が保護を訴える リスクは99%」
 三重県と産業技術総合研究所(茨城県つくば市)は、被害者の年齢や性別、傷の場所、重傷度、加害者の属性、虐待期間など17項目をタブレット端末に入力すると、子どもを保護する必要性や虐待の再発可能性を「総合リスク」という数値で表すシステムを開発した。
 三重県が過去6年間に対応した児童虐待事例約6000件のデータをAIで分析。頭に傷があると虐待が再発する恐れが高く、一時保護した方が再び虐待を受ける可能性は低くなるという。
 三重県では2012年に虐待で子どもが亡くなる事件があり、悲劇を繰り返さないためシステム開発を進めた。昨年7月から県内2カ所の児童相談所でタブレット計20台を試験導入した。虐待の連絡があると職員がタブレットを持って家庭を訪問。聞き取った内容やけがをした部分を絵や写真で入力する。表示された総合リスクも参考にして対応を判断する。産総研の高岡昂太さんは「情報をすぐに共有でき、判断をサポートしてくれる」と指摘した。
 広島県は行政が持つデータをAIで分析し、児童虐待や不登校が起こる可能性がある子育て家庭を予測する取り組みを同県府中町で検討している。虐待などの発生確率を予測するシステムを構築し、リスクが高そうな家庭を手厚く支援、問題発生を未然に防ぐのが狙いだ。これまで問題が起きてから対応していたが、先手を打って家庭訪問するなどの対策を考える。
 行政や学校にある基本的な家族情報や収入状況、生活保護、児童扶養手当などのデータを使う予定だ。広島県の担当者は「個人情報なので慎重に扱わなければならない。リスクがある家庭や子どもを予防的に見つけて支援していきたい」と話している。
 厚労省によると、18年度の全国の児童虐待相談対応件数は15万9850件と増える一方、対応に当たる児童福祉司の数は3252人にとどまる。政府は福祉司の増員を決定しているが不足しているのが現状だ。厚労省は今後AIが虐待のリスク評価に活用できるかどうか有識者による検討を進める方針だ。

 

◆職員の丁寧な説明必要
 児童虐待問題に詳しい愛育研究所の山本恒雄客員研究員の話 職員個人の経験知だけでなく大量のデータをAIで分析すれば、傾向や予兆を見いだすことができる。ただし職員が虐待を受けている子どもやその家庭ときちんとコミュニケーションを取り、信頼関係を構築することが大切だ。丁寧に説明して解決につなげることは人間がする仕事だ。AIの力を借りながらトレーニングを積み重ねていかなければならない。

 

千葉・野田女児虐待死事件1年(2020年1月21・22日配信『産經新聞』)

 

(上)エスカレートした父の暴力

 

 昨年1月24日午後11時18分、「クリハラ」と名乗る男性の声で110番通報があった。
 「子供が動かなくなりました。風呂場でもみ合いになって、動かなくなりました。ちょっと暴れたので、止めたんですけど、シャワーが勝手に出て。暴れたので押さえたら…」。通信指令の警察官が「たたいたんですか」と問うと、「たたいてないですが、押さえました」と男性は答えた。
 現場に急行した救急隊は、アパートの浴室で衣服や髪の毛がびしょびしょにぬれた少女が倒れているのを発見。既に呼吸や脈がなく、その場で死亡が確認された。
 死亡したのは千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん=当時(10)。解剖の結果、死亡直前は飢餓状態で、強いストレス状態にあったと診断された。

 心愛さんは当時、父親の勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=と母親(32)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定、当時1歳の妹の4人暮らしだった。
 かねてから勇一郎被告から虐待を受けていた心愛さんは、平成30年9月の夏休み明け直前、母親に「家に帰りたくない」と訴えたことから近所に住む父方の親族宅に約4カ月、預けられていたが、12月25日、母親の迎えで自宅に戻った。
 「もっとおいしそうに食べられないのかよ」。同月31日、家族で年越しそばを食べていると、父親に怒鳴られた。それ以上、そばがのどを通らなかった。罰として、その場で立ち続けなければならなかった。
 年が明けた1月1日も父親にスクワットをし続けるよう言われ、疲れてその場に倒れこむと、両腕をつかまれて立たせられたり、体を床に打ち付けられたりした。見かねた母親が「虐待だよ」と父親を止めようとしたが、父親は逆上し、今度は母親に暴力を振るった。
 小学校の冬休み明け初日の7日、父親が学校に「沖縄にいる。15日から通わせる」と欠席を連絡。11日にも再び「1月いっぱいは休む」と連絡を入れ、欠席期間を延長した。体にできた無数のあざを隠すためだった。
 21日、父親がインフルエンザにかかり、仕事を早退。このころから父親による虐待は加速する。翌22日には「見たくない」と寝室に閉じ込められ、トイレにも行かせてもらえなかった。「壁を向いて立ってろ」とも言われ、母親が寝る時間になっても立ち続けた。
 23日には、父親が病院へ行く際、浴室で駆け足をするよう命じられた。だが、帰宅したときはしていなかった。「換気口から聞こえるんだよ」。怒鳴られ、罰として夕食も与えられず、深夜まで足踏みしたり、立ち続けたりした。
 24日も虐待は続いた。午後1時ごろ、父親とともに浴室にいた。「5秒以内に服を脱げ。5、4、3、2、1」。すでにぬれていた服は簡単に脱げず、父親はボウルにくんだ冷水を頭にかけた。「5、4、3」。再び服を脱げず、ボウルの水をかけられた。
 ようやく服が脱げたが、「シャワーで流せよ」と指示され、お湯を出そうとすると、「お湯じゃないだろ」とシャワーの冷水をかけられた。体が震えた。
 午後9時ごろ、母親に断ってトイレに行った後、リビングのストーブに当たった。「寒い、寒い」とつぶやいた。
 その後、母親から「もう寝ようか」と言われ、寝室に向かったが、父親に「駄目だから」と制止された。寝室に入れさせてもらえず、浴室に連れて行かれた。
 「ドン」。大きな音が寝室まで響いた。心愛さんは浴室で倒れ、動かなくなった。
 ◇ 
 心愛さんの死から24日で1年がたつ。死亡までの間、心愛さんの身に何があったのかを振り返る。

 

(下)守れなかった「ひみつ」の約束

 

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栗原心愛さんが父親からの暴力を訴えた学校アンケートの写し

 

 「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」
 平成29年11月6日、小学3年生だった栗原心愛(みあ)さんは、当時通っていた千葉県野田市立山崎小学校で行われた「いじめにかんするアンケート」の自由記述欄にこう書き込み、助けを求めた。アンケートの冒頭には、「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」とある。
 その後、担任から事情を聴かれた。父親の勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=に息が止まりそうになるくらい口を塞がれ、床に押し付けられること、夏休みまで住んでいた沖縄県では母親(32)=傷害幇助(ほうじょ)罪で有罪確定=も暴力を振るわれていたことを正直に話した。右頬のあざを見られた。
 その翌日、登校すると、訪れた市児童課の職員と面談した。前日担任に聞かれた内容を話すと、県柏児童相談所に向かうことが決まった。児相でも、再び児童心理司に話を聞かれた。父親からの暴力は母親が見ていないときが多いことや、家に帰りたくないなどと話すと、その日からしばらく家族の元を離れ、児相で暮らすことになった。
 だが、児相での一時保護は2カ月も続かなかった。12月27日、父方の親族が迎えに来て、親族宅に戻った。一時保護解除に当たっては、父親と2人きりで会わないことのほかに、親族宅で暮らすことが主な条件だったが、親族宅にほど近い自宅には児相の許可なく頻繁に帰っていた。
 年が明けた30年1月中旬、母親に呼ばれ、前年に学校で書いたアンケートを両親に見せてもよいという同意書を書かせられた。同意書は市教育委員会に持ち込まれ、「ひみつ」だったはずのアンケートは開示されてしまった。
 別の日にも母親に、児相職員宛ての手紙を書くよう言われ、スマートフォンを見せられた。画面には父親が考えた文面が書かれており、「書きたくない」と母親に言ったものの、結局書いた。
 「お父さんに叩かれたというのは嘘です」「ずっと前から早く(両親と妹の)4人で暮らしたいと思っていました」「児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください」
 2月26日、父方親族宅を児相職員が訪れた。泣いてしまい、別室に移動させられたので職員と面談はできなかった。手紙は父親から職員に渡されてしまった。
 だが、約3週間後の3月19日、転校先の市立二ツ塚(ふたつか)小で児相職員との面談がかなった。手紙について聞かれると、「言っていいのかな」と小声で確認した上で、母親を通じて父親に書かされたものだと打ち明けた。「あそこに書いてあったのは、心愛ちゃんの気持ちとは違う感じ?」との質問には、「でもお父さんとお母さんと一緒に暮らしたいと思っていたのは本当のこと」と答えた。
 この日を最後に、児相職員が訪ねてくることはなかった。

 県の検証委員会が昨年11月にまとめた報告書の末尾には、心愛さんがアンケートで虐待を訴えたことについて、こう記している。
 「児童本人がこうした訴えをすることは稀(まれ)であり、勇気を持って訴えた本児は、何としても守られるべきだったし、救える命であった」
 勇気を出して訴えたのに、信頼関係や約束は次々に裏切られ、最悪の結果を導いた。

 

 

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